第7話 「退院おめでとう~!!」
〇桐生院さくら
「退院おめでとう~!!」
クラッカーが鳴り響いて。
大部屋は拍手でいっぱいになった。
貴司さんが、一時退院した。
一時、なんだけど…今夜は大晦日っていうこともあって、みんなで盛り上がっている。
「退院なんて大袈裟だな。またすぐ病院に戻るのに。」
そう言いながらも、貴司さんは嬉しそう。
パジャマのままだけど大きな座椅子に座って、華音の作った三角帽子なんかをかぶらされて。
何だか…一気におじいちゃんになったなあ…なんて思った。
「ところで、面談ってみんな何言われたんだ?」
ふいに、華音がみんなを見渡して言った。
それ!!
あたしも知りたいよー!!
だって、あたしには全然面談なんてなかったし!!
会社を継ぐ事になって慌ただしくしてる聖の様子を、深田さんに聞いてきてくれって頼まれたり…
ずっと気になって買わないままでいた花器が欲しくなったから、買いに行ってくれって頼まれたり…
まあ、頼まれごとされるの好きだから、いいんだけどさあ…
「今後、仕事はどうして行くんだとか…」
「結婚式の予定についてとか…」
「オーストリアの華道会長に挨拶に行けとか…」
みんな、本当に面談みたいな事されてて。
何だか…ちょっとうらやましい気がした。
貴司さん、学校の先生みたいだよ…。
「詩生君、飲まないのかい?」
貴司さんが、華月の彼氏である早乙女詩生君に声をかけると。
「あっ…父さん、それタブー…」
聖が苦笑いをして…詩生君はうなだれた。
「え?禁酒でもしてるのかい?」
「…おじいちゃま、知ってて塩を擦り込んでるように思えるんだけど。」
貴司さんの言葉に、華月のツッコミ。
それがおかしくて、みんなクスクス笑い始める。
…思い出に出来てるのかな…?華月。
あんなに苦しい思いをしたのに、『好き』が勝った。って。
…すごいな…
孫なのに、尊敬しちゃうよ…。
「その分、志麻が飲め。」
詩生君にお酒を飲ませたくないのは華月だけじゃないみたいで。
千里さんは詩生君の前にあったお酒を、咲華の婚約者の志麻さんに渡した。
「…潰れない程度にお付き合い致します。」
「ほほお…いい度胸だ。」
娘の彼氏相手となると、ムキになる千里さん。
結局、そこに陸さんも加わって…
貴司さんが疲れて部屋に帰って横になっても、大部屋では宴会が続けられて。
年が明けて…朝方、一番元気だったのは…
「詩生、飲んでないのに寝ちゃうなんて!!」
華月だった。
〇桐生院咲華
「大丈夫?」
少し寒いけど、広縁で酔いを醒ましたい…って、しーくんが言って。
あたしは温かいお茶を持って隣に座る。
「ああ…桐生院家はみんな酒が強いな。」
苦笑いのしーくん。
…婚約が決まって…幸せいっぱいだった。
なのに、おじいちゃまの余命宣言…
信じたくないし…信じられない…
おじいちゃまは入院して…毎年恒例の母さんと華月と聖の誕生日会は延期。
だけど、今夜…こうして大晦日に一時退院して、華月の彼氏の詩生君と…しーくんも駆け付けてくれた。
「…おじいさん、元気そうだ。きっと良くなられるよ。」
少し眠そうな顔をして、しーくんが言ってくれた。
「…うん。あたしも…そう思う。」
そうだ。
きっと、良くなる。
だって…良くなかったら帰ってこれないよね…?
「……」
ふと…床に着いた手に、しーくんが手を重ねて来て。
あたしは…少し顔を赤らめた。
まさか…しーくんの事、こんなに大好きになるなんて…
そして…しーくんもあたしの事…好きになってくれるなんて…
ここに来るまで、色々あったけど…
それでも、この人と将来の事を約束出来て…本当に幸せだ。
おじいちゃまには、あたしのウエディングドレス姿見て欲しい…
…あ、着物がいいかなあ…?
「何考えてる?」
あたしの手を握って、しーくんが言った。
「…着物がいいかな、ドレスがいいかな…って…」
照れ臭いけどそう言ってみると。
「…どっちも似合いそうだ。」
しーくんは目を細めて…優しい声で言ってくれた。
「…式…挙げてくれるの?」
「もちろん。どうして?しないとでも思った?」
「うん…何となく…」
しーくんは二階堂で働く人で…
いつも危険と背中合わせ。
正直…結婚式なんて…夢でしかない気がしてた。
「ただ…どうしてもハッキリした日取りはまだ組めないから、もう少し待たせてしまうけど…」
申し訳なさそうなしーくんの声に、あたしは首を横に振る。
「アメリカだけじゃなくて、ドイツにも行ったりしてるんだもの…忙しいのは十分解ってるつもり。」
「…ごめんな。」
しーくんの手があたしの頬に触れて。
あたしは…いまだに慣れなくて…ドキドキしてしまう。
こんなので…結婚なんて大丈夫かなあ?
