第36話 「今、義母さんが小娘に見えた。」

 〇桐生院 聖


「今、義母さんが小娘に見えた。」


 親父がそう言いながら笑って立ち上がった。


「たぶん広縁だろうな。迎えに行って来る。」


 親父は小さなグラスにビールを注いで、それを手にして歩いて行った。


「…千里はいい婿殿だな。」


 おっちゃんが廊下を振り返って言う。


 ほんと…そうだよ。

 親父は最高の婿養子だと思う。

 父さんからの信頼も厚かったし…何より家族を大事にする。

 婿養子だからって遠慮もないし…

 姉ちゃんにベタベタするのは年甲斐もなく…って思わなくもないけど、その一方で少し羨ましく思ってる俺もいたりする。


 俺は…泉とどうなるのかな。


 昔からずっと好きで…やっと付き合う事になって…

 いつか結婚なんて出来たらいいなー…って漠然と思ってるけど。

 最近…全然会えねー…


 陸兄が二階堂の人間なのに麗姉と結婚出来たんだから、俺も出来るよなーって。

 何となーく…そう思ってるけど。

 陸兄と泉じゃ…立場が全然違ってるんだよな…


 二階堂は秘密組織。

 泉はそこの次女。

 俺にしてみれば…普通の不器用な女なんだけど…

 あいつは組織の中でも重要な人物で…期待もされてる。らしい。


 …元気にしてっかな…

 会いてーな…



「…おっちゃん。」


「ん?」


「…俺、聞いたよ。」


「何を。」


「俺…おっちゃんの息子なんだろ?」


「……」


 二人きりだし…いっかと思って言うと。


「おまえは貴司の息子だよ。あいつが立派に育てた。たくさんの愛を持って。」


 俺の目を見て…そう言った。



 父さんから聞いた時は…色々悩んだ。

 父さんに…強請られて精子を提供したとか…

 それで出来た俺の存在って何なんだよって。


 だけど考える事に飽きた頃…結局、俺はこの世に存在してしまったわけだし…

 もう、別に意味とか価値とか考える必要ねーや。って、急に開き直れた。


 だってさ…

 俺、おっちゃんの事好きだから。

 歳のクセにかっけーし。

 仕事も出来るし。

 …本当…いい人だし。



 おっちゃんと母さんの事も、すげー考えた。

 ずっと想い合ってんのに…結ばれないってさ…

 悲し過ぎるよな…って。

 だから、二人に後悔なんかして欲しくないって思った。



「…おっちゃん。俺…おっちゃんの事、父さんって呼びたいんだ。」


 おっちゃんの目を見て言うと、おっちゃんは…無言で俺を見つめ返した。


「頼むから、母さんと一緒になってくれよ。残りの人生、二人で楽しんでくれよ。」


 真顔でそう言うと、おっちゃんはゆっくりと溜息をついて…


「…俺には…」


 小さくそう言ったまま…しばらく時間が流れた。


 母さんを迎えに行ってた親父が戻って来て。

 それと入れ違うように…おっちゃんが立ち上がった。


「ちょっと話して来る。」


 その言葉に、俺と親父は…


「…行くなよ?聖。」


「親父こそ。」


「……」


「……」


 おっちゃんが大部屋を出て少しして…立ち上がった。




 〇桐生院さくら


 千里さんが大部屋に戻って行って。

 あたしは…藤の椅子に丸くなって座ったまま…ビールを飲んだ。


 ほんと…

 飲まないとやってられないよ…

 心臓に悪いような事ばっかり…!!


 あたし、大部屋に戻れるかな…

 まだなっちゃんと聖は昔話をしてるのかな…


 …全部思い出したわけじゃないから…

 あたしからはどう話していいか分からない。

 だけど、なっちゃんから話されるのは…嬉しいような恥ずかしいような…


 …嬉しい…けど…

 やっぱ恥ずかしい…!!

 戻れないよー!!

 大部屋!!


 そう思ってると…


「さくら。」


「……」


 大好きな声が…あたしを呼んだ。

 ゆっくりと声がした方を向くと。


「ビールが似合わないな。」


 なっちゃんは…クスクス笑いながらそばまで来て…座った。


「…でも…もうさすがに…未成年には見られないもん…」


 ドキドキしながら、そんな風にしか返せなかった。


 62歳なんだよ!?

 未成年なわけないじゃん!!

 って思うのに…なんて返しだよー!!あたし!!



「…お互い…歳を取ったな。」


 庭を眺めながら…なっちゃんが言った。


「…うん。」


「何か思い出した事はあるのか?」


「……例えば?」


「歌ってた事とか。」


「…それは…よく思い出せないけど…」


「そうか…」


「…なっちゃんが作ってくれた歌は…ずっと覚えてる…」


「……」


 つい…

『なっちゃん』って…言ってしまった。

 …いいよね?

