第21話 初孫のパワーと言うのは恐ろしい物で。

 初孫のパワーと言うのは恐ろしい物で。

 華音と咲華が産まれて、一年が経った頃。

 貴司が突然裏庭の蔵を壊して遊び場を作った。

 ビニールハウスの位置もずらして…そりゃあもう、たいそうな遊び場だ。


「…貴司、少し歩けば公園もあるのに…外に出さないつもりですか?」


 私が目を細めて裏庭を眺めながら言うと。


「いや…あんなに可愛いと誘拐の恐れが…」


「……」



 おまけに、家族が増えるという事で…居間と台所も改築して、かなり大きな部屋になった。

 貴司の爺バカには、麗と誓も驚きを隠せなかった。


 相変わらず写真やビデオを送ってくれる知花。

 それらが届くたびに、我が家は笑顔でいっぱいになり…


「ねえ、この服似合いそうじゃない?帰って来る頃ってサイズどれぐらいなのかなあ。」


 やたらと…子供服や雑貨の本が増えた。


「六月末ぐらいになさい。今買ってもあの子達は日に日に大きくなるんですから。」


「え~…でもこの服可愛いから売り切れちゃうよ…」


 麗は毎日毎日…華音と咲華の事で頭がいっぱい。

 それを、私と誓は首をすくめながら眺める。


 そして…七月の初旬…

 知花の楽団はアメリカで大きな公演を終えて、帰国した。


 その日は…どういう事か、貴司がお昼過ぎに会社から戻って来た。


「どうしたんですか。」


「辻さんが帰っていいと言ったので…」


「……」


 貴司が帰って数分した後…チャイムが鳴った。

 知花だった。

 私と貴司は急いで門まで迎えに行った。

 そこには…しっかりと自分の足で立っている華音と咲華。


「…まあ、大きくなった事。」


 写真やビデオでは見ていても…やはり目の前にするとその違いは大きく分かる。


「おかえり。」


 二人に顔を近付けて言ったが、二人とも少し困った顔をして知花の後に隠れた。


「ごめんね…タクシーの中で寝てたから。」


「いいんですよ。さ、おうちに入りましょ。」


 貴司が荷物を持って先に歩いて。

 知花が二人の手を持って庭に入った瞬間…


「わーあ……」


 二人の口から、可愛い声が漏れた。


「すごいね。広いね。」


 知花にそう言われた二人は、ニッコリと笑顔になって手を叩いた。


「玄関まで歩かせるのか?大丈夫か?」


 急ぎ足で荷物を運んだ貴司が戻って来て。


「さあ、じーちゃんの所においで。」


 二人の前にしゃがんで両手を出した…けど…


「……」


「……」


「あー…ごめんね。寝起きは機嫌が良くなくて…すぐ慣れるとは思うけど、もうちょっと待って?」


 知花が申し訳なさそうに貴司にそう言って。


「そうか…そうだな…二人から見れば、初めて会ったにも等しい…仕方ない…」


 そう答えながらも…とても残念そうな貴司。

 …こんな顔も持っていたのかと思うと、おかしくてたまらない。


 庭をのんびりと歩きながら。

 最後は華音が歩く事を断念して知花に抱えられて、玄関までたどり着いた。

 その頃には…咲華は私の着物を握りしめるぐらい…慣れてくれていた。



「わ…リフォームしたの?」


 居間に入ってすぐ、知花が驚いた声を出した。


「明るくていいだろう?」


「うん…ビックリ。よその家みたい。」


 確かに…今までは明るい部屋ではなかった。

 でも今は光も十分に入るし、改築してからは麗と誓も食後も部屋に戻らずここに居るようになった。



 華音と咲華におやつを食べさせて、その仕草の可愛らしさに私と貴司が笑顔になりっぱなしになっている頃…


「華音、咲華、じーちゃんと、おーばーちゃん、よ。」


 知花が二人にゆっくりと言った。

 二人は知花を見た後、私達を見て。


「じー。」


「おー。」


 可愛い声で…短くそう言った。


「まあっ…」


 嬉しくてつい…両手で口を隠して背筋を伸ばしてしまうと、隣にいた貴司が笑った。


 それから麗と誓も帰って来て。

