第4話 『ええか。絶対しばらく仕事出てくるんやないで?そうせんと周子さんも浮かばれんわ。』

 〇高原夏希


『ええか。絶対しばらく仕事出てくるんやないで?そうせんと周子さんも浮かばれんわ。』


 葬儀…と言っても、本当に家族だけでの葬儀の翌日。

 マノンとナオトと千里…ついでに、ミツグとゼブラからもしばらく来るなという電話が。

 最初の三人はともかく…ミツグとゼブラから電話なんて気持ち悪い。

 まあ…何か計画してくれてるんだろうな。とは、すぐに読めた。


 本当は何もして欲しくない所だが…みんなの気持ちを無駄にもしたくない。

 ここは、黙って何かされるがままにしておこう…

 …周子も…喜ぶかもしれないし。



 圭司と瞳は…周子が死んでからと言うもの…枯れるほど泣いた。

 ただ、千里が来てくれてからは…無茶な泣き方ではなくなった。

 ある意味周りの事など考えずに泣けるぐらいが、一番いいのかもしれないが…

 二人は親だ。

 映が居場所に困るほどの泣きっぷりは…まあ…黙認した俺も甘いか…。



 …圭司は本当によく周子の所に通ってくれた。

 まるで、実の息子のようだった。


『お義母さん、ただいまー』と言いながら、ツアーの土産を差し出す圭司に。


「こんなの要らないわ。」


 と…周子は冷たく追い帰す事もあった。

 調子がいい日ばかりじゃなかったからな…

 それでも圭司は懲りもせず…通った。

 いつの間にか敬語じゃなくなっていた。



 いつだったか…部屋に入ろうとすると、圭司が周子の肩を揉んでいて。


「義母さん、寝てばっかなのに肩が凝るってどうだよー。どうせ凝るなら絵でも描いてみるとかさー。」


「…どうして絵なのよ。そこは歌を書けって言うんじゃないの?」


「えー?歌って俳句?」


「…どうして絵なの?」


「年寄りって、みんな絵始めるじゃん。」


「もう!!圭司嫌い!!」


「あははは~。うそうそ。」


「ほんとに…嫌な婿殿…ふふっ…」


 周子の楽しそうな笑い声…

 俺に笑う事があっても、圭司へのそれとは随分違った。

 圭司は本当…周子に良くしてくれていた。



 瞳は…

 自分の中で決めた何かがあったのか…

 映が生まれて…周子が会いたいと言っても、なかなか会いに行こうとはしなかった。


 …瞳も、傷を受けている。

 だから俺もしつこくは言わなかった。

 だが、ようやく精神的にも落ち着いて…誰の事も傷付ける事を言わなくなった頃。

 俺はついに、周子に会いに行ってやってくれないか。と、瞳に頼んだ。

 すると瞳は数日悩み抜いたようだが…やっと、映を連れて会いに行ってくれた。


 もう映は9歳になっていたが…

 それでも、周子は泣いて喜んだ。

 写真で見ていた映が、もう大きくなっていても。



 …俺は…

 仕事の合間に周子の所に通った。

 周子が誰かを傷付けるような事を言うたびに…周子の顔がよく分からなくなっていた。

 俺の知ってる周子じゃない。

 今更のように…現実逃避が始まっていたのかもしれない。


 そんな時、まるで俺の心の中を見透かしているのか?というタイミングで、貴司が誘ってくれていた。


『美味い酒が手に入ったんです。今からどうですか?』


『母とさくらが料理を作り過ぎてしまって…来られませんか?』


『新しいCMのお話をつまみに、一杯やりませんか?』


 理由は…どうでも良かった。

 桐生院に行けば…愛しい子供達に…孫たちに会える…

 そして…さくらもいる。


 俺の家族じゃない。と、何度も言い聞かせて、納得して、俺は他人だと再度暗示をかけて桐生院家に乗り込んだ。


 桐生院に行くと、いつも…


「おじちゃま、いらっしゃい。」


 と、咲華と華月が腕を組んでくれて。


「ちーす。」


 華音と聖はクールにそう言う。


 通い過ぎたのか、料理に関しては貴司の母親が作った物と、知花が作った物…さくらが作った物の区別がつくほどになっていた。

 もちろん…そんな事、誰にも言わないが。


 さくらの料理を口にしては…ほんの少し、昔に旅立った。

 幸せだった自分に励まされながら…俺は…毎日をやりすごしていた。

 だが…このままではいけない。と。

 密かに想うだけならいいじゃないかと思うのは、ダメだ。と。

 …心を入れ替えた。


 もう、過去の自分やさくらに救いを追い求めるのはやめよう…と。

 それまで、桐生院に行く時は外していた指輪を…外さない事にした。


 …どうかしていた。

 結婚しているのを、まるで…知られたくないみたいに…


 誰にも何も言われなかったが…

 きっと、気付かれていたとは思う。

 いい歳をして…さくらがそこにいると思う場には、指輪を外して出向くなんて…

 なんて小さなことにこだわる男なんだ…。



 それから数年して、周子は落ち着いた。

 俺は…とにかく尽くした。

 今まで、本当に…周子にしてやれなかった事。

 夫婦として過ごす時間を大事にしたいと思った。


 だが…周子は時を同じくして病気を患い…外出さえも難しい状態になっていた。

 マンションに帰ろうと言っても、本人がそれを拒んだ。

 とにかく…俺には世話になりたくなかったらしい…。


 …当然だ。

 俺が周子を苦しめた。

 本来、周子はもっと輝く場所にいるはずだったのに…

