第18話 「容子さん、ちょっと。」
「容子さん、ちょっと。」
私は…ハルさんの長男と容子さんを引き合わせる手を考えた。
とにかく子供を欲しがっている容子さんには…それをネタにするしかないのも分かっていた。
「何ですか。」
「…こちらへ。」
私はわざと中岡さんを避けるように小声で言って、容子さんに『秘密の話がある』と匂わせた。
洗濯室のそばまで来て、周りを見渡して。
「あまり…言いたくはありませんが、妊娠の傾向は?」
私がそう言うと、容子さんはあからさまに嫌な顔をした。
まあそうだろう。
私もそうだった。
結婚後、一番周りから言われたくない言葉だった。
「余計なお世話だとは思うのだけど…ずっと家に居てストレスが溜まっているんじゃないかしら。」
「私に…私に、子供が出来ない原因があるとおっしゃりたいのですか?」
容子さんは目をキッと吊り上げて。
「私だって早く子供が欲しいんです!!」
少し大きな声を出した。
「しー…解ってますよ…」
私は口元に指を立てて、容子さんの腕を擦った。
「ご実家からも親戚からも、何か言われて悩んでるのでしょう?まだ結婚して一年も経っていないと言うのに…本当に周りはうるさい事。」
「……」
「それとね、私…少し不安に思う事があるんですよ。」
「…不安…?何ですか?」
「貴司は…大人になっておたふく風邪をしてしまってね…」
「……」
「もしかしたら、子種が弱いのかもしれないんですよ。」
「…そんな…」
容子さんは、すごく困った顔をした。
そして、出来ない原因が貴司にあった場合…自分はどうしたら…と考えたのか、口元に手を当てて何かを考え込んでいるようだった。
「…私も、親戚中から責められて大変だったから、あなたの気持ちは分かりますよ。」
「お義母さん…」
「気晴らしに…年上の友人でも作ったらどう?」
私は着物の袂から一枚の紙を取り出した。
「今、このホテルで植物に関する展示会が行われてるの。」
「……」
容子さんは紙を手にして不思議そうな顔をした。
「その関係者の中に…貴司の腹違いのお兄様がいらっしゃいます。」
「…え?」
「知ってるんでしょう?私の夫は、あちこちに子供を作ってたのよ。」
「……」
特に驚いた顔をしない所を見ると、知っていたし…私の言わんとしている事も察したのかもしれない。
どうしても子供が欲しい容子さん。
そして…恐らく、容子さんとの間に子供を作る気がないからか、精子がない事を容子さんに伝えない貴司。
私は…知花と貴司を守らなくてはならない。
そのためなら…
「…お義母さま、私に…何をさせたいのですか?」
容子さんが低い声で言った。
「何を?あなたに子供を産んで…安心してもらいたいだけですよ。」
「……」
「さあ、オシャレして行ってらっしゃい。ストレス発散は大事ですよ。」
プライドの高い容子さんは、自ら不貞などしないはず。
待ちに待って貴司と結婚したのだ。
自分が桐生院を盛り返して見せる。と、息巻いて。
だが…夫に子種がないかもしれない。
そして、姑からストレス発散という浮気を勧められているなら…どうだろう。
容子さんは…一張羅の着物で出かけた。
私は前もって高原陽路史さんの姿を見に、その展示会に行って…この人なら…と思った。
容子さんより16も年上だが、物腰の柔らかさやユーモアのある会話。
貴司には悪いが、貴司よりずっと魅力的だ。
高原陽路史さんは独身。
もし…容子さんが恋にでも落ちて貴司と別れる気になれば…とも思う。
私は、この後の対策もぬかりないよう…中岡さんと裏で動いた。
高原氏は服飾関係の会社を持っていた。
かなり大きな物だ。
全国に店舗を展開していて、さらには造園業や遊技場の会社も手掛けた。
容子さんに向かわせたのは新しい造園の世界と題した展示会で、桐生院のような古くありふれた作りの庭から、近未来の日本家屋を想像したそれまで、幅広く映像やミニチュア、実際の写真や植えられている木々の紹介などが事細かに発表されてあった。
