第6話 昨日の貴司の留守電に折り返してなかったと思い、朝一で連絡すると。

 〇高原夏希


 昨日の貴司の留守電に折り返してなかったと思い、朝一で連絡すると。


『ちょうど良かった。今日付き合ってもらえませんか?』


 そう言われて…大学病院に呼び出された。

 そして、言われた通りロビーで待ち合わせると。


「実は今日から入院するんです。」


 貴司は何でもない事のように、穏やかに言った。


「……」


 入院すると言われて、辺りを見渡した。


「一人で来たのか?」


「まずは。後から誰かが来るでしょう。」


「……」


 貴司は手ぶら。

 つい、小さく笑ってしまうと。


「手ぶらなのがおかしいですか?どうせすぐ着替えさせられますし、必要な物は後から誰かが持って来ます。」


 貴司は俺の顔を覗き込んで、いたずらに笑った。

 …バレたか。



「それにしても…『誰かが』ってどうなんだ。ジャンケンでもして勝った奴とでも言うのか?知ってたら俺が荷物受取に行ったのに。」


 師走で多忙なのだとしても、桐生院家…薄情だぞ?

 主が入院すると言うのに。

 そんな事を考えていると。


「実は、みんな受け入れられないようだったので、『先に行く』と書き置きを残して、コッソリ出て来たんですよ。」


 貴司は歩きながら笑った。


「…受け入れられない?」


 隣を歩きながら聞き返すと。


「末期の肺がんなんです。もう、長くありません。」


「……」


「そろそろ…もういい頃でしょう。」


 貴司は、いつもと変わらないトーンで言った。


 …末期の肺がんで…長くない?


「…待てよ。」


 歩を進める貴司の腕を掴む。


「もういい頃って何だ。」


 俺の言葉に貴司はじっと俺の目を見て。


「もう…十分幸せを味わったという事です。」


 穏やかに微笑みながら言った。


「な…」


「これ以上幸せになると…天罰が下りそうなので。」


「バカ言うな。病気は…肺がんは…治療するんだろう?」


「とりあえず詳しい検査を受けろと言われました。しかし…恐らく治療は無理でしょう。」


「……」


「いいんです。それよりも、入院した方が仕事を休めると思って。」


「…バカか。こんな時に仕事なんて…」


「あなただって、きっとそうしますよ。」


「……」


 それから貴司は受付を済ませて。


「五階だそうです。」


 俺と一緒に五階に上がった。

 入院する部屋は南向きの綺麗な個室だった。


「…残った時間で、色々話したい事があります。」


 ベッドに座った貴司は、本当に…穏やかで。

 死が近付いているような人間には思えなかった。

 …むしろ…

 それを待っていたかのように…

 嬉しそうにも見えた。




 〇神 千里


 親父さんの衝撃の告白から一夜明けた。

 桐生院家は…


「そんなに持ってくのかよ。引っ越しじゃねーんだから、減らせよ。」


「もうっ。華音があれもこれもって言ったんじゃない。」


「あ?俺じゃねーよ。聖が…」


「いや、ノン君。それ人のせいにしない。」


「華月、キャリーケースよりボストンバックの方が良くないかなあ?」


「だよね?お姉ちゃんもそう思うよね?あたしもそれがいいって言ったのに、お兄ちゃんが大は小を兼ねるって…」


「それも聖が…」


「だから言ってないって。」


 …緊張感の欠片もなかった。


 薄情な奴らだ。



「母さん、パジャマがいいかな。それとも浴衣がいいかな。」


「え?病院の検査着じゃないの?」


「用意する物の所に『寝間着(前開き)』と書いてありますよ。」


「浴衣は病人って感じだから、パジャマにしようか…」


「知花…義母さん、浴衣で寝てる…」


「はっ…ちっ違うよ!!おばあちゃまは昔からそうだから、別に病人みたいとは思わないし…!!」


「まあ、風邪もひかないしね。」


「元気よね…おばあちゃま…」


「もしかして、何とかは風邪ひかないっていう…」


「…さくら。」


「あ…あー、やっぱりキャリーケースでもいいんじゃない?タオルとか入れると、こんなになっちゃうよ!!」


「さくら、タオルはそんなに何枚も要りません。」


「でも、要らないぐらいあった方が、足りないよりは…」


 …やれやれ…

 どうしてこんなにみんな…危機感がないんだ?



「あまり大荷物にするな。帰って来るなって言ってるみたいだ。」


 俺が大部屋の入り口に立って言うと。


「そんな言い方やめて。お父さん酷い。」


 咲華が俺をキッと睨んでピシャリ。


 …こいつ、志麻と付き合い始めてズケズケと物を言うようになりやがった。

 黙ってれば華音と双子って感じだが、口を開くと知花似のふわっとした感じが可愛くてたまんなかったのに。

 よく食ってよく寝るところも可愛かったのに。

 …女って、男で変わるもんだな…

 嫁に出るとか…マジ悲しい…


 華月にしても…今すぐはないにしても…いずれ嫁に出る。

 …本当に詩生でいいのか?

