第5話 「……」

 〇高原夏希


「……」


 俺は左の手の平を眺めて…


「ふっ…」


 小さく笑った。



 周子が他界して、7年。

 今年はビートランド40周年で、夏の周年パーティーは大規模なイベントとなった。


 ビートランドでは、いわゆる二世達が羽化の時期を迎えていて。

 見事に集まった同世代たちは、切磋琢磨しつつ上を目指している。



 気が付いたら…俺も74歳。

 …まだ…倒れるわけには行かない。

 いや…もう十分だ…。

 毎日…そんな思いを繰り返す。


 イベントが終わったと言うのに、すぐさま周子のトリビュートアルバム制作の企画を切り出すと、ナオトもマノンも…

 誰もかれもが唖然とした。


「何生き急いでんねん。」


 マノンはそう言ったが。


「生き急がなきゃマズイだろ。俺達の歳を考えてみろ。」


 俺がそう真顔で言うと、肩を落として納得した。

 自分がこの歳になっても、まだ音楽に携わっているなんて。

 リトルベニスに住んでいた少年の頃の俺は…思いもしなかった。



「そのじじいが、鬼のようなスケジュール立ててるんやんか。」


 そうは言っても、お祭りの好きな輩ばかり。

 特に、周子のトリビュートアルバムは…普段組む事が出来ないメンバーとのコラボを楽しめる。


 マノンのギターにドラムは光史、ベースは沙都…違うパターンでドラムで希世や沙也伽も参加して。

 マノンは息子とも孫とも孫の嫁とも組めて満足そうだ。



 どの親子も組ませた。

 形として残るものを作るとなると、みんな家に帰ってもかなりディスカッションをしたようで。


「親父、そこ弾き過ぎだろ。」


「何をっ!?おまえこそ足数増やしてくれや。」


「ま…まあまあ…お父さんもおじいちゃんも…これ、あまりハードにしない方がいいって、晩御飯の時言ってたよね…?」


「沙都はペースが遅すぎる。」


「うっ…僕は…言われた通りに…」


「あははは!!頑張れ沙都ー!!」


「…希世ちゃん…沙也伽ちゃん…笑うなんて酷いよ…」


 朝霧家の参加するそれは、スタジオに人がいっぱいになるほど…刺激を受けに集まるアーティストが多かった。

 いや…厳しいメニューに疲れた輩が、癒しを求めに来ていたのもある。


 朝霧家がアットホームなのに対し、千里と京介は、華音と彰に容赦なかった。

 刺激は受けるだろうが…ピリピリムードに耐えられる面子は、そういなかったらしい。


「こっちのスタジオは人気がないなあ。」


 圭司がそう言って笑うと。


「京介が無愛想だから。」


「神に言われたくない。」


 …全く。

 熱くなるのはいいが、我が子を潰すなよ?