 なっちゃんだって…『さくら』って言ってるし…



「…貴司に…」


「うん…」


「自分が死んだら、さくらと一緒になって欲しいと言われた。」


「……」


 瞳ちゃんにも…言われた。

 周子さんの願いでもある…と。

 なっちゃんは庭を眺めたまま…淡々とした口調で。


「ばーさんにも言われた…ああ、千里の言い方が移ったな。聞かれてたらマズイ。」


 そう言って少し笑った。


「…お義母さんまで…そんな事を?」


「ああ。」


「……」


 だけど…どうして急にそんな事を?

 貴司さんとお義母さんが亡くなって…七ヶ月も経って…

 何かなっちゃんの中で変化があったのかな…


 …引退の事?



「…ちょうどいい。報告するか。」


「え?」


「仏間に。」


 なっちゃんがそう言ってあたしに手招きして。

 あたしは…なっちゃんについて仏間に行くと、並んで仏前に座った。


「…貴司、ばー…お母さん。」


 ばーさんって言いかけたなっちゃんが、お母さんって言い直したのが…何だか可愛かった。

 お義母さん、なっちゃんに『お母さん』って呼ばれて、絶対喜んでるよね。



「俺は…歌の世界から引退する。」


「……」


 千里さんから聞いたけど…本人の口からそれが出ると…やっぱりショックだった。

 なっちゃんを見上げると、なっちゃんは貴司さんの遺影を見たまま…


「もう、余生は静かに過ごすよ。」


 小さく笑った。

 そして…


「二人に…さくらと一緒になってくれって頼まれたけど…」


「……」


「…俺には無理だな。」


「……」


 あたしは…

 どこかで期待していたのかもしれない。

 二人の仏前で…あたしと…って…


「いくら亡くなったとは言え…さくらは貴司の妻だ。俺にも周子がいる。さくらを…友人の妻として大事に想うよ。」


 なっちゃんの視線は…相変わらず貴司さんの遺影。

 あたしは…

 身体が震えるのを抑えようと必死だった。



「…イベントで歌うのが最後になる。」


「……」


「観に来てくれるか?」


「……」


 貴司さんの遺影に話しかけてるのかと思ったけど…

 顔を上げると、なっちゃんはあたしを見てた。


「……」


 あたしは…

 なぜか返事が出来なくて。

 そのイベントには…あたしも歌いに出るけど…

 そんな気分でもなくなってきて…

 ああ…どうしよう…って…

 頭の中、混乱してしまって…

 ……うつむいた。


「……」


 なっちゃんはそんなあたしの頭をポンポンとして…立ち上がった。


「…玉子料理は、あの頃のままだな。」


「……」


「美味いよ。」


 なっちゃんはそう言うと…静かに仏間を出て行った。


 あたしは…


「…ふっ……」


 涙が…ポロポロとこぼれて。

 くいしばっても止まらなくて。

 残ってたビールをキューッと飲みほして…


「……フラれちゃった。」


 貴司さんとお義母さんの遺影に…泣きながら笑いかけた。



 〇神 千里


 高原さんが立ち上がったのを見て、慌てて聖と大部屋に戻った。


「…おっちゃん酷いよ…」


 聖が唇を尖らせた。


「…報告なんて言うから、俺もてっきり…」


 一緒になるって言ってくれるのかと思ったのに。


 聖と二人でビールを注ぎ合ってかっ食らってると。


「もう一度事務所に戻るから、少しもらって帰っていいかな。」


 高原さんは大部屋に入ってすぐ、テーブルの上の料理を眺めて言った。


「…母さんは?」


 聖が高原さんを見上げて言うと。


「…仏前で飲んでる。」


 高原さんは視線を落としたまま言った。


「…ったくー…昔話で照れてんじゃねーよな。」


 そう言いながら聖が立ち上がってキッチンからタッパーを持って来た。


「おっちゃん、もう事務所戻らずに、これ持って帰って食ったらすぐ寝ろよ。歳なんだからさ。」


「痛い所突いて来るな。しかしイベントが迫ってるから。」


「イベントの事ならちゃんと進んでますから、万全の体調で挑めるよう休んで下さい。」


「…千里がそう言うなら、確かだな。」


 高原さんはそう言って聖からタッパーを受け取ると、料理を詰め込みながら…玉子焼きを一つ口に入れた。


「…よくオムレツを焼かされた。」


「え?」


「明日の朝はオムレツが食べたいって言われると、それを作るのは俺の役目だった。」


「……」


「…後にも先にも…誰かのために料理をしたのは…あの頃だけだな。」


「…なのに、何でだよ…」


 不意に、聖が眉間にしわを寄せて言った。


「こんなに…まだ想い合ってんだろ?なのに…なんで一緒にならねーんだよ。」


「聖。」


 俺が腕を取ってなだめても、聖は言葉を止めなかった。


「母さんを守ってやってくれよ。残りの人生、一緒に居てやってくれよ。」


「…聞いてたのか。」


 高原さんは小さく笑って。


「…一人で居たいんだ。」


 そうつぶやいた。


「……何でだよ!!」


 聖が叫んだ途端…


「もー…何?大きな声出して。」


 …義母さんが…戻って来た。

