第20話 あまりの天気の良さに、私は少し病院の中庭を歩いた。

 あまりの天気の良さに、私は少し病院の中庭を歩いた。

 着物を着ているせいで、かなり目立ってしまっている。

 話しかけられたりもするが、その時はゆっくりと会釈するに留まった。



 知花の子供達は…とても可愛らしい。

 少し小さいから保育器には入っているけれど、小さな口を大きく開けて欠伸をする様子は、つい目元をほころばせてしまう。

 ここ数日の疲れも、あの愛らしさを見ればどこかへと飛び去ってしまう。

 けれど…ベンチに座って、ああ…お味噌汁が飲みたい…などと、思い出したように食欲が来て。

 それについて一人で小さく笑いかけてた所に…


「……」


 私の思考回路が一旦停止した。

 視線の先に…見覚えある姿が…

 その人は、七生さんと談笑しながら…手を振って別れた。


 …なぜ…七生さんと?

 見覚えある姿は…高原陽路史さんだった。


 そう言えば、アメリカと日本を行き来していると聞いた。

 もしかしたら、拠点をこちらに移されたのだろうか。

 それにしても、なぜ七生さんと…?



「あ、おばあさま。」


 私に気付いた七生さんが笑顔で駆けて来て。


「こんにちは。」


 私の隣に座った。


「こんにちは。お仕事、もう終わられたの?」


「もう、今日はみんな仕事なんてしてる場合じゃないって感じでした。」


「まあ。」


「早く知花と双子ちゃんに会いたくて。」


 私はそんな七生さんに…


「…先ほどの方は?」


 問いかけた。


 少し…早口になってしまったような気がした。

 思いがけない場所で思いがけない人を見かけたのだ…当然だ。


「ああ…伯父なんです。」


「…伯父?」


「うちの父の兄です。主にこっちで仕事をしてて…さっき事務所の前で会って送ってもらったんです。」


「…そう…」


 と言う事は…

 七生さんは…ハルさんのお孫さん…?


 七生さん…だから…

 ハルさんが婿養子に出した末子さんが、七生さんのお父様…?


