☆


 真珠を薄く削ぎ落としたような月が、東の夜空を淡く彩る。

 ランプの灯りが並ぶ繁華街の路地を、帽子を目深にかぶった小柄な少年が早足で通り抜けていく。

 少年は裏路地へ入り、人々の喧騒を遠くに聞きながら目当ての店を探す。

 その酒場に看板はなく、軒先に輝く蛍のような青白い魔法の灯りが目印だった。

「やあ」

 扉を開け、身を滑り込ませると、カウンターに座るたった一人の客が振り返って手を挙げた。長い金髪の美丈夫である。

「何か飲むか?」

「任務中ですので、果実水を」

 少年は隣の席につき、目深にかぶっていた帽子を脱いだ。ひとつに結わえた桜色の髪が背中に流れる。

 男物の服を着込んだシャノンの前に、果実水の入った杯が置かれた。

「何か言いたそうな顔だな」

 王太子相手に愛想笑いすらしないシャノンに、メルヴィンは楽しげに唇の端を上げた。

 言いたいことは山のようにあるが、どこまで口にして良いものか、シャノンは横目で店主の様子を窺う。

「ああ、彼のことなら気にしなくてかまわない。顔見知りだ」

「そうですか」

 では、とシャノンは咳払いをひとつした。

「嘘つき王子」

「直球だな」

 メルヴィンは肩を震わせ、喉の奥で笑った。

「殿下なりのお考えがあってのことでしょうから、わたしは指示に従いますけど」

「けど?」

 金髪碧眼の麗しい面立ちをした王太子は、頬杖をついて甘い微笑みを向けた。王宮の令嬢や女官たちなら、一発で卒倒することだろう。

 しかし、シャノンは眉ひとつ動かさず真顔を保つ。

「殿下にいいように動かされているみたいで、気にくわないです」

 今度は、メルヴィンは声をあげて笑った。

「それは悪いことをした」

 悪びれもせずに言うメルヴィンの横で、シャノンは果実水を一口飲んだ。カシスの甘味と柑橘の酸味が喉を通り抜け、疲れた体を潤してくれる。今日も怒涛の一日だった。

「お話は、セシア様からすべて聞きました」

「そうか」

 メルヴィンは、酒の入った杯を傾けた。

「彼女の様子は?」

「今は休んでおられます。かなりお疲れのご様子ですが、観光する元気があるところを見ると、大丈夫でしょう」

 文豪の生家に立ち寄った理由をセシアに尋ねたところ、純粋に観光がしたかったのだという。

「彼女は文学好きだからな。俺の書斎へ自由に出入りしてかまわないと、伝えてくれ」

「殿下が直接お伝えになっては?」

 すると、メルヴィンは美麗な微笑みをたたえたまま青い双眸をすっと細めた。

「彼女の周りにたかる虫を払うのが先だ」

「彼らは何者なのですか?」

 シャノンは、セシアを襲った黒装束の男たちについて尋ねた。

「彼女から聞いただろう? 女神の親衛隊さ。やや激しめのな」

 親衛隊なんて可愛らしいものではなかった。

「奴らの組織に名前はないが、俺は『女神のいぬ』と呼んでいる」

「せめて『使徒』くらいにしては」

 シャノンが言うと、メルヴィンは「では、そうしよう」と鷹揚にうなずいた。

「その『女神の使徒』について、何か気にかかったことはあるか?」

「魔法師団の杖を所持していました。類似品の可能性もありますが、どのような経路で彼らの手に渡ったのか……」

「シャノン・バグウェル。お前は、我らが魔法師団に武器および、その製法を盗まれるような間抜けがいると思うか?」

 それは、つまり。

 シャノンは瞳で問いかけた。

「正面きって騎士団を動かしたら、魔法師団に筒抜けになる。だから今回の任務は極秘なのさ」

 メルヴィンが空になった杯を置くと、店主が無言で代わりの杯と交換した。

「本当に、魔法師団の人たちが……?」

「ごく一部だ。首謀者も他の面子も、まだ洗い出せていないのが現状だ」

「彼らの中に、接近戦を用いる男がいました」

 魔法師団の面々は、魔法のみの遠戦を得意とする。接近戦は、魔法騎士団の専門分野だ。

「それはおそらく、民間人だ。奴らは、王都のどこかに根城を構えている」

「殿下。わたしは、彼らに顔を見られています。もしも、顔見知りの魔法使いだったら……」

 魔法騎士団がセシアと接触していることが知れたら、警戒される恐れがある。

「その点は心配ないだろう。お前の目の前で杖を取り出したということは、お前を魔法騎士シャノン・バグウェルと認識していないということだ」

「よかった……」

 ほっと息をついたシャノンだったが、ふと訝しげな眼差しでメルヴィンを見た。

「というか、殿下がはじめから全部話してくださっていたら、こんな面倒なことになっていないと思いますけど」

「悪い悪い」

(絶対、悪いと思ってない)

