第41話 「ごちそうさま。美味しかったわ。」
〇早乙女千寿
「ごちそうさま。美味しかったわ。」
そう言って、母さんが手を合わせた。
明日のイベントに一緒に行くって約束をしたらしい
母さんはあまり旅行もしないからか、うちに泊まるだけでも喜ぶ。
それに、明日の大イベントのおかげで…
「そう言えば…今日珍しい人が来たのよ?」
食後のお茶を飲みながら、母さんが言った。
「珍しい人?」
「ハリーさん。」
「…ハリー?ハリーが母さんの所に?」
つい、世貴子と顔を見合わせた。
母さんはまんざらでもなかったのか、満面の笑み。
「浅井さんの持ち物の中に、指輪があったって持って来てくれたんだけど…残念ながら私宛じゃなくてね。」
「へえ…誰宛ての物だったんだ?」
「それが…ナツキ、サクラ、って名前が入ってて。」
「………」
「どうして浅井さんが持ってたのか分からないのだけどね…」
俺は…
何度も瞬きをした。
…ナツキ…サクラ…
「…母さん、それって…今誰が?」
「え?」
「その指輪。誰が持ってる?」
「ハリーさんが…明日高原さんに見せてみるって。」
「……」
「…千寿?」
高原さんと…さくらさん…
どうして二人の指輪を親父が?
それも不思議だが…
「買った日とか…そういうのは分からないのかな。」
俺がつぶやくと。
「指輪に彫ってあったわよ。'××/12/8って。」
「…12月8日って…」
スタジオ階のフロントにある柱に…丹野さんのレリーフが埋め込まれている。
そこには…丹野さんの誕生日と命日が書かれていて…
「…丹野さんが亡くなった日ね。」
母さんは伏し目がちに言った。
「不思議なんだけど…指輪のケース…丹野さんが亡くなった場所にあった宝石店の物だったわ。」
「え?どうして…そんな事?」
「丹野さんのご両親が再婚されて、丹野さんが贈り物として用意されてたのを浅井さんがセレモニーの時に渡してるのを見たの。とても独特なデザインで…覚えていたのよ。」
俺は腕組みをして考える。
「…それなら、その指輪もセレモニーの時に高原さんに渡しても良かっただろうに…」
日付的に、もう手元にあったはずだ。
「浅井さん…名前に気付かなかったんじゃないかしら。」
「え?なんで。」
「指輪をね?こう…重ねなきゃ名前が出なかったの。」
母さんはそう言って、指で○を作って重ねた。
「…母さんは何で気付いたんだ?」
「変わった模様だなって見ていたら…何となく。」
…今日、陸んちのスタジオの帰り間際…
さくらさんは、高原さんにフラれたと言ってた。
とても切なそうに…
長い歳月を経て…今もそこにある想い。
「どうにか伝える方法がないかな…」
明日は…大イベントであり…高原さんの誕生日。
いつも誰かのために動いて来たあの人の…
高原さんの幸せを、誰もが願ってる。
高原さんとさくらさん…二人の名前が入った指輪の存在を知って…
神さんに電話をした…が、留守電。
陸んちのスタジオの後、みんなで事務所に行ってステージを再度確認して帰った。
知花は神さんと一緒に帰ってたから…もしかして風呂かな。
あの二人は一緒に風呂に入る事で有名だから、知花に電話しても留守電になるはず。
俺は逸る気持ちで、ハリーに電話をした。
『もしもし。』
「あ、ハリー?俺。」
『兄やん?』
「ああ…もしかしてまだ事務所か?」
『うん。一応ホテル取ってもろてるけど、ここのが落ち着くなあ思うて。』
それを聞いて、俺は世貴子を振り返ると。
事務所に行って来る。と小声で伝えた。
世貴子は。
「明日の事もあるから無理しないでね…でも…いいようにしてあげて。」
俺の腕を持って、小声でそう言ってくれた。
それに頷いて、俺はハリーに。
「今から行く。」
そう言って電話を切った。
ガレージから車を出して事務所に向かって走ってると…
「…ん?」
車を停めて。
「光史。」
公園の入り口で光史を見付けて声をかける。
「…セン?」
「何やってんだ?」
「あー…落ち着かなくてさ。クタクタになろうと思って走りに来た。センは?」
「…良かったら、一緒に事務所行かないか?」
「え?」
「ハリーが、高原さんとさくらさんの名前の入った指輪を持ってる。」
「…え?」
「親父が持ってたらしい。」
「……は?」
「とにかく乗ってくれ。」
「あ、ああ…」
助手席に光史を乗せて、俺は今日ハリーが母さんに会いに来た事、その時に指輪を持っていた事…
その指輪の日付が丹野さんの命日だった事…そして…
指輪を重ねると、二人の名前が出来上がる事を話した。
「親父が持ってた…ってのが不思議の一つなんだよな…」
俺がそう言うと、光史は。
「丹野さんとさくらさんが一緒にオーダーしたんだろう。」