 …なんて世間は狭いのだろう。

 私は色んな皮肉めいた物を感じながら、それでも今は…笑うしかないような気分だった。


「それじゃ私、双子ちゃんに会いに行って来ます。」


 七生さんが、そわそわした様子で立ち上がった。


「ええ、私も後で。」


 七生さんの姿を見送って、空を見上げる。


 …容子さん。

 あなたが想いを寄せた方は…今も元気にしていらっしゃるようですよ。

 綺麗な姪御さんに手を振る姿…あなたにも見えたかしら。


 私はそんな事を思いながら、少しだけ目を閉じた。




 新生児室の前に行くと、七生さんがあからさまに口元を緩めて子供達を見ていた。


「あ~んもう…可愛すぎる~…食べちゃいたい~…」


 大きな独り言が聞こえて、つい笑ってしまった。


「知花には会いましたか?」


 後ろから声をかけると。


「あっ…まだです。て言うか、今の聞こえてました?」


「本当、食べてしまいたいほど可愛いですね。」


 ニッコリしながら言うと、七生さんは『あちゃー』と言いながら首をすくめた。


「じゃ、病室行って来ます。」


 七生さんがそう言って知花の所に向かってる時…

 突然私の耳に、バタバタと慌ただしい足音が届いた。

 何事かと眉をしかめると…それは貴司の物だった。


 あの貴司が。

 あの、貴司が。

 走っている。

 私は驚きを通り越して呆れた。

 走っているだけじゃなく、慌てている。

 目を見開いて、口を開けて…こんなだらしない顔の貴司は、初めて見た。

 何とも言えない気持ちになった。


 …毒が抜けたと言うか…

 今まで何かに騙されていたのかと言うような…

 とにかく、言いようのないおかしな気分だった。


 走っている途中で七生さんに出くわして、何か短く話して。

 七生さんが指差した方に向かって、再び駆け出した。

 その後ろを…麗と誓も走ってやって来た。


 私はその姿を見届けて、ゆっくりと病室に向かう。


 やっと…やっと、ここまで来た…そんな気がした。

 病室の中は、見なくても分かる気がした。

 きっと…みんな泣いたり笑ったり…照れくさそうにしているはず。


 容子さん、あなたをそこに入れてあげる事ができなくて…本当にごめんなさい。

 幸せを感じながらも、私の贖罪は尽きない。

 死を持って償うより、私は生きてこの罪を背負う。

 幸せになりながら…不幸にもなる。


 病室では、貴司が知花と手を取り合って泣いていた。

 それを見た誓ももらい泣きして…麗だけは戸惑った表情だったけれど…嫌そうではなかった。


 みんなで知花の子供達を見に行って…そしてやはり幸せな気分になった。

 …さくらが知ったら…どんな言葉を発するだろう。

 やはり、さっきの七生さんのように…食べちゃいたいと言うのだろうか。

 さくらの場合、もっと大声で…目を丸くして…食べちゃいたい!!と…



 その夜、私達は一晩中知花の子供達の名前を考えた。

 華の家の子達に…華音かのん咲華さくかと。


 事の他、あれだけ知花を毛嫌いしていた麗が張り切っていた事を…

 私は…容子さんが少しだけ…許してくれたのかしらね…と、勝手に思ってみた…。




 知花達はまだあと一年アメリカで活動する。

 心惜しいが、私達は後ろ髪を引かれながら帰国した。


 双子を抱く貴司の姿は…麗と誓の時のそれとは随分違っていた。

 とても笑顔で…私はそれに胸が多少なりとも痛んだけれど…


「もうっ、お父さん、そろそろ交代してよ!!」


「あっ、麗、もう三回目だろ?僕にも抱かせてよ。」


 麗と誓が…貴司に負けないぐらい、華音と咲華に釘付けだった事に…救われた。



 私達が帰国して一ヶ月。

 知花から手紙が届いた。

 初めての…知花からの手紙だった。

 寮生の時も、年に数回の電話だけで済ませて…手紙なんてお互い書かなかったのに。

 知花からの初めての手紙…


 そのエアメイルを手にした時、私は庭先でそれを胸に抱いた。


 その中には、家族みんなに宛てた手紙と…双子の写真。

 それとは別に、違う封筒に入れられた…私宛の手紙があった。


 家族宛ての物には、華音と咲華は毎日眠ってばかりだとか、華音より咲華の方がミルクの量が多いとか、家族で撮った写真を部屋に飾ったとか…

 読んで笑顔になれる近況を綴ってくれていた。

 写真も…目をパッチリ開けた華音と咲華のアップの物や、楽団の人達に囲まれて写った物…

 顔を見合わせているような風の華音と咲華の写真は…心底私を笑顔にしてくれた。


 なんて…幸せな写真だろう。

 早く誰か帰って来ないだろうか。

 誰かに見せたくて仕方ない。


 それなのに、そんな日に限って、いつもよりみんなの帰りが遅い。


 私は何度も写真を見返しては、用もないのに玄関先まで出向いたりした。

 …私宛の手紙は…まだ封を切らないまま。

 なぜか私はそれを読むのが…楽しみなようで怖かった。


 知花はきっと…感謝の言葉を書いてくれていると思う。

 それはとても…知花らしいと思えるし、私にとっても嬉しいはずだ。

 だけど…幸せを感じるたびに、私は胸の奥に抱える罪に支配される。

 こんなに幸せな今…それに気付きたくないと思い始めた自分がいる。


 …許される事などないのに…


 それでも…知花が初めてくれた手紙。

 私は、広縁で静かにそれを開いた。




 おばあちゃまへ


 おばあちゃま、お元気ですか?