先に出向いた私でさえ、興味深く楽しめた。
長井が行ったら帰れなくなっていたかもしれない。
いつもと違って小奇麗な恰好で出かけた中岡さんは、容子さんにバレる事なく尾行に成功した。
容子さんは私には何も変わらない表情をして見せたが…
中岡さんが言うには、最初こそは固かったが、時間が経つにつれかなり笑顔になった、と。
…笑顔。
うちでは…最後に見たのはいつだろう。
容子さんが高原氏に想いを寄せるようなら…と、私は本気で思った。
誰でも好きな人と一緒になるのが一番だ。
そうじゃない人と一緒になって幸せを感じられるのは、自分じゃない誰かの幸せを願える人物なのかもしれない。
…私のように、ただ家のために…と育てられた者でさえ…
それは後悔でしかなかった。
…あの時、ハルさんの胸に飛び込んでいれば…
あの時、もっと祥司さんを好きになっていれば…
…どっちにしても、後悔だ。
私はハルさんの胸に飛び込まなかったし、祥司さんの優しさを知ったのは彼が亡くなってから。
…私には…自分の幸せより、誰かの幸せを願っている方が気が楽だ。
高原氏と会うようになって数ヶ月。
容子さんは、貴司に子作りをせがまなくなったのか…寝室が賑やかになる事が減った。
性格的にも少し柔らかくなったのか…時々知花の顔を見て笑う事もあった。
そんな時には私も嬉しくなって、広縁で三人でお茶をしたりもした。
だが、そんな穏やかな空気が続いたのは…ほんの数ヶ月…
容子さんが、あきらかに険しい表情で帰って来た。
少し距離が縮まっていたかのように思えたが、容子さんは相変わらず私に胸の内を語る事はなく。
容子さんが出かけるたびに尾行させていた中岡さんが言うには…
高原氏との逢瀬の後、泣きながらホテルから出て来た…と。
別れを告げられたのだろうか…
そう思ったが、その後も何度か容子さんは高原氏と会っていたようだった。
が…
夏の終わりに。
「聞いて下さい。妊娠しました。」
容子さんは…冷ややかな笑顔で私に言った。
「貴司さんの子供です。」
そんなはずはないのに…
まるで勝ち誇ったような、強い笑顔だった。
「あかちゃん。こっちも、あかちゃん。」
翌年の三月。
容子さんが…男女の双子を産んだ。
「かわいい!!ちはな、あかちゃんよしよししゅる!!」
新生児室の前で双子を見ながら、知花は満面の笑み。
そんな知花に癒される私と貴司がいた。
容子さんは産後の肥立ちが悪く、もうしばらく入院となり…
双子だけが私達と家に戻ったが…
とにかく、よく泣く。
昼夜問わず…泣き続ける。
「貴司…この子達、どこか悪いんじゃないのかしら…」
「赤ん坊は泣くのが仕事でしょう。」
「そうは言っても…泣き過ぎじゃないかしら…」
華穂はあまり泣かない子だった。
そして、知花も…本当に泣かない、一人で寝かしていても、気付いたら自分の足を持って笑っていたり…
手のかからない子だった。
だから、こんなに泣く子供は…しかも二人…
私は手を焼いた。
昼間は中岡さんも来てくれるが、夜は貴司と私だけ。
貴司は…泣き声が気にならないのか、起きもしない。
「おばーちゃま、ちはな、あかちゃんに、おうたうたうよ?」
私も中岡さんも、少しグッタリしてしまっている時だった。
知花がそんな事を言って、双子を前に…何かわけの分からない歌を歌い始めたのだ。
すると…なぜか双子は泣き止んだ。
「あら~、泣き止んだ。知花お嬢ちゃま、お歌上手ですよ。」
中岡さんが拍手をしながらそう言うと、知花は照れくさそうにスカートの裾を持って。
「うーちゃんと、ちーちゃん、いっぱいないたから、おなかしゅいたのかな。」
そう言って、双子の顔を覗き込んだ。
私と中岡さんは、ハッと顔を見合わせた。
こんなに泣くのだから、確かに普通の子よりエネルギーは消費する!!
