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 出身は、北部の小さな村テウル。

 幼い頃に両親が雪の事故で他界。母親が使用人として働いていた縁で、領主のアヴァロン男爵家に引き取られた。男爵夫妻は、子を授かっていなかった。

 剣術は、領地駐在の魔法騎士に教わった。

 家の事情により個別で入団試験を受け、他の新人騎士より遅れて合流した。

「使用人の子だったおれを実の子として育ててくれた両親に報いたくて、魔法騎士になりました」

 道中、ジェリーは自分の身の上についてつまびらかに話してくれた。

 緑の匂いを含んだ春風のような彼の笑顔に、シャノンは胸が痛むのを感じた。

「ごめんなさい、ご両親が亡くなっているとは知らなくて。つらいことを思い出させてしまったわね」

「気にしないでください。今の両親と出逢えて、おれは幸せですから」

 ジェリーが身の上を話す間に、馬車は王都中央の宿屋や魔道具店の立ち並ぶ大通りを抜け、貴族の住まう住宅街へと入っていた。

「それに、生みの親との別れが、先輩との出逢いにつながってるって考えたら、運命的じゃないですか?」

 屈託のない笑みの奥に、先ほど垣間見えた色香が思い起こされたせいで、シャノンは思わず顔をうつむけた。

「昨日も言ったけど、あまり年上をからかうものじゃないわよ」

「からかってませんよ? おれは本気です」

 ジェリーは、薄青の瞳をきょとんと見開いて言った。

「先輩こそ、おれが年下だからって軽く受け流してませんか?」

「えっ」

 けっして、彼の言動を軽んじていたわけではないのだが、もしかしたら無意識にそういった素振りを見せていたのだろうか。

「だって、突然すぎて信じられないもの。ひ、一目惚れしただなんて、何の説得力もないし……」

 自分で言って恥ずかしくなってきて、どんどん尻すぼみになっていく。

「わたしなんかのどこがいいのか、理解に苦しむというか……」

「好きだなあって思ったから、好きなんです」

 ジェリーは、ふわりと微笑んだ。

 理屈じゃないというのなら、それはきっと大いなる勘違いだ。女だてらに剣を振り回すシャノンが物珍しくて、それを好意と思い込んでいるだけなのだ。

 そのうち、魔法騎士団に馴染んだ頃にでも、おのずと思い違いに気付くことだろう。

「……とりあえず、ありがとう」

「あっ、受け流した!」

「剣の手合わせなら、喜んで正面からお受けするわよ」

 ようやく調子を取り戻したシャノンは、肩をすくめて微笑んだ。

 話している間に、馬車は目的の敷地内へと入っていた。

 石畳が敷かれた路面の両脇には、手入れの行き届いた緑と季節の花が色とりどりに光っている。

 花と緑に囲まれるようにして立つ彫像は、太古の昔、「はじまりの魔法使い」に最初の魔力を与えたと伝えられている女神シェヴンをかたどったもの。王都の中央広場や、王宮の庭園にも同じモチーフの彫像が置かれている。

 王太子が「手狭な屋敷だが」と語っていた私邸は、シャノンの実家であるバグウェル伯爵邸を遥かにしのぐ、立派で瀟洒な館だった。

 屋根は落ち着いた青色、外壁は淡い色をした煉瓦造り。三階建ての屋敷は、客人を招くことを前提として建てられたように思えた。

 馬車から降りた二人を出迎えたのは、黒の背広に痩身を包んだ初老の男性だった。

「ようこそいらっしゃいました、シャノン様、ジェリー様。今日から、ご自分の家だと思ってお過ごしください。わたくしはグレッグと申します。メルヴィン様より、この屋敷の管理を仰せつかっております」