 ジェフとの再婚で、幸せになっているのだとばかり思ったが…

 俺という存在のせいで、周子はジェフに暴行を受け…こんな状態になってしまった。

 全ては…俺と出会ったせいだ。

 あの時、なぜ一緒に暮らそうなんて言ってしまったんだ。


 なぜ…



「父さん。」


 呼ばれてハッとして…瞳を見ると。


「何…何してるの…?」


 瞳は不安そうな顔で、俺を見た。

 言われて手元を見ると…


「え…」


 どういうわけか…両手が赤く染まっている。


「…何で切ったのかしら…」


 瞳は俺の腕を掴んでソファーに座らせると、救急箱を取り出した。


「……」


 今…俺は何をしていた?


 無言で手の平の血を眺めていると。


「…母さん、幸せだった…って。」


 瞳が消毒液とガーゼを手にしてつぶやいた。


「……」


「ここ数年は…父さん、忙しいのにずっと通ってたものね…」


 …幸せだった…?

 そんなわけがない。

 俺の罪滅ぼしは、何も終わってない。



 瞳に手当をされながら、突然やって来た喪失感に息苦しくなった。


 周子は…もういない。

 俺はこれから…


 どうやって償っていけばいいんだ。




 〇桐生院さくら


 …周子さんが…亡くなった。


 千里さんからその知らせを聞いた時は、一瞬…何の事か分からなかった。

 周子さん…

 周子さんって…

 あの、周子さん?


 知ってるクセに…あたしはわざと、知らないと言うか分からないと言うか…

 とにかく、その名前を…心が拒否したのだと思う。

 …亡くなったと言うのに。


 あたしは、長い間色んな事を忘れていて。

 それは今もまだ…続いてる。


 だけど。

 周子さんの事は…随分思い出したのだと思う。

 自分の記憶なのに、だと思う…って言うのはおかしいのかもしれないけど。

 あやふやなのは、なっちゃんに聞かされていた話しも混ざってしまってるから。

 なっちゃんは…周子さんの事をそんなにたくさんは話さなかったけど…

 あたしが寝たきりになっている間、何度か…正直に口にした事もあった。

 瞳ちゃんの結婚式に、周子さんと一緒に出席する事とか。


 …仕方ない。

 あの二人は紛れもなく、瞳ちゃんの両親だし。

 なのに…あたしは妬いた。

 あたしは寝たきりなのに、なっちゃんは周子さんと着飾って…『夫婦』として教会へ行くの?って。

 そして、帰って来たなっちゃんは…海の匂いをさせてた。

 ドライヴしたの?

 あたしは寝たきりなのに?って…

 とめどない嫉妬を繰り返した。



 知花が…あたしとなっちゃんの娘の知花が生きてる事を知って。

 あたしの身体が動くようになって。

 あたしは、桐生院に来た。

 …なっちゃんを捨てた。

 それは、あたしの意思。

 なっちゃんはずっと、あたしと周子さんに挟まれて…苦しんでたもん。


 あたしは、知花を…貴司さんを…桐生院を選んだ。


 なのに…

 なっちゃんと友達になった貴司さんが、ことある毎になっちゃんを連れて来る。

 …苦しい。

 苦し過ぎる。

 だけど、それも罰なのかもしれないと思って受け入れる事にした。


 罰…

 なっちゃんを想いながら、桐生院に来た罰…

 なっちゃんが周子さんと入籍したと聞いた時、正直…お風呂で泣いた。

 泣く資格なんてないのに。

 悲しくて…仕方なかった。

 先に降りたのは、あたしなのに。

 誰でもない…あたしなのに。



 それでも、あたしはどこかで…

 あたし達は、想い合ってるんだ。って…かすかな希望みたいな物を持ってしまっていたのかもしれない。


 …バカだよね…


 もう、あたしには貴司さん、なっちゃんには周子さんがいるのに。


 なっちゃんとは目も合わせない。

 口もきかない。

 そうやって…もうずっと何年も顔を合わせて来た。

 なのに、そう思えてたのは…

 なっちゃんが、指輪をしていなかったから…かもしれない。


 だけど…10年前のある日。

 なっちゃんは…指輪をして来た。

 アレを見付けた瞬間…あたしは少し長く目を閉じてしまった。

 息が止まりそうだった。


 そして…

 なっちゃんは、周子さんのものなんだ…って、改めて認識した。

 あたしとなんて想い合ってない。

 通じ合ってなんかいない…って。

 …思い知らされた。



 周子さんの葬儀の日。

 貴司さんは仕事でイギリスに渡ったばかり。

 顔を見に行くかと気にはしてくれていたけど…あたしは首を横に振った。


 一度…寝たきりのあたしに会いに来てくれた周子さん。

 頭を撫でながら…歌ってくれた。

 あの歌…

 すごく…懐かしかった。

 知花のバンドがライヴでやったのを聴いて…

 ああ、あの歌だ…って、涙が出た。

 あたしの中で…脅威でしかなかった周子さん。

 もっと…違う形で会いたかった。



 あたしは一人…

 火葬場のそばから、空を見上げた。

 あたしにはもう…

 なっちゃんを密かに想う資格さえない。



 今度こそ…



 さよなら…



 周子さん。



 さよなら…



 あたしの…恋。

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