☆


 この日、大陸から一組の商隊がシルクレアを訪れていた。

 大陸諸国の織物、装飾品、鉱石、薬草、楽器、書物など、めずらしい品々に、王都中央の市場はいつも以上に賑わった。

 一人の商人がいた。中年の、触覚のような口髭を生やした細身の男である。

 男は、大陸から持ち込んだ選りすぐりの品をまとめて、とある貴族の邸宅を訪ねた。

 異国の珍品を愛する貴公子は、快く男を招き入れた。

「いつもありがとう。わざわざ足を運んでもらってすまないね」

「とんでもございません。若君様にはいつも良くして頂き、感謝しております」

 午後の陽光が射し込む、明るい色調の応接室にて、商人の男は自慢の品をひとつずつ取り出して見せた。

 貴族の青年は、精霊の宿る樹木から作られたという横笛と、大陸原産の植物の種子、拳ほどの大きさをした青色の水晶、古い時代の書物を数点、買い取った。

「実は、今日はもうひとつ、とっておきの品がございまして」

「へえ、何かな?」

 青年は若草色の目を細め、興味深げな笑みを浮かべた。

 男が荷物から取り出したのは、リンゴほどの大きさをした透明な球体だった。

「水晶玉かい?」

「たしかに、水晶で作られておりますが、中は空洞でございます」

 球体の上の部分に、果実のヘタのような金属の突起がある。よく見ればそれは尖っており、女王蜂の針のようだった。

「大陸では、そういったユニークなデザインが流行っているのかな?」

「さて。これから流行ると良いのですが」

 男は、水晶の球体を捧げ持ったまま、そう言って笑った。

「ときに若君様。貴国の人々は、月の満ち欠けで魔法の力が増減すると耳にいたしました」

「その通りだよ。今日みたいに月の弱い日は、何の力も発揮できない。ボクのような非力な人間は、赤子同然さ」

 青年は肩をすくめ、自嘲気味に笑った。

「それはそれは。さぞ不自由でございましょう」

 労わりの言葉を向ける男の口元は、異国の刀剣のように歪曲していた。

「ところで、その丸いものはどうやって使うんだい?」

 青年が問いかけると、男は立ち上がり、二人を隔てるテーブルに乗り上げた。つい今しがた売買が成立したばかりの商品が、床に払い落とされる。

「とくとご覧にいれましょう」

 男は、手にしていた球体を振りかぶった。

「貴方がた魔法使いから、高価な魔力を抜き取る道具でございますよォォ!」

 人払いのされた応接室に、男の甲高い声が響く。

 球体の針の部分が、青年の首筋めがけて振り下ろされる。

 青年は微動だにしなかった。

 春の息吹を色に表したような、緑がかった金髪がわずかに踊った。

「言い忘れていたけど」

 青年の口角が上がる。冴えた三日月のように。

 パン! と音を立てて、水晶の球体が破裂した。

「月が弱くても、キミ程度のゴミ屑は自力で片付けられるんだよね」

「な……っ?」

 テーブルに乗り上げ、青年に襲いかかろうとした体勢で、男は硬直した。その顔から血の気が引いていく。

 青年は、顔の前に右手をかざした。白くしなやかな手首に銀の腕輪が光る。

 床に散った水晶の破片が、青年の指の動きに合わせて舞い上がった。

「その汚い足でシルクレアの地を踏んだ罪は重いよ」

「な、なにを……?」

 男は恐怖で動けないのか、魔法で動きを封じられているのか、どちらとも判断がつかないほど怯えていた。

「ボクらの同胞は、今のキミの何倍も恐ろしい目に遭ってきた」

 青年は感情の消えた声で言った。

 男の眼前に、鋭利な刃物と化した無数の水晶の破片が突きつけられる。

「た……たすけ……っ」

「キミには、命乞いをする資格すらない」

 青年は、小鳥のさえずりのように軽やかに指を打ち鳴らした。

 男が悲鳴を上げるより早く、水晶の破片が空を切り、喉と両目を塞いだ。

 大陸の血が床とテーブルを染めたのと同時に、扉が開かれた。

「これは、いかがいたしましょう?」

「死なない程度に応急処置して、夕方発の貨物船に積んでおいて」

 声と光を失ったまま祖国の地へ放り出され、野垂れ死ねばいい。

 穢れた魔力を秘めた姫の手がかりを得るために商人との付き合いを長く続けてきたが、いよいよ潮時のようだ。

