第3話 「もしもし…ああ、アズ。何だよ。今からこ………え……?」

 〇桐生院知花


「もしもし…ああ、アズ。何だよ。今からこ………え……?」


 その電話があまりいい内容ではない事は、千里の顔色を見てすぐに分かった。


 晩御飯が終わった後。

 千里の携帯が鳴った。

 あたしは大部屋で、華音と咲華の進路希望表と華月と聖の三者面談の用紙を並べてる所だった。


 キッチンでは母さんが華月とお茶を入れてて。

 おばあちゃまは中の間で咲華とお花を活けてて。

 華音と聖はテレビに映るアイドルのスタイルに小声で点数をつけたりしてた。

 父さんは…まだ帰ってない。


 心配そうな顔をしてたのが分かったのか、千里はあたしをチラリと見て…それから少しだけキッチンを見て。

 顎をしゃくってあたしを部屋に呼んだ。



「…何かあったの?」


 部屋に入って、千里の電話が終わってから問いかけると…


「…周子さんが亡くなったそうだ。」


 千里が低い声で言った。


「……」


 すぐにはピンと来なかった。

 頭では分かってる。

 …藤堂周子さん。

 高原さんの…奥さん。

 瞳さんの…お母さん。


「知花?」


「あ…あ、それは…瞳さん、大丈夫かな…」


 ふいに、麗達のお母さんが亡くなった時の事を思い出した。

 あまり会う事がなかったあたしも、葬儀の最中は寂しさとやりきれない悲しさに襲われた。

 人間てこんなにも簡単に死んでしまうものなのだろうか…と言う、どこか騙されているような気持ちと。

 寮生だったあたしは、日に日に弱って行く継母の姿見ていない分…

 悲しみよりも驚きの方が大きくて、泣きじゃくる麗と誓を慰めながらも戸惑いでいっぱいだった。



「ああ…まあ、アズがついてるから。」


「葬儀は?」


「家族だけで行うらしい。そうは言っても、通夜だけでも顔は出したいから、朝霧さんにも相談してみる。」


「そうね…」


 あたしは一度もお会いした事はないけど…

 ずっと…知らん顔していながら、意識していた存在でもある。

 高原さんが、母さんと出会う前に愛した女性。

 そして…母さんと別れた後…高原さんの妻となった女性。

 高原さんを…愛し続けた女性。



「…千里。」


「ん?」


「すぐ行ってあげて?」


「…あ?」


 あたしの言葉に千里は眉間にしわを寄せた。


「だって…きっと色々心細いよ…」


「だから、そこはアズがいるし。」


「アズさんだって、千里が居てくれたら心強いよ。」


「……」


「友達でしょ?行って背中に手を添えてあげるだけでもいいの…そばにいてあげて。」


 目を見ながら言うと、千里は少し呆れたような溜息をついたものの。


「分かった……義母さんには…どうする?親父さんから言ってもらうか?」


 あたしの頭を抱き寄せてそう言った。


「…どうしよう…」


 千里の胸で小さくそう言うと。


「…親父さんに電話してみよう。」


 千里は携帯を開いた。



 〇神 千里


「……え?」


 目の前の義母さんは、特に目を見開くわけでもなく…

 少しだけ首を傾げて。


「え?」


 もう一回、同じトーンで言った。


 俺は小さく息を飲んでもう一度繰り返した。


「…藤堂周子さんが、亡くなられました。」


「……」


 しばらく俺の目を見たまま、開いた口からは言葉は漏れず。

 ただ…視線は俺から少しずつ外れて、瞬きも増えて…


「母さん!!」


 知花が、義母さんの腕を取った。

 義母さんの足が少しふらついたからだ。

 俺も身体を支えてベッドに座らせる。



 電話をすると、すでに親父さんは高原さんの所にいた。

 どうやら飲みにでも誘おうと連絡した所で、周子さんの死を聞かされたらしい。

 そこで…義母さんには俺から伝えてくれ、と。

 …とんだ大役だ。


「大丈夫ですか?」


「…ええ…」


 そうは言うものの…義母さんは額に手を当てて、忙しく何か考え事をしている風に見えた。


 …事故に遭って、昔の記憶がない。

 そう聞いた事があるが…

 いつの時期の記憶がないんだろうか。

 周子さんの事は、覚えているのだろうか。


「親父さんはもう行ってるみたいなんで、俺も今から行って来ます。」


「……」


「…知花、大丈夫か?」


「ええ…行って。」


「…分かった。」


 無言の義母さんを知花に任せて、俺は裏から家を出た。



 …俺は直接周子さんに会った事はないが…

 高原さんからは、昔の元気な頃の周子さんの話を。

 アズからは…一人で施設に通うようになってから、『母親』としての周子さんの話を。