 やっと…家族七人揃った。


 七人揃って初めての晩食は…本当に楽しくて美味しくて。

 だけど…

 これから毎日こんなに笑顔が溢れるのだろうかと思うと…


 私は心苦しかった。



 そんな私の罪悪感を少し軽くしてくれたのは…


「はい、あんっして?」


 華音と咲華が…知花の言葉に仏前に手を合わせてくれる事だった。

 小さな手を合わせて…


「あんっ。」


 と言って…頭を下げる。

 その仕草もまた…とても可愛らしい。

 帰国して毎日…三人は手を合わせてくれている。

 そして知花は…


「今日もありがとうございます。」


 最後に、そう言って顔を上げる。

 …どんな意味が込められているのか分からないけれど…

 それは聞かない事にした。



 知花達が帰国して二ヶ月…

 まだ暑い九月のある日。

 私は…お習字の先生の家でお茶をいただいての帰り道だった。


 …公園で…

 麗が、千里さんと話している。

 心臓が止まりそうになったけど…安心したのも確かだ。


 千里さんは、麗の話を聞いて少し呆然としていたけれど…

 泣き顔の麗の頭を撫でて…肩を抱き寄せた。

 それは…決意の表れのような気がした。


 麗が去った後、私は…意思確認のつもりで千里さんと話をした。

 偽装結婚の真相と…本当の気持ちを知りたかった。

 居場所を求めていた二人が…契約を結んだ。

 その結果の…偽装結婚。

 それは胸に刺さる言葉だった。


 …居場所…

 確かに、あの頃の知花にとっては…我が家は居場所ではなかったはず。

 そして千里さんは、キッカケはそうであったけれど、夫婦になれた気がしていた、と。

 けれど、自分の器が小さ過ぎて…知花に別れを決断させた、と…


 私は…千里さんと子供達を会わせる事にした。

 誰でもない…知花のためだ。

 知花だって…今も千里さんを想い続けている。

 胸に抱くだけの想いなんて…


「子供達に会って、自分を取り戻して下さい。そして…自分を取り戻したら、知花の事も…取り戻して下さい。」


 私がそう言うと、千里さんは何度も頭を下げた。


 …ずっと…想いあっていた二人。


 再び結ばれる日を…私は、強く願った。




 千里さんと子供達が会った。

 二人とも最初は警戒していたようだけど…すぐに懐いた。

 貴司は不機嫌そうだったけれど、千里さんの本心を聞いて…応援する立場に回ったようだ。

 後は…知花の固まってしまっている想いを…解きほぐす何かがある事を祈るだけ。


 知花には内緒のまま、千里さんと子供達の密会は続いた。

 あんな笑顔の出来る人だったのだ…と、千里さんを見ていて思った。

 子供達が可愛くてたまらない千里さんは、これではバレてしまいますよ、と言うのに…来るたびに服やオモチャを持参した。


 …可愛くてたまらないのでしょうけどね…



 でも、実の所…私は少しイライラしていた。

 千里さんは失敗する気はない。と言って、新しい楽団を作ったそうで…

 それで成功した暁には知花を迎えに来るつもりなのだろうけど…

 それは、いったいいつなのですか。

 のど元まで出かかってしまう言葉を、毎回飲みこんだ。

 この瞬間にも、どこかのトンビが知花をさらって行ってしまうんじゃないかと…気が気ではなかった。


 知花はまだ若い。

 それに、とても穏やかな雰囲気の可愛らしい子だ。

 知花の楽団も、結構な男前さん揃いで…

 あの方達にはお相手はいるのだろうか…

 知花は恋愛の対象になっているのではないだろうか…

 それもとても気になったし…


 知花の所属する音楽事務所。

 たいそう大きな会社だと聞いた…

 だとすると、社員さんもたくさんいらっしゃる事でしょう。

 そんな所で…知花は誰からも見初められないわけがない。


 婆バカと言われるとそれまでだが、知花は…本当に可愛い。

 そんな可愛い知花に悪い虫がつく前に…

 トンビがさらって行ってしまう前に…

 千里さん!!早く!!

