第33話 「神さぁん、少し休ませてくださぁい。」

 〇神 千里


「神さぁん、少し休ませてくださぁい。」


「……」


 BackPackは今日も…ゆとり全開だった。


 ゆとりが悪いとは言わない。

 むしろそれがいい時もある。

 だが…今は…いいとは思えない時だった。


 俺は叱る気力もなくて、溜息をついて深く首を曲げた。


「…おまえら、なんでギターソロ明けるとガクッとテンションが落ちるんだよ…」


 途中までは勢いも元気もあってカッコいいのに…

 ソロが終わった途端漂う終了感…


「曲が長くてぇ。」


「…Deep Redには8分の曲もあるぜ?」


「8分!?無理ーっ!!」


「てか、Deep Redって誰ですかぁ?」


 ……


「おい、おまえら…会長のバンドも知らねーのかよ。」


 さすがに眉間にしわを寄せた。

 いくらなんでも…冗談だろ?


「あたし達、基本人の歌聴かないしーっ。」


「……じゃ、俺の歌も知らない、と。」


「神さんの名前は知ってますよー!!」


「……」


 名前は知ってても、歌は聴いてないっつー事だな…


「…はー…」


 大きく溜息をついてうなだれると。


「あーっ、神さん元気ないっ。」


「元気出させてあげるーっ。女子大生パワーっ。」


 そんな事を言いながら、ボーカルの美佳が俺の腕に抱きついて来た。

 …やたらと胸を押し付けて。


「…おまえの胸なんかじゃ一ミリも勃たねーよ。」


 冷たくそう言うと。

 美佳は少しムッとして。


「神さん不能なんですか~?」


 さらにグイグイと押し付けて来た。

 …娘ぐらいの歳の奴に…俺は舐められてんのか…


「いい加減にしろ。何しに来てんだ。」


「えー?神さん今日怖ーい。」


「奥さんとケンカですかー?」


「せっかく若いあたし達に囲まれて幸せなのに、そんな顔しないでくださいよー。」


「……」


 俺は少し乱暴に美佳の腕を振りほどいて。


「俺がいつ若い女を好きっつった。あ?俺は嫁以外の女には興味ねーんだ。ふざけんなよおまえら。音楽やる気ねーなら辞めろ。帰れ。もう二度と来んな。」


 低い声で早口でそう言って。

 ついでに座ってたパイプ椅子も蹴り倒した。

 スタジオ内では小さく悲鳴も上がったが知ったこっちゃない。

 何が悲しくて、こんな茶番に付き合わなきゃいけねーんだ。


 俺は…


 忙しいんだ!!