「今夜は…泊まれるの?」
詩生君は華月の彼氏だけど…聖とも仲が良くて。
そして、バンドをしててビートランド所属という共通点があるからか、華音とも仲がいい。
だから、今夜は最初から泊まらされる覚悟で来たそうだ。
ちょっと…羨ましい。
「いや…もう少ししたら帰るよ。さすがに元日の朝休むわけにはいかないから。」
二階堂では、元日の朝に集合して挨拶があるらしい。
…そうだよね。
休めないよね。
「ごめんね…それなのにこんなに付き合わせて…」
詩生君が飲めない分を…と、父さんにたくさん飲まされたしーくん。
顔色も変えずに飲んでたけど…さすがに飲み過ぎたみたい。
「楽しいよ。」
「ほんと?」
「ああ。咲華の家族は…温かいな。」
「…ありがとう…」
しーくんの肩に寄り添った。
あたしは…家族が誉められるのが大好き。
あたしの自慢の家族。
「…好きだよ。」
そのまま…唇が近付いて。
「あたしも…」
小さく答えると…優しいキスが来た。
…どうか…
この幸せが…夢でありませんように…
だけど…
おじいちゃまの病気は…
夢でありますように…。
〇桐生院貴司
「…お母さん。」
私が声をかけると、母は少しウトウトしていたのか驚いたように顔を上げた。
「…なんですか。」
「ああ…いや、疲れているのに来なくていいんですよ?」
年が明けて三日。
私はまた病院に戻った。
入院する前は息苦しさや空咳が続いたりしたが、一時退院してからはそれもなくなって…
もしかすると元気になったんじゃ?とみんなは陰で噂をしていたようだが…
それはない。
最後の明かりが燃え尽きる前に、私をクリアにさせてくれているのかもしれない。
「…家にいてもする事がないんですよ。」
「ここにいてもないでしょう?」
「家で居眠りするよりは、ここの方が気が楽です。」
「ははっ…じゃあこちらに頭を乗せて、楽にして下さい。もしくはソファーに横になるとか。」
私の提案に、母は少し考えて。
「誰かが来たら困るのでソファーはやめときますよ。」
苦笑いをして…ベッドに両手を乗せると、その上に頭をゆっくりと置いた。
「…貴司。」
「はい。」
「色々…ありましたね。」
「…本当に。」
「…あなたが私の息子として来てくれて…私がどんなに幸せだったか…」
「……」
母の言葉に…私の心臓が大きく高鳴った。
近年、こんな事になったのは覚えがないほどの…高鳴りだ。
「テレビもラジオもない、地味で質素な生活をしていた私と華穂(かほ)の所に来てくれて…文句も言わずに桐生院の長男になってくれて…」
「お母さん…」
私は上半身を起こしたが、母は頭をベッドに乗せたまま。
「華穂が事故で死んだ時…私はあなたがいなかったら…後を追ってしまっていたでしょう。」
「…そんな事…」
「桐生院の生活は…あなたにとって、楽しい物じゃなかったと思います。生活の音しか響かないような静かな家の中で、年頃の男の子が幸せなど感じる事はできないと分かっていましたが…私にはどうする事も…」
「……」
私は母の肩にそっと手を置いた。
「…私は…十分幸せでしたよ。」
本当に。
これ以上ないぐらいに…幸せだった。
「父の愛人の息子である私を…厳しく…そして優しく育てて下さった。ずっと、感謝の気持ちしか持っていませんでした。」
「愛人の息子だなんて、一度も思った事はありませんよ。あなたは最初から私の息子でした。」
「…っ…」
初めて…
病気だと知って、初めて…涙が出た。
私は…この愛しい人を置いて死ななくてはならないのか?