 と…私が思っていた春の日…


「お義母さん、会いたかった…」


 …さくらが…戻って来た。



 さくらは…事故に遭って記憶を少し失っている。

 貴司からそう聞かされた。

 だけど…


「見てお義母さん!!」


「…さくら、声が大きいですよ。」


「はっ…ご…ごめん…」


 あまりの…元気の良さに。

 桐生院家にはいないぐらいの元気の良さに。


「……」


「……」


 華音と咲華は、さくらにかなり人見知りをした。

 それに…


「ねえ、おばあちゃま…」


「何ですか。」


「…あたし、あの人の事、お母さんって呼ばなきゃいけないの?」


 麗も、敬遠した。


「麗はさくらが嫌いなのかい?」


「…嫌いって言うか…騒々しくて苦手…」


 麗の言葉に、つい小さく笑ってしまった。


 騒々しい。

 まさしく、さくらにピッタリの言葉だ。


「そう呼んでやれば喜ぶんでしょうけどね…」


「しつこいんだよね…お母さんって呼んでくれって…そういうのって、あたしがその気にならなきゃ無理なのに…」


「……」


 誓はあっさりとさくらを『お母さん』と呼び始めたが…

 麗は容子さんの手前もあるのか…なかなか素直になれないようだった。


 騒々しいから苦手。

 とは言っているものの…

 さくらに抱きつかれる麗は、嫌そうな顔はしていても…本気じゃない。

 その証拠に、さくらが離れた後は…少し照れくさそうに…そして離れて行った体温を寂しげに振り返る。


 毎日が楽しく慌ただしく…

 私は、さくらにも貴司にも聞きたい事はたくさんあったけれど、なかなかその機会は訪れなかった。

 出来れば二人きりで話したいのだけど…

 以前はあんなに簡単に二人きりになれたこの家で、今それをしようとするのは困難だ。

 席を立つたびに、さくらが『どこ行くの?』と聞いてきたり、華音と咲華が付いて来たり…


 私は思い切って…貴司の会社まで出向いた。



「珍しいですね。」


 社長室のソファーで、貴司は優しく笑った。

 その貴司の肩越しに、飾られた家族写真が見えて…私も笑った。


「最近は家で密談などできませんからね。」


「ははっ。確かに。お茶でいいですか?」


「ええ。」


 貴司がお茶を入れてくれて、それを一口飲んでから…私は切り出した。


「さくらは…今までどこにいたのですか。」


「…ですよね。気になりますよね。」


 貴司は目を伏せて少し考えた後…


「うちを出た後…アメリカに渡ったのは間違いないようなのですが、向こうで事故に遭って…どういう経緯で渡米したのか等は覚えていないようなんです。」


 ゆっくりと、そう言った。


「…その後は?」


「…ずっと、寝たきりだったそうです。」


「寝たきり?さくらが?」


「ええ。」


「病院か何か…」


「…ある人が、ずっと一緒に居て下さいました。」


「……ある人…」


 それは…さくらが想い続けていた人なのだろうか。

 私はそう考えながらも、貴司の前では口に出来なかった。

 すると…


「…本当なら…さくらと一緒になるはずだった人です。」


 貴司が、組んだ指にギュッと力を入れたのが見えた。


「…さくらは…どうしてうちに…?」


「知花が…いるからでしょう。」


「……」


「私は…さくらを…知花をダシに連れて帰ったようなものです。」


「貴司…」


 時々…さくらが広縁から庭を眺めている気がして、その姿を見ていると。

 さくらは…庭ではなく、遠い…どこか遠い所を見ていた。

 そして空を見上げて…小さく何かをつぶやく。


 それは聞き取れないぐらいの小さな声で…

 私は…それがさくらの寂しさだなんて…気付かなかった。



「さくらは…きっとまだ…その人の事を想っています。」


「…それでも、夫婦として一緒に居る事を選んだ。さくらはいいとして…貴司。あなたは大丈夫なの?」


「…え?」


「他の人の事を想っているさくらと…」


「……」


 私の問いかけに、貴司はしばらく黙った。

 だけどそれは困った顔と言うより…なぜか少し微笑んでいるように見えた。


「…お母さん。」


「何ですか。」


「私は…少しおかしいのですかね…」


「え?」


「一人の人を一途に想い続けているさくらに…憧れるのですよ。」


「……」


 私は…この子は何を?と思った。


「さくらがうちに帰って…相手の方の事を色々調べました。調べていくうちに…私が彼に魅了されました。」


「…どんな方なんですか。そもそも…さくらがその人の所にいると…どうして分かったんですか。」


「知花ですよ。」


「……」


 そう言えば…知花の誕生日に…

 知花が、母親に会ってもいいかと言った。

 分かるかもしれない、と。


「…どうして知花が…?」


「…知花の会社の…会長さんなんです。」


「…え?」


 貴司は立ち上がると机の中から大きな封筒を取り出して。

 その中から…まずは写真を私に見せた。


「…この方…」


「知花の赤毛は、その人譲りです。」


 写真のその人は…何とも不思議な髪の毛の色で…


「…どこの国の方なの?」


「父親が日本人で、母親がイギリス人。ハーフですよ。」


「……」


 母親が、イギリス人…


「高原夏希さんという方です。」


 ドクン。と…心臓が激しく打った。

 私は写真から顔を上げずに…


「…高原…夏希さん。」


 名前を繰り返した。


 …ハルさんの…息子さんだろうか。

 条件は…合っている。


「…この人が…知花の会社の会長さんで…」


「知花の、実の父親ですよ。」


「……」


 なんて…皮肉な運命のめぐりあわせだろう…

 私はどうしても…高原家とは切れない運命にあるらしい…


「…どんな方なのかしらね…私もお会いしてみたいわ。」


「お母さんも?」


「ええ。さくらが…お世話になった方なら…お礼もしたいし…」


「そうですね…」


「これからも…仲良くしていただけると…嬉しいわ。」


「……」


 私は…何を想ってそう言ったのか…自分でも分からない。

 だけど…


 きっとこの人なら…と。


 この人なら…

 私の…無駄な気持ちを…いつか汲み取ってくれる存在になるのではないだろうか…と。


 そう…心の片隅で思ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る