 …瞳からは…ジェフから暴力を受けていた頃の話しか記憶がない。


 高原さんと、周子さんと…義母さん。

 三人の中で、過去、どんなやり取りがあったかは知らないが…

 出来れば…亡くなる前に…何か一つでも、変わる事があれば良かったのに。




「映。」


 マンションの外で、アズと瞳の一人息子の映を見付けて声をかけると。


「あ…こんばんは…」


 映は眠そうな顔で少しだけ頭を下げた。


「何してんだ?」


「……部屋に居辛くて。」


「……」


 映は華月と同じ桜花の中等部三年。

 ギタリストとシンガーの息子なのにベーシスト。

 しかもアズと瞳の息子なのに向上心が強く、勉強好き。

 去年は自身の希望で海外留学もしていた。


 知花が高原さんの娘だということは、知られているようで知られていない。

 うちでもハッキリ公言した事がないからか…数年前…


『高原さんて、母さんの本当の父親?』


 その時俺は大部屋の一枚板のテーブルの死角で寝ていて。

 俺に気付かなかった華音が、ズバリ…義母さんに問いかけた。

 しばらく沈黙が続いて、俺は自分の心臓の音がやたらと大きく感じたのを覚えてる。


 知られちゃまずい事じゃない。

 だが、言うタイミングを逃したまま…別に知らなくてもいいのかもしれないとも思っていた所だった。


 義母さんは…


「そうよ。」


 一言。

 それだけ言って、大部屋を出た。

 だが、それ以降華音が義母さんに態度を変えた事もなく…

 知花に対しても特に何か変わった様子もなかった事から、俺も何も言っていない。


 誰が誰の親だとか子だとか…そんなのは重要じゃない。

 血の繋がりよりも濃い何かが生まれる事もあれば、離れて居ても血の繋がりを思い知らされることもある。

 それは人によっての受け取り方の違いもあるだろうし…

 …まあ、難しい事はどうでもいい。



「…神…」


 映に連れられて部屋に入ると、アズが驚いた顔で俺を出迎えた。


「よお。」


「あ…来てくれたんだ。ありがと。でも…」


 アズは、らしくない顔で。


「でも…」


 そう繰り返すだけ。

 俺はアズの首をグイと引き寄せて。


「…寂しくなるな。」


 そう言った。


「……」


 アズは…実の父親が亡くなった後、母親が若い男を連れ込んで。

 その男に暴力を振るわれていた。

 そして、ある日突然…母親は、その男と共に消えた。

 一人取り残されたアズは、一人で生きて来た。

 いつもわけの分からない事を言って、俺をイライラさせながら。

 ヘラヘラ笑いながら、生きて来た。


 バンドでデビューして、いきなり母親が現れて。

 アズが一人で暮らしていた…俺も少し居候してた家を勝手に売られた。

 あれ以来…母親とは会っていないらしい。


 そんなアズにとって、周子さんは実の母親のように思えたのかもしれない。

 ツアーに行けば『義母さんの土産、何にしようかなあ』と言いながら、木彫りの熊の置物を手にしたりして。

『おまえ、そんなん買うたらどつかれるで?』と、朝霧さんに笑われていた。

『愛』と刻まれた大理石を手にした時も、ナオトさんに止められていた。


 冗談としか思えないような事を、アズは本気でやっていて。

 それはいつも楽しそうだった。


 瞳が、何に頑なになっていたのか…周子さんに会いたくないと言って行かなかった間も。

 アズは一人で施設に通った。

 映の成長記録を持って。



「おまえは、親孝行者だな。」


 背中をポンポンとしながら言うと。


「…し足りないよ…」


 アズは小さな声で答えて、俺の肩に頭を乗せた。



「高原さん。」


 俺が声をかけるとリビングにいた高原さんは。


「…千里、来てくれたのか。」


 少し疲れた顔で振り返って、俺の手を握って肩を抱き寄せた。


「急でしたね…」


 背中に手を回して言うと。


「そうだな…ここ数年は同じような状態だったから…まさかって感じで、今も信じられない…」


 本音なんだろうな…

 高原さんは、いつもと変わらないトーン。

 アズでさえあんなにグズグズなのに…

 実感として伝わらないのか、それとも誰にも弱い所を見せたくないのか…



「千里君。」


 呼ばれて振り向くと、和室から親父さんが出て来た。


「貴司、もういいから帰れ。」


「…分かりました。何か私に出来る事があれば、何でも言って下さい。」


「ありがとう。その時は頼む。」


 俺は一旦玄関まで親父さんと出て。


「義母さんに話しました。」


 そう言うと。


「そうか…」


 そうとだけ言って。