「かしこまりました」

 執事がこうべを垂れると、使用人が次々とやってきて、気絶した男を手際よく運び出し、部屋の清掃作業が始められた。

 青年は、使用人たちの仕事を邪魔するまいと応接室を出た。執事の男性がその後に続く。

「ザカライア様。例の『穢れの芽』は、いかが処理いたしましょう? 魔法師団の面々を招集いたしますか?」

「その必要はないよ。そろそろ『彼』が摘み取る頃さ」

 ゆったりとした歩調で進みながら、ザカライアは銀色の腕輪にそっと口づけた。

「もうすぐだ。もうすぐ、キミはボクのもとへ戻ってくる」

 まるで想い人を呼ぶように、ザカライアは待ち焦がれる相手の名前をひそやかに囁いた。

「ボクの、ジーン……」


     ☆


 麻袋に詰め込まれ、縄で厳重に縛られたが東の港へ向かって運ばれる頃、シャノンたちは屋敷の庭園にいた。

「このあたりでございます」

 路地と敷地を隔てる煉瓦造りの塀に、グレッグが手をかざした。彼の魔道具であるカフスボタンが青白く輝き、屋敷全体を取り囲む防護結界の一部を可視化させる。

 薄氷に石が落ちたかのように、わずかなひび割れが視認できた。

 グレッグがカフスを撫でつけるように手首を滑らせると、綻びは消え、結界は元の精緻なレース編みのような美しさを取り戻した。

 結界はほどなくして、シャノンたちの視界から消え失せ、花と緑の香りだけが残された。

「この程度の綻びでしたら、私でも何とか対処のしようがございますが……」

「原因をつきとめないことには、安心できませんね」

 シャノンの意見に、ジェリーもうなずいた。

 高貴な魔力を持つ王族の結界に干渉できるのは、同じ血筋の人間だけである。

 今現在、屋敷にいる面々の魔力では、小さなひび割れさえ到底、入れられるものではない。

「グレッグさん。殿下にこのことは?」

「『鳥』を飛ばしてご報告いたしましたところ、『お前にまかせる』と」

 何とも言えない表情で目を伏せるグレッグに、シャノンとジェリーは苦笑いするしかなかった。

「殿下らしいと言ったら、らしいのかな……?」

「今夜、殿下にお会いする約束があるので、わたしが直接お話をしてきます」

 セシアから預かった手紙を届けに行く予定である。

 二人の往復書簡の運搬係をまかされているシャノンだが、肝心の内容については何も知らない。

「先輩、今夜はおれに行かせてください。いつも先輩におまかせするのも気が引けますし、夜道は危険ですし」

 心配そうな表情で提案するジェリーに、シャノンはかぶりを振った。

「ありがとう。でも、これはわたしの仕事だから」

「でも……」

「ジェリー。あなたの任務は?」

 なおも食い下がろうとするジェリーに、シャノンは凛とした声で聞き返した。

「セシア様の……護衛です」

「そう。わたしたちにとって一番大事な任務」

 シャノンは、ジェリーの手を取って言った。

「あなたを魔法騎士として、仲間として信頼しているから、託すの。セシア様のこと、お願いね」

 ジェリーは、ぱっと顔を輝かせてうなずいた。

「はい。まかせてください!」

 良い返事に、シャノンもつられて笑みを返した。

「先輩」

「なあに?」

 ジェリーは、わずかに肉刺まめのある両手でシャノンの手をぎゅっと握り返した。

「おれが任務をまっとうできたら、ご褒美が欲しいです」

「ごほうび?」

 シャノンは、桜色の双眸をぱちぱちと瞬かせた。

 そういえば、彼の魔道具を調達する約束をしていた。せっかくの機会だから、プレゼントしたい。

「いいわよ。何か欲しいものはある?」

「先輩が欲しいです」

「…………」

 一瞬、呼吸が止まったが、すぐそばでグレッグの咳払いが聞こえて、シャノンは我に返った。

「もう、ふざけないの!」

「おれは真剣です」

「し、真剣に言われても困るわよ!」

 これ以上は埒が明かないと察したシャノンは、ジェリーの手を振り払って、逃げるようにその場を離れた。

 頬に触れる風は涼しいのに、顔は熱くなる一方だった。

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