第28話 「……」

 〇桐生院知花


「……」


 あたしは…その千里のしている事に…目を細めた。


「やだーっ、神さん指細ーい。」


「おまえが太いんじゃねーか?」


「ひどーいっ!!」


「あたしも見せて!!」


「あたしもー!!」


 千里が…五人の女の子に囲まれて。

 …結婚指輪を見せびらかしてる…って言うより。


 他の女の子に、はめさせてる。


 さすがに…普通にヤキモチ焼きのあたしに…

 この行為は腹が立った。

 結婚指輪を外して、他の女の子の指につけさせるとか…


 ねえ、千里。

 何してるの?



「…やだ、何だか怖い顔したオバサンが見てる…」


 女の子の一人が、こっちを見て小声で言ったけど…

 あたしは地獄耳。

 それが聞こえて…目を見開いた。


 …怖い顔したオバサン…!!


 女の子達と千里が一斉にこっちを見て。

 立ちすくんだあたしを見付けた千里が。


「ひでーなおまえら。俺の嫁さんだぜ?」


 そう言って笑いながら………あたしの方に来た。


 …けど。

 あたしはとっさに向きを変えて小走りに去った。


「え?おい、知花。」


「……」


「おいってば。」


 あたしに追い付いた千里が肩を持って振り向かせたけど…あたしの唇が尖ってるのを見て。


「…なんだ。妬いてんのかよ。」


 ニヤニヤした。


 ……あ、やだな。

 何だろ。

 今、すごく…すごーく…心の中で…嫌な音がした。

 プチッ…て感じの音。

 何が切れたんだろ。


 確かに22歳の女の子達はスタイル良くて可愛くて、彼女達から見たら…あたしはオバサンだ。


 トリビュートアルバム、どれも一発OKだったあたしは、最近SHE'S-HE'Sの極秘リハでしか歌ってなくて。

 それもバレちゃいけないから、普段着で麗んちに通ってて。

 母さんと瞳さんとお茶したり料理したりの時間の方が多くて…



「…あれ、神さんの奥さん?何だか…所帯じみた感じ…ガッカリ…」


 …聞こえるの。

 残念ながら、聞こえるのよ。

 そうね。

 あたしが悪い。

 千里の愛にあぐらをかいてるつもりはないけど、千里に限って…って思い過ぎてる所はあるのかも。



「知花?」


 妬いてんのか?って聞かれても返事をしなくて。

 尖ってた唇は真っ直ぐになって。

 顔から表情がなくなったからか…千里があたしの前髪をかきあげながら顔を覗き込んだ。



「あたし、自動車学校行っていい?」


 目を見てそう言うと。


「はあ?」


 千里はすごく驚いた顔をした。


「自動車学校。」


「……」


「今、比較的暇だし。」


「暇なわけねーだろ。大イベント前で忙しいのに。」


「…あたしはそうでもないけど。」


「どこか行きたいなら乗せてってやるぜ?」


「嘘ばっかり。どれもこれも仕事で流れてるじゃない。」


「うっ…」


 それも思い出すと…またどこかでプチッて音がした気がした。

 二人きりで行く気になってた旅行も…

 別に千里じゃなくてもいいのに…千里が名乗り出てしまったがために仕事になってキャンセルされた。


 おまえなら分かるだろ。


 そう言われると、うん。としか言えないあたしもいて…



「あたし、行きたい所には自分で行くから。」


 そうだ。

 千里は…自分がいないとあたしがどこにも行けないって思ってる。

 そんな事ない。

 あたしだって…

 自分で…


「……」


 千里はポリポリと頭をかいて。


「何に怒ってんのか知らねーけど、好きにしろ。」


 すごく投げやりにそう言って…あたしに背中を向けた。




 〇神 千里


 俺は…イライラしていた。


 突然、朝霧さんから。


「女子バンドのプロデュース頼むわ。」


 そう言われて。

 陸か早乙女に丸投げしてやろうと思ってたのに…


「みんな並べー。こちらが、おまえらのプロデューサー、神千里様や。」


 OKもしてないのに…全員を目の前に並ばされた。


 全員22歳。

 五人とも…そこそこにルックスも顔も…いい。

 だが…


「譜面?読めなーい。」


 全員が譜面を読めなくて。


「歌ってみてくださーい。」


 ……ふざけるな!!


 って怒鳴りたかったが…


「根気よく育てるんやで?あいつら絶対金の卵やから。」


 朝霧さんが…そう言うから…

 とりあえず、どれだけの力量があるか…スタジオで聴いてみた。



「……」


 それは、ギャップも手伝っての事だとは思うが…


 イケる。


 そう思った。


 楽器隊の技術もさる事ながら…ボーカルの声がいい。

 知花ほど音域は広くないが、適度なハスキーボイスはインパクトがあった。

 バンド名は『BackPack』…全員がリュックを背負ってた高校生時代に結成したらしい。


 周子さんのトリビュートアルバムを作る傍ら、夏の大イベントの事も進めながら…こいつらの面倒も見る。

 …なかなかの乱雑具合だ。

 イベント前には本腰入れて自分のバンドのリハもしなきゃいけねーのに。



 そんな時に…知花が。


「自動車学校行っていい?」


 …嘘だろ。

 おまえ免許なんて欲しいのかよ。

 どこにでも歩いて行っちまうクセに。

 て言うか、絶対俺がこいつらと喋ってるの見て妬いてたクセに。

 途中から能面みたいな顔しやがって。



「見てっ。C to Cって彫ってあるっ。」


「結婚指輪って憧れる~。」


 俺の指輪を見せてくれと言って、それを持ったまま騒いでる五人をほったらかして書類を見てるフリをしたままイライラしてると…


「千里。」


 開けっ放しにしてる会議室のドアから、瞳が顔を覗かせた。


「…おう、久しぶりだな。」


 瞳の登場にホッとした。

 大人と話がしたいと思っていたからだ。


「おまえら、譜面読めるようになっとけよ。」


 五人に譜面を渡してそう言うと、意外にも明るい返事が返ってきた。


「…何あれ。」


 瞳が眉をしかめて五人を見ながら廊下に出る。


「金の卵。」


 俺の言葉に瞳はもう一度窓から中を見て。


「…楽しみにしてるわ。」


 低い声でそう言った。





 瞳と事務所の近くのカフェに入った。

 色々聞きたい事もあったし…二人でコーヒーをオーダーして奥の席に座る。


「SHE'S-HE'Sはどうだ?」


 開口一番問いかけると。


「刺激にも自信にもなったわ。」


 瞳は…昔見た事がある自信に溢れた目を見せた。


 …これだよな。

 瞳はやっぱ、こうでなくちゃな。


「誘ってくれた知花ちゃんと、色々あたしのバリアを壊してくれたさくらさんに感謝だわ。」



 …瞳をSHE'S-HE'Sに誘いたい…と、知花から相談を受けた時は。

 あいつに歌えんのか?と思った。

 でも知花は信じて疑わなかった。


『瞳さんは、あたしより上を出せる』と。



 SHE'S-HE'Sには楽曲が多い上に…複雑なパターンが揃ってる。

 バックボーカルを二人入れるとなると、かなりの練習量をとってイベントに挑んでもらわなきゃ困る。

 それに、秋にはレコーディングに入る予定のSHE'S-HE'Sには…大改革が予想される。

 その準備のためにも、今の内に猛練習が必要だ。



「…歌うわ。」


 俺がカップに口を付けかけた時、瞳が言った。


「あ?」


「母さんのアルバム…最後の一曲は…あたしが歌うわ。」


「……」


 俺の目を真っ直ぐに見る瞳。

 俺はそんな瞳に右手を差し出した。

 こいつと握手なんて…らしくねーけど。

 そうしたくなった。


「…何?」


 瞳は小さく笑いながら、俺の手を握り返す。


「これで完璧な作品になるなと思って。」


「完璧かな。」


「完璧さ。」


 高原さんが…ずっと願ってた事だ。


 瞳に歌わせたい。


 それは密かにSHE'S-HE'Sでも進められた事だが…

 やはり周子さんのトリビュートアルバムは…特別だ。

 しかし…功を奏したな。

 SHE'S-HE'Sでの練習のおかげで、瞳は多分…自分でも思う以上に声が出るはずだ。



「高原さんには?」


「まだ。後で言いに行くわ。」


「そうか。」


 イベントで瞳と義母さんがSHE'S-HE'Sに参加するのは高原さんも知らない。

 瞳だけでも十分サプライズだが…

 義母さんの歌う姿なんて…

 …俺まで緊張する。



「…ねえ、結婚指輪どうしたの?」


 不意に瞳に指摘されて、外したままだった事に気付く。


「ああ…あいつらに見せろって言われてそのままだな。」


 俺の言葉に瞳は眉間にしわを寄せて。


「やめてよ。知花ちゃんが知ったら良く思わないわよ?」


 コーヒーを飲んだ。