 一度他の女を妊娠させたんだぞ?


 …可愛い娘が二人とも結婚が近いなんて…


「…はあ…」


 つい溜息をつくと、華音が眉間にしわを寄せて。


「親父がそんなにへこんでどうすんだよ。」


 俺の肩に手を掛けた。


 …親父さん。

 すいません。

 娘の事ばかり考えて…

 俺も薄情でした。




 〇桐生院知花


「誕生日会は、ちゃんとやるんだぞ?」


 あたしはその言葉に振り返って、父さんの顔を見た。



「…悪いけど、そんな気分になれないわ?」


 入院二日目。

 父さんは…末期の肺がんで長くない…って告白したけど。

 みんな、どこか嘘のような気がしてて。

 初日はみんなで押しかけて、なかなか帰らなかったもんだから…


「頼むから、帰ってくれ。休みたいんだ。」


 なんて…父さんが申し出るぐらいだった。


 それから…

 一人ずつ、来て欲しい。と。


 今朝は華月が呼ばれて来てたけど…そこでもやっぱり誕生日会の事を言われたみたいで。

 あたし同様、華月もそんな気分じゃないと言ったらしい。



「…私のせいで恒例行事がなくなるのは、いただけないな。」


「その分、退院したらお祝いしてもらうから。」


 あたしは希望も込めて言ってみたけど…父さんは静かに笑うだけだった。



「麗と誓には?」


「…千里が連絡したわ。麗は今日来るんじゃないかしら。誓は来週帰国するって。」


「やれやれ…この忙しい時期に、とんだ厄介者だな…私は。」


「もう。そんな事言わないでよ。」



 あたしの所属するバンド『SHE'S-HE'S』のギタリスト、二階堂陸と結婚した麗は。

 結婚後も、しょっちゅううちに通ってる。

 長女の紅美は、うちの華音とバンドを組んでデビュー。

 今はエマーソンのラストアルバムのシンガーに抜擢されて、単身渡米している。

 大事なレコーディングだけに…麗も紅美には連絡していないらしい。

 長男の学はイギリスに留学中だけど、もうすぐ冬休みで帰って来る。


 誓は、大学時代の同級生、乃梨子ちゃんと結婚して…

 一年の大半を、海外で過ごしている。

 世界に華道の素晴らしさを伝承していきたい…と、二人で海外に進出した。

 子供がいない事を気にしていた時期もあったようだけど…

 今は、ちゃんと…二人で同じ方を向いて、頑張ってる。


 うちは…大家族だ。

 だからって、一人でもいなくなるのは寂しい。

 麗がお嫁に行った後も…

 誓と乃梨子ちゃんがうちを出た時も…

 華月が二年ほど渡米していた時も…

 別れじゃないのに…寂しくてたまらなかった。


 …分かってる。

 おばあちゃまなんて…93歳。

 いつお別れが来てもおかしくない。

 だけど、父さんは…まだ覚悟なんて出来ない。



「…知花。」


 ふいに、父さんがあたしの手を握った。


「え?」


「…ずっと…高原さんに…悪かった。と…思ってるんだろう?」


「…え…」


 父さんの言葉に心臓が跳ね上がった。


「ど…どうして…そんな事?」


 悟られまいとしたけど…それはたぶん無理。

 父さんは穏やかな顔のままあたしを見つめて。


「私も…同じだから、解るんだよ。」


 小さく…そうつぶやいた。




 〇神 千里


「毎日誰かと面談なんて、仕事してるのと同じじゃないっすか。」


 俺がそう言うと、親父さんは声を出して笑った。


 入院五日目。

 思えば入院当初は顔色も悪かったが…仕事がない分少し気楽なのか、親父さんの顔色は病人とは思えない。

 だが、ここ四日間。

 まるで個人面談かのように…桐生院家の人々を一人ずつ呼び出しては話しをしている。


 初日は全員で来て鬱陶しがられて。

 二日目は華月と知花と咲華がそれぞれ呼ばれて。

 三日目は、華音と聖と麗。

 四日目は、陸と冬休みで帰って来た学。

 で、今日は…俺。


 ばーさんと義母さんは、毎日空いた時間に顔を覗かせているが、だいたい眠っているらしい。

『あたしにも面談~!!』と、義母さんは言うらしいが…

 …明日か?