 無言でスタジオを出て歩いてると、前方から高原さん。

 …ちょうど良かった。


「高原さ…」


「千里、少し時間あるか?」


「え?ああ…はい。」


「…どうした?元気ないな。」


「……」


 知花が男を作って…なんて言えねーし。


「…BackPackがキツイです…」


 情けない声でそう言うにとどまった。




 二人で事務所を出て少し歩くと…噂の『エルワーズ』にたどり着いた。


「ここの紅茶が美味くて。」


「…そうですか。」


 高原さんはコーヒー党で有名なのに…と思いながら、二人で店の奥に。

 …茶葉とか何とかって売り切れる菓子の販売だけかと思いきや、店の奥にイートインコーナーがあった。


「……」


 そこで俺の足が止まる。


「…あれ?知花?」


 高原さんが知花を見付けて俺を振り返った。

 知花の向かい側には…


「…里中?」


 俺が眉間にしわを寄せて言うと、高原さんは知花と俺を交互に見て。


「修羅場にするのか?」


 とぼけた口調でそう言いながら、俺の肩を叩いた。


「……」


 買い物用の男が…まさか里中だったとは…

 業界をやめて…今何してるのかも分からないような男と…

 知花は…


「おう、里中。」


 俺がわなわなと立ち止まってると、高原さんが明るく手を上げながら二人のテーブルに近付いた。


「あ…た…高原さん。」


 里中は驚いて立ち上がって。


「ご無沙汰してます。」


 高原さんに深々と頭を下げた。


 知花は少し離れた位置に俺がいる事に気付いて…


「……」


 バツの悪い顔をすると思いきや…

 何でそんな所にいるの?って顔してる。


「千里、来いよ。」


 高原さんは隣のテーブルとイスを引っ張って里中の隣に座った。

 俺は…必然的に知花の隣に。


「いつ帰国したんだ?」


 高原さんが里中に問いかけると。


「今年に入ってからですよ。」


 里中は…俺と同じ歳とは思えない、やたらと若ぶりな笑顔。

 ほんと…おまえ、何だよそのチェックのシャツ。


「ずっと向こうにいたのか?」


「はい。色々勉強がしたくて。」


 それからも…高原さんの質問は続いた。

 今は何の仕事をしてるのか…結婚はしたのか…歌もギターももうやってないのか…

 それについて里中は、修理屋をしてて独身で、音楽はもっぱら聴く側だ…と。

 知花はそれをニコニコしながら聞いてる…のが視界の隅っこに。


「…おまえらケンカでもしてんのか?」


 突然高原さんが俺と知花に言った。


「…は?」


「千里が人前なのにいちゃついてない。」


「……」


 俺が無言でいると、知花は小さく笑って。


「ケンカじゃなくて、あたしがフラれたの。」


 そう言った。


「な…」


「あたしと買い物行きたくないから、一緒に行ってくれる男探せって言われちゃった。」


 な…何言ってんだ!!

 行きたくねーから言ったんじゃねーよ!!


「酷いな千里。」


「それは傷付くね。」


 里中!!おまえが言うか!?


「で、里中がその買い物相手か?」


 高原さんが知花と里中に問いかけると。


「自動車学校が一緒なの。」


 知花から…思いがけない言葉が…


「え?里中…免許持ってなかったのか?」


「ええ、実は。向こうにいる時取っときゃ良かったのに、目先の事に必死で忘れてました。」


 里中は…

 喋れば喋るほど…好青年…好中年…だ。


 くそっ…!!



「自動車学校で男見付けるなんて、ラッキーだったな。」


 腕組みをしたまま、つい冷たく言ってしまうと…高原さんが軽く噴いた。


「あっああ…すまん…千里、拗ねてるのが丸分かりだぞ?」


「すっ…」


 拗ねてなんか…!!


「あー…ごめん、神。奥さん…かなり特殊な事に詳しいから、俺がアドバイスもらってたんだ。」


 里中は笑いながら…俺に手を合わせた。

 …ん?


「…特殊な事?」


「アンプの修理の事で。」


「……」


 横目で知花を見る。


 …確か…こいつ…

 母さんと同じで、何かを分解したり作ったりするのが好きだったよな…


「電子基盤のTTDFにPOCCKを固定すると、ボードを介した時に出る音に広がりが出るとか…俺ギター弾いてる時も試した事ありませんでしたよ。」


「あはは。知花、おまえは相変わらずオタクだな。」


「…自分の知識を話せる人がいるのが嬉しくて…つい…」


「……」


 悔しいが…

 俺にはサッパリ分からない。

 …麗が言ってた知花の趣味は…これか。

 でも知った所で…俺は話しを聞いてやれねーし…



 結局最後まで無言で紅茶を飲んだ。

 高原さんは里中と知花の話を聞いて笑ってたが…俺にはよく分からなかったし、笑う気にもならなくてボンヤリしてた。


「すいません…ごちそうになってしまって。」


 里中が高原さんに頭を下げる。


「車を買ったわけじゃないから、そんなに深く頭を下げるな。」


 高原さんはそう言った後。


「ああ…千里、明日また時間取ってくれ。」


 俺を振り向いて言った。


「…はい。」


「もう何もないなら、このまま一緒に買い物でもして帰ったらどうだ?」


 高原さんは俺を指差して。


「買い物ぐらい付き合うのがいい男だぞ。」


 …釘を刺された。

 それでも俺が無言でいると…


「…奥さん、技術の話が4、おまえの話が6だったよ。」


 俺の腕を引いて…里中が言った。


「…あ?」


「愛されてんな、おまえ。もっと大事にしろよ。」


「……」


 知花が…俺の事を里中に…?

 内容が知りたい気もしたが…それはさすがに聞けねー…


「それと、俺は買い物付き合ってないよ。荷物持ちで付き合おうかって言ったらやんわり断られたから。」


「……」


 里中はそれだけ言って歩いて行きかけて…


「あ、やっぱ違う。技術の話が4、おまえの話が5、教習の話が1だな。」


 そう言い直して…


「じゃ、また学校で。」


 知花に手を上げて歩いて行った。


「……」


「……」


 知花は俺の後に立ったまま。

 俺も…ポケットに手を入れたまま…

 …さて…どうする?俺…。



「…麗しか、話せる相手がいねーんだよ。」


 俺が爪先を見下ろして言うと。


「…え?」


 よく聞こえなかったのか…知花がゆっくりと隣に来て首を傾げた。


「…バカかって思うかもしんねーけど…おまえの自慢話…話せるの…麗しかいねーんだ…」


「……」


 知花は…口を一文字にして…目を丸くしてる。


「はいはいって流すけどさ…ちゃんと聞いてくれるし…」


「……」


「こんな…何年も夫婦してる奴の惚気なんて…聞いてくれる奴いねーだろ?けど…俺は毎日だって誰かに言いたくてたまんねーんだよ。俺の嫁さんサイコーだって。」


「……やだ…」


 知花は小さくそう言って、両手で頬を押さえた。


 …ほら…

 そんな顔もまた…俺が自慢したくてたまんねー顔なんだよ…!!


「…買い物…行くか?」


「……いいの?」


「…その代わり…知らねーぞ?」


「何が…?」


「…俺、色々…その…」


 自分でうぜーって思うぐらい…

 たぶん俺は知花に密着するはずだ。

 家や事務所でのそういうのとはまた違う…

 普段と違う場所での知花に…

 絶対俺は萌える。


「色々…たぶんおまえ…」


「行く。」


 俺が言い渋ってると、知花が照れ臭そうな笑顔で俺を見た。


「…ん。」


 手を差し出す。


「…うん…」


 知花がそれをゆっくり握り返す。

 手を繋いでゆっくり歩いて…俺はたぶん初めてと言っていいほど…初めて。

 知花と…


 スーパーに行った。



 だが…


「…やべーな。」


「え?」


「おまえが肉選んでる顔見ただけで…来る。」


「えっ…あ、千里…こんな所で…ダメだってば…」


 精肉コーナーの前で…首筋に顔を近付ける。


 ダメだ!!

 普段見ねー顔見たら…それだけで無理だ!!


「も…もう…買い物進まないよ…あたしを見ないでいいから、食材見て?」


「おまえ以外興味ねーし…」


「…嬉しいけど…困る…」


 腰を抱き寄せて、ずっと耳元で囁いた。


「…マジでもう我慢できねー…」


 最初は押さえてた俺も…ついに我慢できなくて言いたい放題。

 知花はずっと困った顔…


「お…お店の外で待っててくれる?」


「…せっかく一緒に来たのに?」


「…すぐ行くから…」



 知花は相当困ってた。

 困ってたが…


「…また一緒に買い物行ってくれる?」


 帰って冷蔵庫に食材を詰め込みながら…満面の笑み。


「……いつか、な。」


 ぶっちゃけ…楽しかった…とは思う。

 が…

 冷静になって客観的に自分を見た時…

 か…カッコ悪すぎる……_| ̄|○…


 知花にそんな俺を見せたくない!!(今更)



「えー、買い物行ったの?千里さんが?スーパーに?」


「ふふっ。うん。楽しかった。」


 義母さんと楽しそうに話してる知花の声を背中に受けて。


 …また、いつか。

 知花の機嫌が悪い時なんかになら…

 行ってやっても…いーぜ?


 なんて思った。

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