二人で双子にミルクをやっている間も、知花はその様子を笑顔で見ながら。
「はやくおっきくなって、ちはなとあしょんでね?」
私と中岡さんは…そんな知花に心底癒された。
そして…私はそんな知花を見るたび…
さくらは…元気なのだろうか…と。
さくらの身を案じた。
容子さんは、麗と誓は貴司の子供だ。と言い切った。
だが、容子さんの妊娠が発覚した後に…また貴司が病院を訪れて検査をしていた事が分かった。
貴司は…容子さんの浮気を疑っている。
当然と言えば当然だ。
貴司は自分に精子がない事を知っているし…
ましてや子供も欲しくなかったのだろうから。
容子さんは麗と誓を溺愛し、知花を邪険にした。
この頃から…知花の髪の毛が茶色から赤に変わり、周りから好奇の目で見られるようになった。
せっかく入った幼稚舎も、周りからの『どうしてそんな変な色なの?』という子供ならではの罪のない正直な言葉と…
先生方からの『病院で診てもらった方が…』という遠慮がちな提案と…
「知花のせいで恥ずかしい思いをするのは私達なんですよ。」
容子さんの…容赦ない知花イジメ。
私は、知花を登園させるのをやめた。
そして…容子さんの目が届かない場所におけない物かと考えて…
インターナショナルスクールの下見に行った。
そこにはいろんな国の子達がいて、髪の色も肌の色も様々だ。
…知花を手放すのは辛いが…
容子さんを抑え付けられない貴司の不甲斐なさ…
そして…私も…
「もし貴司さんに何か言ったら…私、お義母さんから勧められて浮気したって言いますよ。」
自分のした事を…悔いた。
知花を守るはずが…孤立させてしまった。
若干7歳の知花を寮に入れて…私は遠くからその成長を見守るしかなかった。
こうして知花は桐生院の誰にも愛されていないと思いこみ…
何としても早く家を出たいと思うようになるなんて…
その時は、予想だにしなかった。
知花は…本来とても明るい子だったと思う。
寮生だった知花に会いに行く事も出来たのに。
私は…それもしなかった。
知花はずっと私と貴司から離れて、どんなに心細かっただろう。
帰って来る時ぐらいは、存分に甘やかせてやりたいという気持ちがあったが…
年に数回帰って来るたびに…容子さんは麗と誓を近付けまいとして、知花を部屋に閉じ込めた。
それは、私と貴司が何を言っても…無駄だった。
私には秘密をばらすと言い、貴司には誰のせいだと思ってるのか…と。
正直…容子さんがどうしてこんなに強気でいられるのか、それも不思議でならなかった。
私がピシャリと出て行けと言っても良かったのだが…麗と誓まで連れて行かれるのは困る。
二人には…罪はない。
それに…私は…バカな私は…
麗と誓が高原陽路史さんの子供だと言う事で…違う愛しさを感じていた。
…血の繋がりはないにせよ…ハルさんの息子さんだ。
もう二度と会う事はないとしても…私はまだどこかに淡い気持ちを抱いたままで。
どうにか…容子さんが落ち着いてくれない物だろうか…と、胸を痛めながらも考えていた。
知花がすっかり家族に心を閉ざしてしまった頃…
それは起きた。
「病院に行って来ます…」
ある朝、なかなか起きて来なかった容子さんが、真っ青な顔で台所に来た。
「…どうした?」
新聞を読んでいた貴司が、険しい顔で容子さんを見た。
「最近…体調が悪くて…」
「どういう風に?」
「どう例えたらいいのか…とにかく…辛いの…」
「車を出すから、乗って行きなさい。」
貴司も…こんな時は優しい。
子供達の事が絡まなければ…容子さんと貴司は、もしかしたらいい夫婦だったのかもしれない。
…高原氏を紹介したのは、間違いだったのだろうか…
季節の変わり目で体調が悪いのかと思っていたが…容子さんは入院した。
けれど、入院しても一向に良くならない容子さんは、結局二週間で退院し、自宅療養となった。
だけど…病気のせいで被害妄想でもしているのか…
「来ないで!!」
誰も寄せ付けなくなった。
部屋に入ろうものなら、何かを投げ付けて来る。
唯一…麗だけは、布団の傍に座らせて。
「麗だけは…母さんの味方よね…?」
そう、暗示のように言い続けていた。
そんな麗が…不憫だった。
ある日、裏庭にあるビニールハウスの前で、中岡さんと長井が貴司に土下座をしている姿を見かけて。
私は…陰からそれを見守った。
すると…
「まさか…トリカブトを?」
…え?
「すみません…どうしても…お子様達が不憫で…」
中岡さんは、そう言って泣き崩れた。
…二人は…容子さんにトリカブトの毒を盛っていた…と?