「…千里君。」


「はい。」


「君には…本当に感謝してるよ。」


 ベッドに横になったまま、親父さんは天井を見ながら言った。


「今感謝されても困ります。」


「困るのかい?」


「困りますよ。まだ感謝されるような事、したつもりないんで。」


「……」


「俺が親孝行したって思えるまで、悪あがきして欲しいっすね。」


「…ふっ…悪あがきか…」


 親父さんはくっくっと笑って、俺を見ると。


「君が最初うちに来た時…本当はかなり面食らったんだよ。」


 すごく珍しく…素面なのに満面の笑みで言った。


「…いや、まあ…そうっすよね…知花はまだ高校一年だったし…」


「ああ…懐かしいな。」


「面食らったのに、よく結婚許しましたね。」


「…好きな相手と一緒にさせてやりたかったからね…」


「……」


 その言葉は…当時偽装結婚を目指してた俺には、少し痛かったが。

 親父さんの言う『好きな相手と一緒にさせてやりたかった』が…

 義母さんの事を言っているようにも思えた。



「もし…」


「?」


「もし、私が死んだら…さくらを…自由にしてやって欲しい…」


「……」


 それは…高原さんと…っていう意味だろうか。

 親父さんの言わんとしている事は、分からなくもないが…


「義母さんは十分自由人に見えるんすけど…これ以上何させるつもりっすか…」


 俺が額に手を当てて言うと。


「あははは!!それは確かにそうだ!!」


 親父さんは…本当に楽しそうに。

 心配になるぐらい…楽しそうに、声を出して笑った。




 〇高原夏希


「横になった方が良くないか?」


 貴司に呼び出されて病院に来た時は、すでに時計の針は22時をまわっていた。


「座っていたいんです。」


 貴司は少しベッドを起こした状態で、背中にクッションを挟んで座っていた。



 入院して一週間。

 顔色はいいように感じるが…

 …痩せた。

 仕事をしている間は、まだ気が張っていたのかもしれない。



「…高原さん。」


「ん?」


「さくらとの…馴れ初めを聞かせてもらえませんか?」


「……」


 椅子を出して座りかけた所にそう言われて…

 俺は少し躊躇してから…座った。


「もう…昔過ぎて忘れたな。」


 小声でそう言いながら笑うと。


「教えてくれないと、同じ質問をさくらにもしますよ?」


 貴司はさらっと意地の悪い事を言った。


「…なんだって、そんな事を聞きたいんだ?」


「さあ…ただ、知りたいんです。」


「……」


「聞かせて下さい。」


 俺は椅子に深く座って溜息をつくと。


「…ぶつかったんだ。」


 話し始めた。



 …さくらとぶつかったあの日。

 さくらは、この後歌うから見に来てくれと言った。

 そこそこに売れてた俺に向かって、ライヴを見に来てくれなんて。

 新鮮過ぎて…その気になった。


 誘われた店に見に行くと…Deep Redを結成するキッカケになったDeep Purpleのカバーバンド。

 上手くはなかったが、さくらはとてもいい声をしていて。

 他の歌も聴いてみたいと思った。


 他の日にピアノの弾き語りをしてると知り、通うようになった。

 ボイトレもした。

 さくらが育っていくのが、楽しくて仕方なかった。

 ステージの後の反省会も…さくらは歌に関する事に真面目に取り組んだ。



「私は…カプリで歌うさくらに一目惚れでした。」


 貴司の視線は、遠い昔を見ているようだった。

 それは俺も同じで。

 カプリのステージに立つさくらを思い出すために、目を閉じたが…


「……」


 すぐに、目を開けた。

 そこに…見た事もない、周子の姿を見た気がしたからだ。


 …俺が不幸にしてしまった…周子の…



「もし…」


 貴司は胸の上で組んだ指をゆっくりと動かしながら。


「もし…私が死んだら…」


 つぶやいた。


「死んだらとか言うな。」


「でも…死にます。だから、聞いて下さい。」


「……」


「もし、私が死んだら…」


 続きは、言わなくても分かる気がした。

 さくらを、よろしくお願いします。

 そう来るのだろう。と…


「高原さん…さくらと…結婚してやって下さい…」


「…………はっ?」


 つい、マヌケな声が出てしまった。


「さくらと結婚して…あなたも…幸せになって下さい…」


「……おい。冗談だろ。」


「本気ですよ…私は…。」


「……」


 俺は大きく溜息をついて立ち上がると。


「もう休め。夜は感情的になるから、そんな言葉が出てしまうんだ。次は昼間に来る。」


 貴司を見下ろして言った。


「…昼間に来ても、同じ事を言いますよ。」


「頼むから、あいつにそんな事を言うなよ。」


「…ダメですか?」


「あいつが選んだんだ。後悔させるような事を言わないでくれ。」


「……」


「しっかり寝ろよ。」


 俺は早口にそう言うと、病室を出た。



 …さくらと結婚して幸せになれ?

 バカな。

 今更…そんな選択肢、俺にはない。

 俺は…もう十分だ。


 十分…幸せを味わった…。

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