「私は先に帰るよ。千里君は出来るだけ居てあげてくれるかい。」


 俺の肩に手を掛けた。


「…はい。」


「じゃあ、頼んだよ。」


 親父さんの背中を見送って、部屋に入る。

 そして…ためらいはあったが和室の戸を開けた。


「…瞳。」


 その背中に声をかけたが、瞳は返事をするでもなく…白い布を掛けられた周子さんの傍らに突っ伏して泣いている。

 …映が居辛いと言うのも仕方ない。

 瞳の嗚咽は玄関にまで聞こえた。



「……」


 泣き崩れる瞳の隣に座って、白い布を取って周子さんの顔を見せてもらった。

 …それは、俺が思ったよりもずっと…優しくて穏やかな顔をした周子さんだった。


 周子さんこそ、当時にしては珍しくメディアに出ない人で…

 ソングライターとして名を上げた人なのに、ほぼ人前には現れず。

 雑誌にもインタビューはあっても写真までは載らなかった。

 俺が見たのは、アメリカ事務所に修行に行った時に、ロビーに数枚飾られていた…Deep Redと写った物だった。



「…安らかな顔だ…」


 俺がそうつぶやいて手を合わせていても、突っ伏してる瞳は変わらずそうしていたが。


「…初めまして。神千里です。」


 俺がそう挨拶すると。


「…バカじゃないの…死んでんのよ…」


 瞳は泣き腫らした顔を上げて、俺につっかかった。


「知ってるけど。」


「なら…ならそんな事しないでよ!!」


「親友のおふくろさんに挨拶して何が悪い。まあ…生きてる間に会わなかった俺が悪いが。」


「……」


「もう今夜は誰も来ねーんだろ?ここで思い出話でもして聞かせてあげようぜ。」



 それから俺は…

 周子さんのそばで、瞳とアズと、高原さんとで酒を飲みながら、思い出話をした。

 最初は映もいたが、何に緊張したのか『疲れたので寝ます』と、早々に寝た。


「三人でここで暮らすって言われた時は、面食らった。」


「でも安心だったでしょ?」


「結果圭司っていう虫が着いた。」


「えー?俺、虫ー?」


「虫だったよな。」


「神まで…」



 泣き腫らした顔の瞳とアズ。

 本当に…普通な高原さん。


 だが…この時、俺達には解ってなかった。


 誰よりも…

 誰よりも後悔と悲しみと苦しみを抱えて。

 壊れかけた高原さんがいた事に…。




 高原さんのマンションから帰ったのは、朝方だった。

 桐生院家はすっかり寝静まってて…とは言っても、親父さん達の部屋は二階な上に遠いから、様子がどうかは分からない。

 …義母さん、大丈夫かな。


「……」


 シャワーを済ませて、眠ってる知花の頬に触れる。


 …あのマンションで、瞳とアズと俺…三人で暮らした頃の思い出を話して…みんなで笑って。

 それから、高原さんが周子さんの思い出を語った。

 同棲を始めたキッカケは、高原さんの継母の死だった、と。

 だが、お互いに愛してるという言葉を口にせず、同志としては完璧だったが恋人としては最低な男だったと自らにダメ出しした。


 義母さんがこの家に来て16年。

 高原さんは、変わらずうちに来た。

 知花の誕生日はもちろん…その他のイベントにも。


 その中で一つ、変わった事があった。

 もしかしたら…知花も気付いていたかもしれないが…

 そして、親父さんも…気付いていたかもしれないが…


 高原さんは周子さんと入籍後、結婚指輪をしていた。

 だが…うちに来る時は指輪を外していた。

 それが…10年前、確か…誓が結婚した後ぐらいから、うちにも指輪をして来るようになった。

 それには…いったい、どんな決意があったのか…分からない。


 ただ…

 あの日、義母さんが高原さんの薬指に指輪を見付けて…少なからずとも動揺したのを…覚えている。



「…千里?」


「ああ…起こしたか…悪い。」


 俺は知花の隣に入ると。


「…冷えた。温めてくれ。」


 知花をギュッと抱きしめた。


「お風呂は…?」


「シャワーした。」


「もう…こんな寒い日に…」


「…おまえがいるからいいかと思って。」


「…瞳さん、大丈夫?」


「ああ…」



 もし…知花が先に死んでしまったら…

 俺は高原さんのようにはいられない。



「行かせてくれて…ありがとな。」


 知花の髪の毛にキスしながら言うと。


「あたしは…何も出来ないから…」


 俺の胸で、遠慮がちな声。


「ふっ…十分俺を温めてくれてる。」


 知花の温もりを感じながら。

 俺は…自分が恵まれてる事に感謝し。

 明日自分に出来る事を考えた。

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