 グレッグと名乗った男性は、白髪まじりの灰色のこうべを恭しく垂れた。袖口に光るカフスと、深緑色のタイを留める銀色のリングが、見たところ彼の魔道具らしい。

 魔法の補助的な役割を担う魔道具は、装着することで、月の弱い夜にもある程度の魔法を使うことができる。おそらく、彼の場合は護身用といったところだろう。

「はじめまして。どうぞよろしくお願いします」

「お世話になります」

 シャノンとジェリーも、つられて深くお辞儀を返した。

 微笑ましそうに二人を交互に見ていたグレッグの視線が、ふとジェリーの前で止まった。

 シャノンの気のせいだろうか。ほんの一瞬、グレッグの目が何かに想いを馳せるかのように揺らいで見えた。

「早速ではございますが、ただ今をもちまして、シャノン様を『奥様』と、ジェリー様を『旦那様』と呼ばせていただきます」

 本当に早速だった。すでに任務は始まっているのだ。シャノンは、気持ちを切り替えるために深呼吸をした。

 一方のジェリーは、にこにこと嬉しそうに微笑んでいる。緊張感が迷子である。

 グレッグは、皺の入った目元を細めて人好きのする笑みを浮かべた。

「なに、すぐに慣れますとも。それでは中へどうぞ。旦那様、奥様」

 広々とした玄関ホールには、黒を基調としたお仕着せをまとった、二十歳前後の女性が三人並んでいた。

「カルミアです。お二人のお世話をさせていただきます」と、黒い三つ編みを左右に垂らした穏やかそうな女性。

「ヒースよ。厨房担当。よろしくね」と、長い金髪を高く結い上げた活発そうな女性。

「アザレア。…………よろしく」と、栗色の髪をきっちりと編み込んだ、無口そうな女性。

 王太子が厳選しただけあって、アクの強そうな面々……というのが、シャノンの第一印象だった。

「お部屋へご案内いたします」

 グレッグに促されて二人は二階へ。後ろにカルミアが続く。

 案内されたのは、王族が住まうような、豪華な調度品が並べられた広い居室だった。南向きの窓の両側には、寝室と支度部屋へ続くと思われる扉があった。

「身の周りのものは、こちらでご用意しております。何か必要なものがございましたら、何なりとお申しつけください」と、カルミアが言った。

「ありがとう」

 できることなら王宮に置いてきた私服(兄たちのお下がり)を取り寄せたいところだが、友人たちから「イモくさい」とダメ出しされた手前、言いにくい。何より、貴族の奥方(設定)にふさわしくない。

「お庭もよく見えて、とても居心地の良さそうなお部屋ね。ここは、ジェリーとわたし、どっちのお部屋なの?」

「お二人のお部屋でございます」

 当然のように、カルミアが答えた。

「えっ?」

「えっ?」

 シャノンが聞き返すと、カルミアも同じトーンで返す。

「なんで!?」

「なんでと言われましても」

 カルミアは、ふんわりとした笑みを絶やさず小首をかしげた。

「おそれながら、奥様」

 グレッグがやんわりと二人の間に入る。

「これは任務でございます。ごっこ遊びではございませんので。やるならとことん、徹底的にと、メルヴィン様からのお達しです」

 語調は穏やかで口元も柔らかく笑んでいるが、目が笑っていない。「ガタガタ抜かしてんじゃねえぞクソガキが」と、視線で言われた気がした。

「セシア王女がシルクレアへおいでになるまで、一週間。その間、お二人には新婚夫婦になりきっていただきます」

 任務の目的は、セシア王女の護衛兼、監視。

 王女および側近の動向を、王太子へ随時報告。

 演習でもゲームでもない、国交に関わる任務。

「失礼しました、グレッグさん。ご指導のほど、よろしくお願いします」

 気を引き締めたシャノンの言葉に、グレッグの目元がなごむ。

「おれも精一杯がんばります。初めての任務ですから」

 ジェリーが、貴公子然とした凛々しい顔で言う。

「一緒にがんばりましょうね、先輩」

「旦那様、アウトでございます」

 光の速さでグレッグがダメ出しをした。

「ご夫婦ですから。『先輩』は封印なさってください」

「「あっ」」

 盲点だった。

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