私は胸を押さえて飛び出そうとしたが…
「…この事は、誰にも言わないように。」
貴司が…低い声で言った。
「…えっ?」
「決して誰にも言わないように。そして、もう…そんな事はやめて下さい。」
「…分かりました…本当に…すみませんでした…!!」
二人は額が汚れてしまうほど、地面にそれをこすりつけるようにして謝った。
…トリカブト…
私の脳裏に、色んな気持ちが湧いた。
だが、すぐに頭を振って消し去った。
…私は、華の家の人間だ。
なのに…今私は…とんでもない事を…考えてしまった。
結局家に居ても食事もまともにとれない容子さんを、半ば無理矢理大学病院に入れた。
「…毒?」
「そう言われました。」
「……」
前の病院では原因不明と言われたが。
大学病院では、毒物性アレルギーと言われたらしく…
貴司はそれだけを私に言った。
…中岡さん達がトリカブトを使っていた事は…言わなかった。
だが…
貴司に咎められてからは、中岡さん達は毒など盛っていなかったはずなのに…一向に良くならないのはなぜだろう…
容子さんはもはや誰が病室に入っても、物を投げ付ける気力もなくなっているが、貴司の手前、中岡さんも長井も病院には行かない。
そんなある日、私は…麗がビニールハウスから出てくるのを見てしまった。
…ゴム手袋をして。
まさか…
まさか、麗が…?
呼吸がおかしくなった気がした。
私は麗から見える位置に立って。
「…麗。」
声をかけた。
麗は驚いたように私を振り返って…慌てて、両手を後ろに隠した。
「何をしているの?」
「…別に…何も…」
「……」
「……」
「病院に行くなら、早く支度なさい。」
その手の物を見せろ…とは…言えなかった。
麗は…容子さんを守りたいと思う反面…自分だけに伸し掛かる愛情に疲れているはずだ。
…私が…何とかしなくては…
麗の手を汚すわけには行かない。
そして私は…
容子さんが処方されている薬の中から…解毒剤を抜いた。
麗と誓は弱って行く容子さんを見て泣いた。
…嘘には思えなかった。
きっと、本当に…色々な想いがあるとしても…二人は悲しくて泣いているんだ。
それから…間もなくして、容子さんは亡くなった。
13歳になった知花も葬儀には戻って来た。
麗と誓を労わって、そっと肩に手を掛けてやったり…時々涙ぐむ姿も見えた。
私は…三人の姿を見るたびに、胸が張り裂ける想いだった。
子供達を…酷い目に遭わせているのは、私達大人だ。
容子さんは…私が殺したも同然。
いくら知花に対して非情であっても…
こんな道を選ぶ事はなかったのに。
中岡さん達のせいにするわけではないが…あの土下座の場面を見て…私は『解放される』と思ってしまったのだ。
何から解放されるのか…それすら分からないのに…
葬儀の後、親戚がうちに集まって弔いの宴が始まった。
容子さんの親は肩を落としてはいたが…実際の所、あの人達にも手に負えない娘だったようで…
『ご迷惑をおかけしました』と、一言謝って帰って行った。
「大奥様…私…」
階段の前で、中岡さんが涙ぐんだ。
「…何ですか。まだまだ用事はたくさんあります。私達が悲しむのは明日にしましょう。」
「ですが…大奥様…聞いて下さい…」
「長井、聞こえなかったの?明日にしましょう。」
小声で、そんな会話をしていると…
「……」
ふいに、階段から誓と知花が降りてきた。
「…何ですか。」
つい、冷たい口調になってしまった。
何も…悟られてはいけない。
「あ…何か…飲み物をと思って…」
遠慮がちにそう言った知花に。
「後で持って上がります。」
私は短くそう言って背中を向けた。
…まるで、人前に出るなと言わんばかりに。
実際、知花を親戚の前に出すのは…嫌いだ。
貴司を捨てた女の娘だとか…赤毛を見てどこか病気に違いないとか、噂や妄想だけで物を言うバカな輩ばかり。
…私は、知花を守っているつもりでも…
多感な知花から見れば…人前に出すのを恥ずかしいと思われている…と。
なぜ…私は…知花の気持ちを思いやってやれなかったのだろう。
みんなの幸せを願いながら…
結局私は、みんなを不幸にしてしまっている…。
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