さくらには…まだ将来が、夢が残っている。
だが、母はもう高齢だ。
杖を使わず歩くほど元気だと言っても、風に煽られて倒れてしまいそうなほど痩せている。
「貴司…安心なさい…あなたを一人では逝かせやしませんよ…」
ふいに…母が静かな声で言った。
「…何を…」
涙を拭いながら答える。
「あなたと私が死んだ後にこそ、桐生院には新しい未来が訪れる事でしょう…」
「……」
「本当なら、華穂が死んだ時に終えていた命です。貴司に助けてもらった命です。あなたが終わる時には、私も終わりますよ。」
「…お母さん…」
それは…おかしな事に、とても力強く…愛を感じた。
だが、私の命の事情に母を付き合わせるわけにはいかない。
「お気持ちだけで十分です。どうか…まだまだ長生きして、咲華と華月の結婚式を見届けてやって下さい。」
私がそう言うと、母は静かに顔を上げて。
「…そうですね…でもきっと、私はあなたが死んだら…心臓発作を起こして死にますよ。」
私に向かって…微笑んだ。
〇高原夏希
「……」
俺は、その会話を…複雑な気持ちで聞いていた。
貴司の病室のドアが少し開いていて…そこから聞こえた会話は、貴司と、その母親の物だった。
貴司が死んだら自分も死ぬ、と。
母親は、まるで長年連れ添った夫婦のように…
そして、愛し合っている恋人同士のように…貴司にそう告げた。
ドアの横の壁にすがって、腕を組んでいると…
「……」
母親が、ゆっくりと出て来て。
俺の顔を見て…静かに笑った。
そして、少し歩を進めて振り返って…俺に手招きをした。
「初めて、こういう所に入りました。」
母親を連れて一階にあるコーヒーショップに入ると。
少しだけキョロキョロとした母親は俺に笑いかけて。
「こんなおばあちゃんといたら、恥ずかしくないですか?」
そう言った。
「上品な着物のご婦人と同伴なんて自慢ですよ。」
俺がそう言って前髪をかきあげると、母親は少しうつむいて小さく笑った。
「…聞こえましたか。」
「……」
問われた事に答えずにいる事が答えだと分かっても、俺は知らん顔が出来なかった。
貴司が死んだら死ぬ。
貴司のいない桐生院に、自分の居場所はないとでも言わんばかりに…
「俺は…」
コーヒーを持ち上げた手を、一旦下ろした。
「…俺は15の時に母をなくしました。」
組んだ足を下ろして…テーブルに両手を置く。
「最初、桐生院家と付き合うなんて頭はなかった。なのに…混乱していた俺は…あなたと貴司に言われるがままに…」
つい鼻で笑ってしまうと、母親も口元を隠しながら肩を揺らせた。
「まるで…脅迫でしたね。私達親子はなんて酷い事をしたのかしら…」
「…それでも…付き合っていくうちに、俺はあなたを本当の母親と錯覚してしまう事が幾度となくありました。」
「……」
「俺の身体の心配をしてくれたり…弁当を持たせてくれたり…ああ、俺の事を想ってくれてるんだと思う瞬間は、幸せに感じました。」
それは…本音だった。
いくら俺が…貴司の都合のいいように、桐生院家の都合のいいように…駒として必要とされているのであったとしても。
貴司と母親に挟まれてそこにいると…俺に母と弟が出来た。と思う瞬間が、俺にはあった。
その錯覚を笑ってしまう自分もいたが…
いつの間にか、それは幸せな錯覚となっていた。
さくらと別れて、失意のどん底にあった俺は…
貴司に言われるがままに…さくらの幸せを目の当たりにする辛いポジションを選んだ。
だが、全ては考え方だ。
俺は…周子の夫となった。
さくらへの気持ちはすでに封印して…捨てた。
幸せな大家族の様子を、まるでドラマでも見ているかのように…傍観者となってそこにいた。
…俺の立ち位置はそんなもんだ。
そんな俺に、貴司と母親の優しさが沁みる日は…俺も特別な感情を抱いた。
この人達を…大事にしたい、と。
「私も、あなたの事を…少なからずとも…そして厚かましくも…息子のように思う日がありました。」
「厚かましいだなんて…」
「いいえ、厚かましいですよ…あなたは世界的に有名な方です。私なんかが母親気取りになるなんて、とんでもなく失礼な事です。」
そう言って母親は、めったに飲まないというコーヒーに口をつけて。
「あら…美味しい…」
小さく笑った。
そして…
「もし…あなたが私の事を母親と思って下さるなら…」
カップを眺めていた視線を、俺に向けた。
「…高原さん。」
「はい。」
「…お願いが、あるんです。」
「……」
そう言って、母親は…中腰になってテーブル越しに俺の耳元に顔を近付けて…手でそれを隠した。
俺も前のめりになって、母親の口元に耳を近付ける。
「…私が急死しても…解剖はさせないで下さい…」
「……」
ゆっくりと離れて行く母親が。
テーブルの前ではなく…はるか彼方に行ってしまう気がした。
…死なないで下さい。
そう言いたかったが…
言えなかった。
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