 こうして、周子のトリビュートアルバム制作は、着々と進んだ。

 生きてる間に…

 こうして、何か形にしてやれば良かった。

 …俺はいつも、後悔しかしない。


 周子の、トリビュートアルバム…

 みんなが盛り上がって、仕上がりが楽しみな反面…残念な事もあった。

 瞳が参加しないと言い切った。

 自分には自信がない、と。


 そんなものは、レッスンでいくらでも取り戻せると説得したが…

 瞳は首を縦に振ってはくれなかった。


 俺としては…誰よりも瞳に歌って欲しかったが…

 瞳なりに、何か思う事があるのかもしれないと思い、無理強いはやめた。

 まあ…まだ時間はある。

 レコーディングが終わる最後の最後まで…俺は諦めない。



「高原さん、今年も予定空けておいて下さいね。」


 エレベーターで一緒になった千里に言われた。

 毎年、クリスマスイヴは桐生院家で過ごす。

 知花と…華月と聖の誕生日だ。


「ああ…お邪魔するよ。今年は人数が多いんじゃないか?」


 今月に入って、千寿の息子の詩生が華月を嫁にくれと言って…千里に殴られた。

 そして…いつの間にあんないい男を捕まえたのか。

 食う事と寝る事だけが趣味と言っていた咲華が、二階堂で働く男と婚約した。

 詩生を殴った一週間後、千里はその男を殴った。

 二週続けて娘が男を連れて来るなんて…親としては、嬉しいような悲しいような。

 千里にとっては地獄でしかなかっただろう。



「…とりあえず、酒を飲みます。」


「ははっ。付き合うよ。」


「ありがとうございます。」



 そうだ。

 貴司からも留守電が入っていたんだ。

 時間が取れないか、と。

 返事をしていなかったが、きっとその事だろう。

 明日、朝一で連絡するか…。



 付き合いを始めた頃は…胡散臭い男としか思えず。

 どうしても…好きになれなかった。

 だが、似た境遇の持ち主。

 そして…悲しいほど不器用で、酒を酌み交わしていくうちに…好感が持てるようになった。


 周子のトリビュートアルバム制作と。

 桐生院家で迎えるクリスマスイヴと。

 …来年…俺は何を残そう…


 そう生き急ぐ事で…

 俺は、自分を生かそうとしていた…。



 〇桐生院貴司


「……」


 私が仕事から帰ると、すでに桐生院家全員が大部屋に集まっていた。


「あっ、おじいちゃま。おかえりなさい。」


 私に気付いた咲華と華月が、立ち上がってカバンとコートを持ってくれた。


「寒かったでしょ。お疲れ様。」


 咲華の優しい言葉に、癒される。


「おかえりなさい。遅かったですね。」


 妻のさくらが、手を拭きながらスーツの上着を取る。

 私の部屋は二階だが、三年前から着替えは下の部屋でするようになった。

 さくらは私と並んで歩いて着替え部屋に行くと。


「明日はお休みでしょ?今度こそ休日出勤はやめて下さいよ?」


 私の脱ぐ物を受け取りながら言った。


「いや…それなんだが…」


 私は小さく溜息をつきながら。


「明日から…入院する事になったよ。」


 さくらの目を見て言った。


「……え?」


 少し首を傾げて、不思議そうな顔のさくら。

 そんな顔は…本当に、昔と全然変わらない。

 こんな時なのに笑いそうになってしまった。


「だから…今年のパーティーは私抜きでしてもらう分、詩生君と志麻君に来てもらってくれ。」


 今月、立て続けに…華月と咲華の彼氏が乗り込んで来て、千里君に殴られたようだが。

 二人とも…好青年だ。

 私の可愛い孫たちを、きっと幸せにしてくれるはず。



「入院…って…どうして?」


 もう…隠しておけないな。

 そう思った私は、まずはさくらに打ち明ける事にした。


「…末期の肺がんだそうだ。」


 バサッ。


 さくらが手にしていた私の着替えが落ちて。

 私がそれを見ても…さくらは茫然としたままだった。


「…い…いつ…検査を…?」


「今月の初めに。咳が止まらなかったから、仕事の合間に行ったんだ。」


「……」


 さくらは、どうして言ってくれなかったのか。と言った顔。

 …当然か。

 家族の誰かがそんな事をしたら、私だってそう思う。

 私は床に落ちた着替えを手にして。


「…後で、みんなに話そう。」


 さくらの肩に手を置いて、そう言った。



 再婚当初は…さくらに触れる事すらできなかった。

 長年、愛する人のそばで寝たきりになって…

 どれだけの愛情を持って大切に生活させてもらっていたのか…

 さくらを愛して止まなかった高原さんの気持ちを想うと、奪ってしまった罪悪感は何よりも深かった。


 それでも、さくらを家族として迎え、母や知花と一緒に生きて行きたいと思う気持ちが強くて…

 私は、二人の気持ちを知っていながら…



「…貴司さん。」


「ん?」


「あたしは…」


「……」


「あたし…」


 さくらは、眉間にしわを寄せたまま…両手でカーディガンの裾をギュッと握って。

 言葉を出したいのに、それが見つからない様子だ。


「…すまない。言えなかったと言うより、言いたくなかったんだよ。」


 着替えを済ませて、脱いだ物をさくらに差し出す。


「いつも通り、よろしく頼むよ。」


 私が少しだけ笑って言うと、さくらはそれでも呆然としたまま、それを洗濯室に持って行った。



 私が大部屋に入ると、晩食の料理が並べられている所だった。


「貴司、その大皿届くかい。」


 とうに90を過ぎている母は、今も杖をつくことなく歩く。


「ええ。ありがとうございます。」


「おじいちゃま、ビールにする?お茶がいい?」


 華月がグラスと湯呑を手にして言った。


「お茶にしてくれ。」


 私がそう言うと。


「わ、珍しい。明日お休みなのに、飲まないんだ?」


 咲華が笑顔で言った。

 その時…さくらが洗濯室から戻って来て。


「さくら、もうそこはいいから、座りなさい。」


 母がさくらに声をかける。


「…はい。」


 何かがあったとしても…いつも元気に振る舞うさくらだが。

 さすがに、それは難しいのか…そこに笑顔はなかった。



「レコーディング、そんなにハードなんだ?」


 聖の問いかけに。


「親父のダメ出しがな…」


 華音が目を細めて答える。


「華音、あんなので弱音を吐くようじゃ、まだまだ甘いな。」


 千里君がビールを片手にそう言うと。


「でも千里、華音の時は特別厳しいってみんな言ってるわよ?」


 知花が千里君の顔を覗き込んで言った。


「俺に何の恨みがあんだよ。」


「別に恨みはない。ただ、恥ずかしいプレイはして欲しくねーだけだ。」


 我が家の晩食は、今日も賑やかだ。

 私の大事な家族…

 高原さんから、さくらを奪ってまで…作った家族…


 十分、幸せは味わった。

 そして、ずっと抱えたままの罪悪感も…

 私は、捨て去りたい。



「咲華、おまえまだ食うのかよ。」


「し…失礼ね。華音が小食過ぎるんじゃない?」


「いーや、咲華は間違いなく桐生院一の大食らいだな。」


「聖。」


「でもお姉ちゃん全然太んないね。」


「調子に乗って食ってたら、志麻に逃げられるぞ?」


「もー!!うるさい華音!!」


 賑やかな晩食。

 明日から…この賑わいを離れると思うと、寂しくてたまらない。



「…みんな、ちょっといいかな。」


 一通り、みんなが箸を置いたところで…私は切り出す。


「ん?」


「なあに?」


 みんながそれぞれそう言って私を見る。


「…実は、明日から入院する事になった。」


 静かな声でそう言うと、食卓は一瞬静まったが。


「何だよ、どこか悪い所でもあんのかよ。」


 息子の聖が、向かい側で笑いながら問いかけた。


「末期の肺がんで…」


「……え…っ?」


「もう、長くない。」


 その私の言葉に、目を見開いたのは…全員だった。


 私に与えられた余命は…長くて一ヶ月。

 だが…



 そんなに持たない事を。



 私は、知っている。

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