第37話 「……」

 〇高原夏希


「……」


 さくらが持たせてくれた紙袋を開いて…しばらくそれを眺めた。

 もしかしたら千里が今夜俺を連れて帰ると電話した時から…これを持たせてくれようと考えていたのだろうか。


 …どこまで思い出してる?

 いや…

 もしかしたら、俺が話した事を覚えてるだけかもしれない。



 小さな重箱に詰められた、見覚えのあるメニュー。

 パーティーピックに巻かれたスパゲティ。

 カラフルな春巻き。

 キウイの入った酢豚…これはいただけないって言ったのにな…


「…ふっ…」


 きわめつけは…さくらバーガー。

 さくらの好物ばかりが入ってるっていうだけの…さくらバーガー。


 …貴司、すまない。

 貴司の大事なさくらは…桐生院で十分幸せに暮らしている。

 俺の出番はないさ。

 俺は…今まで色んな物を抱えて来た…つもりだ。

 罪も…罰も…幸せも…宝も…



 袖を少し捲って腕を見る。

 周子が逝ってしまった後…無意識に腕を切りつけるクセがついた。

 気が付いたら…両手が血に染まっている事が何度かあって。

 瞳が心配して…周子のカウンセラーに相談した事があった。


 …病むなんてあり得ない。

 これは病んだんじゃなく…罰なんだ。

 そう言い聞かせて、何があっても流れに任せた。

 無意識に切り付けても死ぬほどの傷じゃあない。


 俺は…もうこのまま一人でいい。

 ビートランドの会長を退いたら…静かに思い出と共に生きる。

 そこには、誰にもいて欲しくない。

 俺一人で…いい。



 さくらの手料理を食べながら、あの美術館の中庭を思い出した。

 そして、トレーラーハウス…

 カプリで歌うさくら…

 ケリーズでの再会…


 ビートランドを創って…一緒に日本での生活が始まるはずだった。

 …いや、日本での生活は始めた。

 さくらは寝たきりだったが…結果俺はさくらを一人占めしてたじゃないか…



 …何年ぶりだっただろうか。

 さくらの名前を…呼んだのは。

 驚いてたな…

 あの丸い目…


「……さくら。」


 何年…何十年経っても…

 変わらない想いなんて、あるわけがない。

 …そうだ。

 ないんだ。

 俺のこの想いも…



 …幻でしかない…。




 〇浅香聖子


「新しいプロデューサーだ。」


 そう言って伯父貴が連れて来た人を見て…

 あたし達は目を丸くした。


 秋からレコーディングに入る。

 イベントまでにプロデューサーが決まったら、新曲を煮詰めるためにも何度かスタジオにこもらなくちゃならないかも…って話は聞いてたけど…



「…里中さん。」


 知花が自動車学校で一緒だった話は聞いた。

 修理屋をしてるらしい里中さんと、マニアックな会話で盛り上がった事も。

 二ヶ月かかって、ようやく免許を取った知花は…

 自分と同等のオタクと会えなくなって寂しそうだった。


 …けど…


「どーも…なぜ俺がって感じかもしれないけど…よろしく。」


 そう言ってペコペコ頭を下げてる里中さんを見て、知花は少し嬉しそうだった。

 あたしは……


 …複雑極まりない。


 て言うのも…

 あたしはー…京介と結婚する直前…

 里中さんを好きになった。

 京介を好きになった時も…あたし、男を好きになれるんだ!!って驚いたけど…

 さらに里中さんだなんて。

 自分が信じられなかった。


 当然、口になんて出せなかった想い。

 まあ…消化したけどね…したけど…

 したはずだけど…


 複雑。



「ハリーが来るのだとばかり。」


 光史がそう言うと。


「新生SHE'S-HE'Sには適任と俺が踏んだ。」


 伯父貴は真顔で言った。


 …里中さん、プロデューサー経験なんてあるのかな。


「厳しくやってくれ。」


 伯父貴にそう言われた里中さんは。


「はあ…」


 煮え切らない返事をして、頭をポリポリとかいた。


 …大丈夫かなあ?



「新曲は一通り聴かせてもらった。でも生で聴きたいからやってもらっていいかな。」


 スタジオの真ん中で、里中さんがそう言って。

 あたし達はそれぞれ楽器を手にした。

 まあ…アンプやスピーカーの修理してるぐらいだから…耳は確かだろうね。


 光史のカウントと共に、アルバムの一曲目に入れる予定の曲を始めた。

 今日はイベントのリハじゃないから、瞳さんと知花のお母さんはいない。


 知花の声は…うん、今日もいい感じ。

 どうよ、里中さん。

 鳥肌立つでしょ?


 かなりハードなナンバー。

 里中さんは腕組みして、右手で顎を触りながら聴いてる。

 …結構…怖い顔する人なんだな…


 ブースから、伯父貴と神さんが見てる事に気付いた。

 ふふ。

 やっぱ気になるんだなあ…神さん。

 男が絡むと。



 一曲終えて、里中さんの反応は…


「……」


 あれ?無言?って思ってると…


「…下手くそ。」


 ………え?


 今の、誰?

 って思うような…低い声がスタジオに響いた。


 当然…あたし達全員は、少し驚いた顔のまま。

 今…里中さん…


 下手くそ。


 って…言った?


「もう一回やれ。」


 も…もう一回『やれ』!?

 さ…里中さんって…

 隠れドS!?


 光史が困惑した表情でカウントを取って、イントロに入った途端…


『早乙女!!遅い!!』


 全員がビクッ!!って肩を揺らした。

 里中さん…マイク持って怒鳴るとか…!!


「あ…は…はいっ…」


『今のカウント頭ん中入ってたのか!?ちゃんと入れ!!』


「はいっ…」


『もう一回!!』


「……」


 あたし達は顔を見合わせて…


 ゴクン


 生唾を飲んだ。


 こ…これは…気が抜けない…

 いや、抜いてないけどさ…


 光史がカウントを取って、イントロに入って…しばらくそのまま進んでたけど…


『早乙女ー!!おまえ何でそこでもたつくんだよ!!』


『違う!!早乙女!!ちゃんと音数弾け!!』


『何なんだ!!早乙女!!下手くそか!!』


 二時間…ずっと…センがダメ出しをくらった…。



 そんなセンは…


「くっそー!!里中めー!!」


 ルームで…荒れた。


 あの、温厚なセンが。


「見てろよー!!明日ギャフンと言わせてやる!!」


 そう言って…ギターを担いで早々に帰って行った。


「…ギャフン…だって。」


 あたしが首をすくめて言うと。


「…珍しいよね。セン君が先輩を呼び捨てにするとか…」


 まこちゃんが隣で目を細めた。


「それより…里中さん…怖かったね…」


 知花も会話に参加して来て。


「…やだな…あたし、叱られ慣れてないから泣いちゃいそうだわ。」


 あたしがそう言うと。


「…頑張ろう?」


 知花とまこちゃんは目を見合わせてそう言った。


 だけど翌日…



『七生ー!!スラップなんてするな!!100万年早い!!』


 え…ええー!?


『朝霧ー!!おまえシンコペーション一から練習して来やがれ!!』


『二階堂ー!!そんなのライトハンドって呼べねーんだよ!!』


「…はあ…はあ…」


 叱られまくったあたしと光史と陸ちゃんは…スタジオからルームにたどり着くのもやっとの状態…


「明日はもっと見返してやる。」


 センは燃え滾ったような目でそう言って。


「お先に。」


 颯爽と帰って行った。


「……さすが…まこと知花は…申し分ねーな…」


 陸ちゃんがそう言って、まこちゃんと知花は困ったような顔をした。


「…明日が怖い…」



 だけどその翌日も…


『二階堂ー!!誰が聴いてもおまえが弾いてるって分かる弾き方すんなー!!』


 里中さんは…言いたい放題。


「ちょ…ちょっと待って下さいよ!!俺だって分かる弾き方してるのに、駄目なんすか!?」


 陸ちゃんが食い下がると。


『は!?何言ってんだよおまえら。』


 里中さんは…すごく真顔で…


『生まれ変わるんだろ?新生SHE'S-HE'Sになるんだろ?』


「……」


『今までの自分を捨てろ。今までのおまえらには、もう飽きた。』


 カッチーン!!



 あたし達は…いや…あたしは…


「やってやろうじゃないのよ…」


 低い声でそう言うと。


「…聖子に火がついた。」


 まこちゃんが小さくつぶやいた。


 つかないわけがないわよ。

 そこまで言われてさあ!!



 あたしがフツフツと怒りに闘士を燃やしてると、神さんがスタジオに入って来た。

 …今はこのドS男も天使に見えるわ。

 それほど里中さんのドSっぷりは酷い!!



「あ?サプライズメンバー?」


「ああ。高原さんの娘と、知花のおふくろさん。」


 えっ。

 神さん、京介も知らないサプライズを、里中さんに教えちゃってんの!?


「じゃあ、そのメンバーも合わせてイベント用の練習もした方がいい。こんな状態でイベントのトリ務めるなんて、恥ずかしいぜ。」


 マイクを離してても…この男はドSだった。



 とにかく…火がついたあたしは…

 京介には申し訳ないけど、今まで以上に臼井さんにレッスンをつけてもらった。

 彰も音も結婚して、うちにはあたしと京介だけ。

 イベントまでは…ううん…秋のレコーディングが終わるまでは…

 一人の時間が増えても許して!!


 あたし…絶対里中を見返してやるー!!




 〇朝霧光史


『島沢ー!!』


「……」


 四日目にして…初めて、まこの名前があがった時は。

 全員が…

 え?誰だって?

 って顔をした。

 …まこも含めて。


『おまえ何弾いてんだよ!!ハードロックだろうが!!綺麗に弾くなっ!!』


「で…でもこの曲は…」


『でもじゃねー!!おまえ男だろうが!!繊細さなんて醸し出すな!!』


「……」


 まこは…出来る奴だ。

 だから今までこんな注意なんてされた事がない。

 俺達だって…まこの鍵盤は最高だって思ってるから…

 困ってるまこを見ると…

 俺達も困る。


『朝霧!!何回も言わせんな!!ハイハットもっと踏め!!』


 ああああああああ…

 やってんだぜ!!

 やってんのに…あんた聴いてんのかよ!!って文句言いたくなる。


 今日から瞳さんとさくらさんも参加。

 里中さんのダメ出しの連発に、当然二人も面食らっている。

 で…二人が参加してるって事は…ここは陸んちのスタジオなわけで…

 事務所のスタジオより若干狭くて……暑い。


『桐生院ー!!』


 まさかの名前が叫ばれた瞬間…


「は…はい!!」


 知花とさくらさんが同時に返事をして。


『…知花!!』


 里中さんが…知花の名前を呼んだ。


 …まさか、だ。

 知花が指摘される事なんてあんのか?


『おまえ歌詞ちゃんと覚えてんのか!?』


「お…覚えてます…」


『理解してんのかよ!!』


「…そのつもりですけど…」


『ああ!?理解してて何でこんな歌になんだよ!!下手くそが!!』


「……」


『頭で歌うな!!ここで歌え!!ここで!!』


「!!!!!!!!」


 全員が目を見開いた。

 里中さんが…知花の胸をバンバン叩きながら言ったからだ。

 セクハラだぞ!!


『もう一回だ!!頭から!!』


「……」


 もう一度頭からと言われて、カウントを取って始めたが…

 知花が入らなかった。


『知花ー!!おまえ何で入らねんだよ!!』


「か…歌詞が…飛びました…」


『ああ!?何年やってんだ!!おまえ今日もういい!!桐生院母!!あんたが歌え!!』


「え…ええっ!?あああたしですかっ!?」


 里中さんがさくらさんをメインボーカルに推すという無謀な手段に出ると…


「歌います。」


 知花が、胸を張って言った。


 …スイッチの入った顔だな。



 もう一度カウントを取って曲に入った。

 知花も…うん。

 さっきよりずっと声を張って…


『おいおいおいおいおいおい!!おまえ神に愛され過ぎて幸せボケしてんじゃねーのか!?』


『そこ!!なんで急にブレス入れんだよ!!我慢しろ!!死ぬ気で歌いきれ!!』


『無駄にビブラートで誤魔化すな!!』


 ……こんなに…知花にダメ出しする人、初めてだ。

 みんなが心配そうな顔をしてる中、当の知花は…


「もう一回お願いします!!」


 …汗だくになって…そう言った。

 そんな知花を見てたら、俺らも自然と…よりやる気が湧いた。

 だが、里中さんは…


『桐生院母~!!自由に歌うなー!!』


 さくらさんにも…文句をつけ始めた。

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