 シャノンは、残りの果実水を一気に飲み干した。杯を置くと、代わりの果実水と一緒に干しアンズの小皿が出された。

「ところで、お前の相棒はどうだ?」

「相棒?」

「愛しの夫君さ」

 メルヴィンの言い回しに、シャノンは思わず頬を赤く染めた。

「その様子だと、仲良くやっているようだな」

「ぎ、偽装ですけどね!」

「お前から見て、彼はどんな男だ?」

 ほんのわずかだが、メルヴィンの声色が変わった気がした。

 部下というよりも、友人や家族を気にかけているかのような。

「まだ日が浅いので何とも言えませんが、聡明な人だと思います。人当たりもいいですね。何より、剣のセンスが抜群にいいです」

「そうか」

「あれほどの逸材なら、もっと早く騎士団にスカウトしてもよかったのでは?」

「彼にも色々と事情があるのさ」

 ジェリー本人が、家の事情で入団試験に間に合わなかったと言っていたのを思い出す。

「それから……、いえ」

 シャノンは言いかけて、言葉を切った。

 ジェリーと出会ってからというもの、恩人――ミカヅキさんの姿が脳裏にちらつく。

(でも、それはわたし個人の問題だし、任務と全然関係ないし、そんなしょうもない話を殿下にするわけには)

「言いかけてやめるのはよくない。話せ」

 優しく諭すような口調に、シャノンは故郷の兄たちを重ねた。

「しょうもない話ですよ……?」

「いいさ。酒の肴に聞こう」

 メルヴィンが笑うと、酒の香気がふわりとただよった。

 シャノンは、自分が探している恩人とジェリーがどことなく似ている話を、できるだけ簡潔に語った。屋敷でジーン王子の絵画と会ったことも話した。

「ミカヅキさんは亡くなったジーン様の幽霊なんだろうって、わたしの中で決着がついたはずなんですけど、ジェリーもミカヅキさんと通じるものがあったりなかったりで、もう何が何だか」

 メルヴィンのまとう酒気にあてられたのか、シャノンは素面にもかかわらず饒舌になっていた。干しアンズを肴に果実水が進む。

「その恩人が見つかったら、お前はどうしたい?」

「わかりません。でも、ミカヅキさんが『ぼくを見つけて』と言ったので、わたしは彼を探し当てて、彼の口から名前を聞かせてもらうつもりです」

「ずいぶんと、まどろっこしいことをする男なのだな、ミカヅキさんとやらは。名前くらいその場で名乗ればいいものを」

「まどろっこしいところは、殿下と一緒ですね」

 精一杯の嫌味をこめて言うと、メルヴィンは「それもそうか」と苦笑した。

「ジーン王子は、殿下と似ていらしたんですか?」

「似ていないよ」

 メルヴィンは、酒の残っている杯の縁を爪で軽く弾いた。ベルのような音色が細く響く。

「弟は、俺みたいに性根が曲がっていない。月明かりのように、心の美しい子だった」

 どこか遠くを見るような眼差しで、寂しそうに言う。

「その点で言えば、末の弟と似ているな。二人とも、兄に似ず清らかな心根の持ち主だ」

「そうですか? わたしは殿下もお優しいと思いますよ」

 危険を冒してまでセシアをシルクレアへ呼び寄せたのが、何よりの証だろう。

「褒めても何も出ないぞ」

「それは残念です」

 シャノンは肩をすくめて笑った。

「殿下。もうひとつ、お聞きしてもいいですか?」

 それは任務とも恩人探しとも、おそらく関係がない。

 けれど、心の奥にずっと引っかかっている。

「『月の反逆者』という言葉を、ご存知ですか?」

 メルヴィンがふたたび杯を爪弾く。

 その音は、細く長く、薄暗い店内に響き渡った。

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