第19話 容子さんが亡くなった後の我が家は…穏やかだった。
容子さんが亡くなった後の我が家は…穏やかだった。
四十九日の法要が過ぎた頃、貴司が容子さんの荷物を整理し始めた。
…全て要らないとでも思っているのか…
片っ端から処分しているようだった。
「麗に残してやりたい着物もあるでしょうに…」
私がそう言うと。
「…では、お母さんに任せていいですか?」
片付けていた手を止めて、私に言った。
…亡き妻の荷物整理さえ、したくないと言うのかしら…
確かに…容子さんは亡くなる寸前は…貴司にたいそうな暴言を吐いていた。
身体も精神的にも辛いからか、心にもない事を言ってしまうのか…
それとも…それが本心なのか…
愛人の息子…と連呼して。
貴司は随分と苛立った顔をしていた。
…愛があれば…我慢もできたのかもしれないが…
貴司には…それがあったのだろうか…。
貴司から引き継いで荷物の整理をしていると…思いがけず日記が出て来た。
「……」
人の日記を盗み見るなど、趣味の悪い事はしたくなかったが…
高原氏との事が書いてないだろうか…と、そこが気になった私はそれを開いた。
すると…
『息が詰まる』『最悪な家だ』『使い物にならない夫』『気味の悪い娘』『愛人の息子を溺愛する義母』
「……」
つい、笑いが出そうになった。
容子さんは…何とも正直に…思いの丈を書き連ねているではないか。
私はパラパラとページをめくった。
『誰にも必要とされていない』
「……」
その文字は…酷く胸に刺さった。
『あの人に結婚を申し込んだが断られた』
『あの人の子供を妊娠出来た!!最高に幸せだ』
『あの人に結婚願望はない。私はおとなしく身を引くだけだ』
『あの人に、他の男の子供が出来たから別れようと言うと、あっさりと了承されて泣けた』
『私は桐生院のために生きる』
「……容子さん…。」
私は、バサリ。と日記を膝の上に置いて…涙を流した。
容子さんは…一人の女性だったのに。
私は…それすら無視してしまっていた。
桐生院のために生きる。
それは…私と同志だったと言えるのに…分かり合えなかった。
「…許してちょうだい…」
容子さんの着物を抱きしめて…私は泣いた。
今更泣いたとしても、許される事もなければ…届くはずもない。
私は…一生、この罪を背負う。
麗と誓を大事に育てる事でも…償いには満たないとしても…
容子さん…
桐生院に…来てくれたのに…
辛い想いばかりをさせて…ごめんなさい…
本当に……ごめんなさい…。
その後…
知花が高校は桜花に通いたいと言い始めて。
かなりの勉強をして、桜花を受験。
見事合格して…我が家に帰った。
知花が可愛い。
さくらの残してくれた…愛しい知花。
だが、私には…容子さんへの罪滅ぼしとして、麗と誓を大事にする宿命もある。
…そもそも、罪滅ぼしとしてではなくても…
みんなを平等に愛する事は出来ただろうに…
私自身、とても了見が狭く不器用な事に気付いていなかったのかもしれない…。
誓は知花に懐いていたが、麗は…まるで容子さんのように、我が家でも孤立していた。
麗は容子さんに似て美人だ。
だけど…性格が暗い。
友達も連れて来ないし、学校の話もしない。
それは…もしかしたら、あの事が麗の中に残っているからなのでは…と、私は麗が不憫だった。
まだ9歳だった麗が手にした…トリカブト。
あの日の麗を思うと…知花を蔑ろにしてしまう私がいた。
知花もまた…幼い頃は明るかったのに、私達の前では遠慮のかたまりだった。
常にみんなの顔色を見てしまうクセをつけさせたのは…誰でもない、私だ…。
けれど…
知花が桐生院に戻って数ヶ月。
突然…『彼氏』という存在を家に招いた。
神 千里さん。
そして彼は…知花が16歳になったらすぐ、結婚したいと申し出た。
まだ早い。
そう思う反面…
知花が居場所を見つけたのなら…と。
私と貴司は、それを許さざるを得なかった…。
二人は極秘結婚をして、住まいを持った。
知花は…明るくなった。
それが千里さんのおかげだと思うと、本当に感謝の気持ちしかなかった。
だけど、結婚から数ヶ月…また事件が起きた。
知花が…夫婦喧嘩の末、赤毛のまま学校に行って退学になったのだ。
呆れて物もいえなかったけれど…
結果幸せそうな知花を見ていると…もう、私達の手を離れたのだな…と思った。
どうか…このまま…と。
強く願っていたのに…。