 こちらは子供達もあたしも元気です。


 みんなが帰国した翌日からトレーニングが始まって…今はレコーディングの真っ最中です。

 子供達は仕事場に連れて行けるし、みんなもすごく助けてくれています。

(こんなに恵まれた環境で、頑張らないわけにはいかないよね)


 昨日、仕事場の窓から外を見ていると、桐生院の庭が懐かしくなりました。

 あの桜の木は今年も満開だったのかなあとか、池の鯉達は大きくなったのかしらとか…

 あたしは広縁からのあの景色がとても好きで、いつか子供達にも見せてやりたいなって思いました。


 おばあちゃま達をガッカリさせる事をしたのに…都合のいい事を思ってごめんなさい。

 そして…あたしはとても大事にされていたのに、それに気付く事が出来なくて、本当にごめんなさい。

 御礼が遅くなったけど、アメリカまで来てくれてありがとう。

 おばあちゃまが言ってくれた『しっかりなさい』が、すごく心強かった。


 華音と咲華を産んだ事に対しても、色々思う事はあっただろうに…何も言わずにいてくれてありがとう。

 勝手な事ばかりして、迷惑ばかりかけて、こんな孫でごめんねって思うのに…

 あたしは、おばあちゃまがあたしのおばあちゃまで良かったって、心から思うの。


 これからは、少しずつ恩返しも家族孝行も出来るよう頑張ります。

 また写真送るね。


 身体に気を付けて、いつまでも元気でいてね。


 知花



「……」


 おばあちゃまが、あたしのおばあちゃまで良かったって、心から思うの。



 最初は静かに読み進めていられたのに…

 そこで私の涙腺がおかしくなった。

 私は…知花を愛して止まないのに…色々な理由で…

 ……いいえ、結局は私が弱かっただけ…。

 自分の弱さで知花を蔑ろにしていたのに…


 知花は…私を…


「……」


 涙が便箋に落ちて、知花の文字がにじんだ。

 それをそっと抱きしめて…


 さくら…あなたの娘は…私の知らない所で、ちゃんと…立派に育ってましたよ…

 そう、心の中で思った。


 知花が好きだと言ったこの場所から庭を眺めて。

 そう言えば…千里さんもよくここから庭を眺めていたものだと思いだした。


 私は華音と咲華の写真を見て…

 こんなに可愛い存在を…千里さんは知る事はないのか…と思った。

 …さくらも、そうだ。

 さくらも…知花の今を知らないまま…


 これも…私に対する罰なのだろうか…



「ただいまー。」


 声がして庭に目をやると、誓と麗が私に手を振りながら歩いて来ている姿が見えた。


「…知花から手紙が届いてますよー。子供達の写真もー。」


 私は写真をヒラヒラとしながら、二人に大声で言った。


 すると…


「えーっ!!」


「見たい!!」


 二人は緩やかな坂道の階段を、我先にと駆けて来て。


「わー!!こんなにたくさん!?」


 まずは誓が写真を手にして。


「あー、誓早く早く!!」


 麗が早く見せろと急かした。


「これ、あなた達。玄関から入って来なさい。」


 沓脱石に靴を脱いで広縁に入って来た二人に言うと。


「後で!!」


 二人は同時にそう言った。


「……」


 やれやれ…



「ねえ、見て見ておばあちゃま。この写真、あたしと誓のアルバムに似たのがあったわよね?」


 麗が…私に抱きつくぐらい近付いて写真を見せた。


「…そうだね…知花が覚えてて同じようにしてくれたのかもしれないね。」


「やだもう~!!並べて飾りたい!!」


「麗、そんなにしたら写真が折れるよ!!」


「折れないもーん。」


「もー!!そっち僕にも見せてよ!!」


「父さん早く帰らないかなあ。あっ、会社に電話して写真立て買って帰ってって言おうよ!!ねっ、おばあちゃま!!」


「…そんな事で電話しないの。貴司は帰りが遅いから…今から三人で写真立てを買いに行きましょうかね。」


 私が二人にいつもの口調でそう言うと。


「はぁ~い……えっ!?」


 二人はとても驚いた顔をしたあと…


「行く行くー!!」


 笑顔で私に抱きついた。


「こ…これ、危ない…」



 知花、こちらの双子は…元気ですよ。

 あなたのおかげで…


 家族が…



「じゃ着替えて来る!!」


「麗、靴!!」


「誓頼むねー。」


「も~…!!」


「……」



 ……家族になりましたよ。

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