「…さっき見られたけど。」


「……」


「別に、普通に歩いてったぜ?」


「…知花ちゃんが指輪を外して他の男に見せてたら?」


「…………悪かったよ。」


「それは知花ちゃんに。」



 ムカつくのは分かる。

 俺だって絶対ムカつく。

 だが…仕事上付き合わなきゃなんねー奴らとの会話の中でのアレコレは…仕方ねーよな。

 俺は別にあいつらになびくはずもねーし。



「そういや、あいつら知花の事を怖い顔したオバサンとか言いやがった。」


「あーあたしがムカつくー。」


「おしおきだな。」


「……」


「変な想像すんなよ。」


「したわ。」



 俺は…この時、とてものんきで。

 知花の気持ちが…離れて行くなんて思いもよらなかった。





 〇東 瞳


「OK…じゃ、通してやってみてくれ。」


 あたしは今日…母さんのトリビュートアルバムに最後の一曲を加えるため…スタジオに来た。

 あたし自身がここで歌うのは…何年ぶり…何十年ぶりだろう。



 スタジオには予想外に多くのギャラリー。

 好奇心で観に来てる人が大半だと思う。

 声なんて出るのかよ。みたいな?


 …残念ながら、出るのよ。

 知花ちゃんと…さくらさん…

 SHE'S-HE'Sのおかげでね。



 本当…色んな物を取り戻す事が出来た。

 それが、母さんが亡くなって何年も経ってからって言うのが残念だけど…

 …あたしらしくていいんじゃない?

 そう思ってもいいと思える。


 だって…

 母さんがここに存在しないからって…あたしの気持ちが届かないとは思わない。



「ほないくで。」


 あたしの歌に付き合ってくれるのは…

 ギターはマノンさんと圭司。

 ベースは…映。

 ドラムが朝霧君で、キーボードはナオトさん。


 まさか…圭司と映と演れるなんて…

 これもまた夢みたいで。

 でも、心からそう思えるのも…今だからなんだよね。

 無理矢理引き受けてたら…こんな気持ちにはならなかったと思う。


 最後の一曲は…母さんが、もしあたしがアメリカデビューするなら…って作ってくれてた幻の曲。

 どこにも出してない…藤堂周子の新曲。


 あたしはあの後…日本でデビューしたけど…

 その時は、違う曲を選んだ。

 約束を守れなかったから。


 今のこれだってアメリカデビューとは違うけど…

 時を経て、あたしの再スタート…あたしの…これがあたしのデビューだって事にしたいから。


 母さん…いいよね?



 あの頃は苦手だったバラード。

 ナオトさんのピアノ…気持ちいいなあ…


 Bメロから全パートが入って…少し鳥肌が立った。

 映のベース…こんなに優しくて力強いんだ…

 DEEBEEでは踊るようなベースラインだから…こういう曲は苦手かなって思ってたけど…


 サビを歌いながら…目を閉じた。

 そこに、笑う母さんと…苦しむ母さんの姿を浮かべた。


 …ごめんね…娘失格で…

 だけど…ありがとう…あたしの事…産んでくれて。

 母さんにとっては…もしかしたら苦しみの種だったかもしれないけど…

 あたし…母さんの分も…

 …笑って生きてくから。



 圭司のソロが始まって…あたしは二人の写真を思い出して笑った。

 嫌がる母さんの顔に無理矢理頬を合わせるみたいにして。

 圭司は…よく一緒に写真を撮ってた。

 あたしと母さんの物より、断然多い。

 …本当の親子みたい。

 あたしの親孝行は…圭司と結婚した事かもしれないわね…。


 大サビでは…見学してる何人かが泣いてるのが見えた。

 母さんの歌…ちゃんと響いてるんだよ。

 聴いてる?聴いててよ…ずっと。



 歌い終わると、ブースにいた父さんが立ち上がって拍手をしてくれて。

 それに続いて…マノンさんも朝霧君も…立ち上がって手を叩いてくれた。


「…あ…ありがとうございます…」


 すごく…嬉しくて深くお辞儀をすると…そんなつもりはないのに涙が溢れた。


「サイコーだったよ、瞳。」


 いつもなら飛び跳ねるように言うはずの圭司が…静かに来てあたしを抱きしめた。


「…見直した。」


 映が照れ臭そうにそう言って…あたしも何だか照れてしまった。

 もう一度父さんを見ると…父さんは何度も…優しい顔であたしに頷いてくれた。


 …父さん。

 お願い。


 もう、残りの人生…自分のために使って…。

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