知花は私達の知らない間に、楽団を組んでいた。
歌を歌っていると知った時は…しばらく忘れていたさくらを思い出した。
私はさくらの歌を聴いた事はないが…貴司はさくらの歌う姿に一目惚れしたと聴いた事がある。
その存在を知らないはずなのに…
知花が歌を…
私は、どこかで知花がさくらを求めているのだと思い、また…胸を痛めた。
好きな人の所に戻りなさい。
そう言ったのは…私だ。
知花から…引き離してしまった…。
楽団でデビューして、何もかも…上手くいくはずだったのに…
ある日、知花から千里さんとは偽装結婚だったと告白された。
家を出たいから、居場所を求めて結婚した、と。
目の前が真っ暗になってしまった。
全ては知花のため…と思っていた事も、知花にとっては必要とされない寂しさを植え付けただけ。
…容子さんと一緒だ。
その告白に激怒した貴司は…知花を勘当した。
私は…
さくらが出て行った日を思い出して…
…涙が止まらなかった。
貴司が知花を勘当して…どこかもぬけの殻になった。
…私も、貴司も。
だが…知花は夢を持ったのだ。
それも、仲間のいる夢だ。
私達が案ずるより…きっと若い者達で力を合わせてやっていくに違いない。
夏にはアメリカに行く事が決まっていると言っていたし…
…だけど…偽装結婚とか離婚とか…
私には信じられない事だ。
家のための結婚を強いられた世代には、知花の考えは甘過ぎる気がした。
家を出たいがために…?
そんな事、私も何万回思ったか分からない。
だが、知花は私の世代じゃない。
それに…私は愛を伝えきれなかった。
むしろ冷たくしてしまった。
…伝わるわけがない…
私はボンヤリと庭を見ながら、千里さんと知花が…あそこで口論をしていたかと思うと…指輪を差し出した日の事を思い出した。
…知花は驚いて…だけどとても嬉しそうな顔をした。
ゆっくりと抱き合う二人を見て…さくらもどこかでこんな風に幸せになっていれば…と。
あの瞬間の気持ちも…嘘だったと言うのだろうか…
私は毎日容子さんの仏前に手を合わせた。
これも…罰なのかしらね…と。
あなたの事を、もっと知って理解して、家族として迎え入れなかった…罰なのかしらね…と語りかけながら。
貴司と麗と誓と私…四人での生活はとても静かだった。
貴司は仕事を多く入れるようになり、帰りも遅く…子供達に会う時間が減ったように思った。
祥司さんを思い出したが、貴司は彼と違って一途だった。
今も…さくらを想い続けている。
穏やかで静かな生活は私にとって居心地は良かった。
けれど、ずっと空いたままの心の穴が埋まらない。
それは…いつからなのだろう。
ハルさんとくちづけを交わした遠い昔?
華穂が逝ってしまったあの日?
祥司さんが女の家で命果てたあの日?
さくらが出て行ってしまったあの日?
容子さんが亡くなった後、彼女の寂しさを思い知ったあの日?
知花が夢を追ってしまったあの日?
…思い返せば…全てが当てはまる気がした。
私は…私自信が…
ずっと、居場所を求めていたのかもしれない。
貴司がそうなるはずだったけれど…
私達はお互い、少し遠く離れた拠り所になってしまった気がする。
それはいつか…近くなる事があるのだろうか…。
「はい、桐生院でございます。」
その電話があったのは…麗と誓は桜花の高等部に進級。
庭の桜がそろそろ咲き始めた頃だった。
『あっ、知花のおばあさまですか?七生です。』
「………あら…七生さん…お元気ですか?」
すぐ反応する事が出来なかった。
七生さんは…知花と一緒に楽団を組んで渡米されたお嬢さん。
知花と同じ歳で、小さな頃から知花に良くして下さる。
七生さんが一緒なら…と、安心していたのも確かだが、私は小さな受話器相手にとめどなく言葉を並べてしまいそうで、第一声を出すのが怖かった。
知花は、知花は…と…次から次へと…何が聞きたいかも分からないのに、とにかく名前を言いたい気がした。
『あの…落ち着いて聞いて下さいね…』
色々思っていたが、七生さんのその言葉で全てが飛んでしまった。
「な…何かあったのですか!?知花に…知花に何か…」
気が動転してしまって、慌てた口調でそう言うと。
後ろにいた麗が怪訝そうな顔で私の隣に立った。
『あっ、怪我とか病気じゃないんでご安心を……って言っていいかどうか…』
七生さんは少しだけ朗らかな口調でそう言ったけれど…
怪我や病気じゃない?