言い切った。
「え…?あ…確かに、丹野さんが両親に贈った指輪と同じケースだって母さんが言ってたけど…」
「丹野さんはそこで、瑠歌の母親への指輪も作ってた。セレモニーの前に瑠歌にくれた。」
「さくらさんは、丹野さんと親父と顔見知りだったのか?」
「…三人は一緒に暮らしてた事があるらしい。」
「はあ!?」
その告白に驚いて光史を見ると。
「あぶね!!前見ろ!!前!!」
無理矢理顔を前に向けられた。
「あ…ああ、悪い…って言うか…あの三人が?」
「瑠歌が…三人の写真を持ってたんだ。だけどそれを見ても浅井さんはさくらさんの事が分からなかったみたいでさ…」
「…丹野さんが亡くなった頃の記憶があやふやだとは聞いた事があるけど…」
「さくらさんも、その写真を見ても二人の事が分からなかった。」
…どういう事なんだろう。
そんな事ってあるんだろうか。
親父は、当時の記憶はあやふやだけど…丹野さんの事は覚えてる。
色んな記憶の中で、誰かの事だけ…すっぽりと分からなくなる事なんてあるんだろうか…
「これは…俺の憶測だけど…丹野さんが亡くなった日、二人もそこにいたんじゃないかな。」
「……」
「そして…全部を忘れてしまうような…衝撃的な何かがあったとしか思えない。」
目の前で…丹野さんが撃たれた。
きっとそれは記憶を封じ込めるには十分な事件だったと思う。
だけど…
「さくらさんは…事故に遭って寝たきりになってた…って聞いたよな。」
「…ああ。」
「そのさくらさんと、ずっと一緒に居たのが高原さん…」
「高原さんは…何か知ってる。」
「…知ってる?」
「瑠歌が高原さんにその写真を見せた時、さくらさんの今の幸せを壊したくないから、そっとしておいてくれって言ったらしい。」
「……」
俺達の知り得ない…昔の出来事。
そこに何かがあって…それが今、繋がっていいはずの二人を…遠ざけてる…?
〇神 千里
「…珍しいな。早乙女から着信があったらしい。」
風呂上り。
髪の毛をタオルでガシガシとやりながら、携帯を見てそう言うと。
「…セン?」
知花が不思議そうな顔をした。
留守電には入れてねーみたいだから、間違いって可能性もあるが…
イベント前だからか…気になる。
早乙女の番号を鳴らしてみると…
『あ、神さん?遅くにすみません。』
息を切らしたような早乙女が出た。
…声が響いてるが、どこだ?
「いや、いい。何かあったのか?」
『あー…実は…どこから話せばいいのか…』
「おまえ、今どこだ?」
『事務所です。』
「は?帰らなかったのか?」
『いえ、また来ました。ハリーに用があって。』
「明日の事か?」
タオルを知花に渡して、大部屋に向かって歩きながら話す。
『それが…今日、ハリーがうちの母に会いに来たみたいで。』
「…ん?何でハリーが?」
『うちの親父…浅井 晋の荷物の中に指輪があって、うちの母宛てじゃないかって事で持って来たみたいなんですが…』
冷蔵庫を開けて、ビールを出す。
大部屋では、聖が一人…テレビを見ている。
『その二つの指輪を合わせると…ナツキ・サクラって名前が…』
「……え?」
俺の動きが止まったからか…聖が怪訝そうな顔で俺を見上げた。
『その指輪、丹野さんが亡くなった日の日付が入ってたそうです。』
「……」
『あ、ハリー………い…を…』
電話の向こうで、早乙女がハリーを見付けて何か話している。
その後ろで…朝霧の声も聞こえた。
『…'××/12/8…ナツキ・サクラ…』
「…間違いねえな。」
『それと…丹野さんと親父は、さくらさんと三人で暮らしてた時期があるようで…』
「は?」
『さくらさんが記憶を失った事故は…丹野さんが撃たれた事件と関わってるんだと思います。』
「……」
高原さんは…恐らくそれを知ってて話さない。
と言う事は、思い出させたくないって事だ。
でも、その指輪の存在は…高原さんは知らないはず。
だが…
そんな…記憶を失くすほどの事件があった当時の物を…義母さんに渡して大丈夫だろうか。
「聖、義母さんは。」
俺を見たままの聖に問いかけると、聖は指を上に向けた。
…部屋か。
俺は早乙女と話しながら二階に上がる。
「とりあえず、その指輪は持っててくれ。高原さんにも…義母さんにも話さないで欲しい。」
『分かりました。』
二階に上がって、義母さんの部屋の前まで来ると…灯りが漏れてる。
…起きてるな。
「義母さん。」
襖の前で声をかけたが…返事はない。
「…開けますよ。」
ゆっくりと襖を開けると…部屋はもぬけの殻だった。
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