 少し…赤い目をして。


「あれ?帰っちゃうの?」


「…ああ。」


「ちょっと待って。入れ直すから。」


 義母さんは高原さんの手からタッパーを取ると、キッチンに行って入れ物を変えて次々と料理を詰め込んだ。


「…俺の分だけでいいんだぞ?」


 高原さんがそう声をかけると。


「明日の朝の分も。」


 義母さんは背中を向けたまま答えた。


 俺は…何だか心臓が痛い気がして。

 ちびちびとビールを飲みながら時間をやり過ごした。



「はい。」


 ついでのように、フルーツまで詰め込まれた紙袋を渡された高原さんは。


「…ありがとう。」


 苦笑いをしながらそれを掲げてみせた。


「声が少しかすれてるから、ちゃんと加湿器つけてね。」


「…バレたか。」


「もう歳なんだから、もっと気を付けて。」


「ふっ…そうだな。」


「……」


「……」


 …じれったい。

 たぶん…聖も隣でそう思ってるはずだ。

 だが…俺達が何を思っても…

 他人の想いは動かしようがない。


「…こんな風に話せるようになって良かった。」


 義母さんが…無理矢理のような笑顔でそう言って…

 代わりに俺が泣きたくなった。


 笑うなよ…義母さん。

 泣きてーんだろ…?


「…ああ…本当に。」


 手にグッと力が入った所に…


「ただいまー……あ、おじさま、いらっしゃい…って、え?もう帰るの?」


 咲華が帰って来た。


「ああ…おかえり。残業大変だな。」


「見たままを打ち込むだけだから、そうでもないのよ?」


 咲華。

 引きとめろ。


 俺と聖は顔に力を入れて訴えた。


 だが…


「…どうしたの?二人とも…変な顔して。」


 咲華には…

 何も通じなかった。





 〇桐生院知花


「えっ?」


 あたしが華音と帰って来てすぐ。

 千里に部屋に引っ張られて…


「今日、高原さんと帰って…飯食ってる最中に聖が色々昔話を聞きだして…」


 って、それにも驚いたのに…


「母さんがフラれたって…どうして?」


 高原さんが…お父さんの仏前で、一緒にはなれないって報告した…って。


「残りの人生、一人で居たいんだってさ…」


「…母さん…大丈夫そう?」


「…こんな風に話せるようになって良かった。とは言ってたけどな…赤い目をして。」


「……」


 イベントまで…あと二週間。

 その間に、SHE'S-HE'Sのリハは…三回しかない。

 て言うのも、あたし達が何か企んでる。って気付かれてるっぽくて…

 朝霧さんから、慎重に動けってお達しが。


 今回のイベントは、本当にサプライズ満載で…

 瞳さんと母さんの出演だけじゃない。

 他にも…用意されてる。

 たぶん、あたしも知らない事があるはず。


 瞳さんは、アズさんがそろそろ何か勘付いてきてるみたいで。


「今日どこ行ってたの?」


 って毎日聞かれるって言ってた。


「浮気じゃないわよ?」


 ニッコリ笑ってそう答えると。


「そ?ならいいんだけど。」


 って…

 アズさんは、今の所騙されてくれてる。

 ごめんなさい、アズさん。

 当日を楽しみにしてて‼︎



 それにしても…

 …母さん落ち込んでないかな…

 高原さん…絶対まだ母さんの事想ってくれてるはずなのに…


 どうして?

 どうして頑なに一人でいたがるの…?



「そう言えばおまえ…高原さんからバラード指摘されてたけど、どうなった?」


「……」


 つい…目を細めてしまった。


 あたしは…昔からバラードが下手だ。

 だけど出産を機に表現力がついたって言ってもらえて…良くなったって自分でも思ってた。


 だけど…

 やっぱりハードな曲が得意。

 そっちに力を入れてると…どうしてもバラードは苦手意識が…


「…頑張る…」


「イベントでもセットリストに入ってるよな?」


「…うん…」


「頼むぜ?トリなんだから。」


「…ねえ。」


「俺もバラードは苦手だ。」


「……」


 アドバイスをもらおうとしたのに、先に釘を刺されてしまった。

 同じ職業なんだから、何か一言くれたって…!!


 あたしが唇を尖らせると。


「…ちゃんと歌詞を自分の中に入れて歌えばいーんだよ。」


 千里は…そう言ってあたしの頭を抱き寄せた。


「悲しみは悲しみとして認める。おまえは悲しみを認めたくない歌い方になるから…下手って言われるんだ。」


「…そうなのかな…」


 悲しみを認めたくない歌い方…って言われて。

 あ、図星かも…って思った。

 あたしはどうしても…バラードになると強がってしまう。


 だけど…

 感情移入が怖い。


 あたしは…

 泣きながら歌うのなんて嫌だ。



「…期待してんぜ?」


 千里にキスされて…もう、そんな風に言われたら…頑張るしかないじゃないって思う反面…

 あと二週間で、あたし…

 上手くなれるのかな…って不安の方が大きくなっていった。

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