それなら…いったい…
受話器を持ち直して。
「それでは、知花に何が…」
ゴクリ。と、何度も唾を飲んでしまった。
すると…
『実は…神さんには秘密にして欲しいんですけど…』
「…千里さんに?」
『はい…実は知花…』
「……」
『妊娠…してて…』
「………えっ…?」
『もう、何日かしたらー…産まれると思います。』
「……」
頭の中が…真っ白になった。
知花が…妊娠……?
「それはつまり…」
『神さんの…子供です。』
「……わかりました。すぐ、そちらに伺います。」
『本当ですか!?良かった…知花、たぶん心細いんだと思うんで…おばあさまが来て下さったら、きっと喜びます。』
…七生さんの言葉に…胸が締め付けられた。
知らない土地でお産だなんて…知花はどんなにか心細かっただろう…
それに…千里さんの…赤ちゃんだなんて…
『それと…双子なんです。』
「…まあ…」
つい、麗の顔を見てしまった。
容子さんと知花に何の繋がりがないとしても…私は勝手に容子さんを浮かべた。
「あ…あの…知花のこと、よろしく頼みますよ。」
受話器を両手で持って、噛みしめるように言うと。
『…はい。任せて下さい。おばあさまも、気を付けていらして下さいね。住所と電話番号、FAXするので確認してください。』
「分かりました。色々と…ありがとう。本当に…お願いします。」
私は、そこに七生さんはいないのに頭を下げた。
それを見た麗は、少し変な顔をしたけれど…
受話器を置いてすぐ。
「何なの?」
眉間にしわを寄せたまま聞いてきた。
「…知花が…」
「…事故か何か?」
「……」
あの知花が…
私は首を横に振って言った。
「…お産ですよ。」
「………えっ?」
案の定、麗は見た事もないような驚いた顔をした。
「…ただ、千里さんには内緒のようですから…口外しないように。」
FAXが届いた音がして、私はそれを印刷する。
「…口外しないようにって…神さんに会う事なんてないけど…」
麗は私の後をウロウロとついて歩いて。
「…別れたのに…どうして…」
小さな声でつぶやいた。
私はすぐに身支度をして、空港に向かった。
そして、空港から貴司に連絡をした。
麗と誓をお願いします。と。
すると貴司は…後から三人で渡米する、と…
貴司は…麗と誓と距離を取っているように思えた。
近付きたいのに方法が分からないのか…それとも意図的にそうしているのか。
だから…三人で渡米すると言ってくれた事に…私の胸は熱くなった。
七生さんからもらったFAXを頼りに、空港からタクシーに乗って病院に到着した。
協会の旅行や視察で渡米経験はあるが、英語が堪能なわけではない。
何となく聞き取れても話す事が出来ない私は、知花を想う気持ちだけで…ここまでやって来た。
「…おばあちゃま…」
病室にいた知花は、私を見て驚いた。
七生さんは…私が来ることを秘密にしていたらしい。
ベッドの脇に居る七生さんに深々とお辞儀をすると。
「連絡くださったら空港までお迎えしたのに。」
小さな声でそう言われた。
「いいえ…知花のそばに居て下さるだけでありがたいです。」
七生さんにそう言った後、知花に向き直って。
「なんて…情けない顔をしているのですか。」
口ではそう言いながらも…優しく前髪をかきあげた。
酸素マスクをしている知花は、両目一杯に涙を溜めて…私を見つめる。
「…大丈夫ですよ。ずっと、ついてるから。」
「…おばあちゃま…」
そばにあったタオルで涙を拭って、七生さんが出してくれた椅子に腰かけた。
知花のお腹は、双子という事もあって…さくらの時よりも大きかった。
私はそっとそのお腹に触りながら…
「…曾祖母ちゃんですよ…」
声をかけた。
それから数時間後…知花に陣痛らしきものが始まって。
私と七生さんは交互に知花の腰を擦ったり、手を握って励ましたりした。
楽団の仲間の方々も来られて、心配そうに見守って下さった。
まるで、父親が四人いるみたいだ、と七生さんは笑った。
私には悪い冗談にしか聞こえなかったが…産まれてくる子供達には、とても心強いのかもしれない。
頼れる存在が多くいると言うのは…。
そして…4月14日。
さくらの誕生日から十日後。
知花は、可愛らしい…男の子と女の子の双子を出産した。
小さくて…本当に小さくて…愛らしくて…
私は、また守るものが増えた喜びで…涙が止まらなかった。
そして…勝手にずっと祈り続けていた容子さんに…
ありがとう…と、これもまた…勝手な想いでしかなくても…
病院の屋上から、空を見上げて…手を合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます