第14話 初めての親子の抱擁…のような事があった後。

初めての親子の抱擁…のような事があった後。

私と貴司の静かな生活が始まった。


私が花を活けていると、学校から帰った貴司が静かに傍に座って活け始める。

特に教えたわけでもないのに…貴司にはセンスがあった。


「…お母さん、僕は高等部に進学していいのでしょうか…」


私と貴司の会話は、花を活けないがらの方が弾んだ。

口数は多くないが…肝心な話は、なぜかその時に行われた。


「どうしてですか。」


「お父さんが言っていました。僕には許嫁がいる…と…」


「……」


お父さん、と言われて…顔を上げた。


すっかり忘れていた。

許嫁の事ではなく、祥司さんの事を。


あの男、あまり帰って来やしないのに…貴司にそんな事だけは吹き込んでいるなんて。

確かに、貴司には東海林しょうじ家という、たいそうな金持ちの家の許嫁がいる。

だが、まだ子供だ。

自分が15歳の時は、もうすぐ夫を迎えるという覚悟を何となく持たされてしまったが…

私から見ると、15歳の貴司は頼もしいようでもまだ子供だ。



「進学なさい。高等部にも大学にも行って、好きな事をたくさんおやりなさい。」


私がそう言うと、貴司は手を止めて驚いた顔をした。


「…何ですか。」


あまりにも珍しい表情を見た気がして、低い声を出してしまった。


「いえ…そう言われるとは思わなかったので…」


「…私は…何も出来ませんでした。だから…華穂…」


「……」


「…華穂とあなたには…好きな事をして欲しいと思ってました。」


私の言葉に、貴司は座布団から降りて。


「…お母さん。」


私に向かって、頭を下げた。


「……」


「僕は、一生…お母さんのそばに居ます。」


その言葉を…私は不思議な気持ちで聞いた。


この子は…貴司は…私と血の繋がりがない。

祥司さんと愛人の息子だ。

なのに…どうしてこんなに、私を労わり思いやってくれるのだろう。

優しい言葉なんてかけた事もない。

息子だと思う事が出来ても、普通の母親のように接した事はないと思う。

私はいつでも…厳しい教育をして来た。



「…頼もしい事…」


小さく笑いながら…手にしたままだった枝物を挿した。



華穂が死んで辛い。

苦しくて生きた心地がしない。

それは…変わらなかったが…

そんな私の中に、小さくてもホッ…と灯る何かがそこにあった。


…貴司が灯してくれた。


私は…生きなくては。

この子のために…。




相変わらず…祥司さんは帰ったり帰って来なかったり。

貴司と私は、親子の絆は強くとも…特に多く言葉を交わすでもなく。

穏やかに生活をしていた。


貴司は高等部に進み、成績も変わらず優秀で自慢の息子でいてくれた。

親戚は一族始まって以来の出来のいい貴司に、愛人の息子だなどとも言えずにいた。


…祥司さんが色んな女の家に入り浸っている事や、両親が不審な死を遂げた事…

華穂が亡くなった事で、うちに関わり合うのはやめようと思っている親戚は多い。

願ったり叶ったりだ。


私には何も分からないが、祥司さんの会社はメキメキと力をつけていた。

家で会う事は少ないのに、新聞ではよく見かける人。

もはや夫という認識はなくなっていた。



貴司が17歳の秋。

その知らせは、中岡さんが言いにくそうに私に伝えた。


「…奥様…旦那様が…お亡くなりになられたそうです…」


私は貴司の着物を作るために、茶道の先生の家からの帰りに反物屋に寄り道をして。

いつもより帰る時間が遅かった。

いつも通りに帰っていたら…もしかしたら病院に急げ…と、華穂の時のような事を言われたのかもしれないが…

中岡さんはすでに祥司さんは亡くなった、と。


「…どこで?」


私は冷ややかに問いかけた。


「…その…」


「女の家?」


「…はい…」


「どうやって死んだの?」


「…その…あの…」


「いいから言ってちょうだい。」


「…頑張られたのでしょうね…」


「……」


呆れて言葉が出なかった。

私の夫は、昼間から仕事をほっぽりだして、愛人の上で腰を振っていて亡くなったのか。

これは、やはり桐生院家は呪われている。と…また格好のネタになるに違いない。


私は小さく笑うと。


「あの人に相応しい最期だわ。」


そう言って、部屋に入った。


…そうは言っても…貴司にとっては父親だ。

あの子の前では不謹慎な顔を見せてはならない。

私は鏡の前で顔を引き締めて、貴司が帰って来るのを待った。


刑事が二人やって来て、病院へと言われたが…息子が帰るまで待たせてくれと言った。

貴司が帰って来たのは、私が帰って30分ほどしてからで。

刑事も、それを待ってくれていた。


「…何かあったのですか?」


貴司は珍しく目を大きく開いて驚いた顔をしたが。


「…お父様が、お亡くなりになられました。」


刑事が私の顔を見た後、遠慮がちにそう言うと。


「えっ…父が…?なぜ…事故ですか?」


眉間にしわを寄せて…私と刑事を交互に見た。


「それは…」


言いにくそうだった刑事の代わりに…私は小さく溜息をついて言った。


「…他所のおうちで、安らかにお眠りになられたそうです。」


「……」


一瞬、静寂が漂ったが。

貴司はカバンを置いて私の前に正座すると。


「…お父さんらしい最期ですね…」


呆れたような顔で、私に言った。


「……」


「……」


二人の刑事は驚いた顔で私を見たが。

私はピクリともしなかった。

だが…

内心は…


貴司、私も同じ事を言ったのですよ。


と…


高笑いが止まらなかった。




祥司さんの葬儀は盛大だった。

あまりにも突然の事で、会社の人達は慌てふためいていた。

まだ49歳。

だが、女の上で張り切るには…少し疲れている年齢だったのかもしれない。


私は39歳で未亡人となった。

そして…貴司は17歳にして社長の座につかなくてはならなくなった。

それこそ寝耳に水だ。

祥司さんが、自分に何かあった時は貴司を社長に…と、何か予感でもしていたのか遺言を残していたらしい。


それを告げに来たのは、辻という入社二年目の30歳の人だった。

祥司さんの会社に入る前は、大手の広告代理店で営業の仕事をしていたらしい。



「このたびは…」


そう言って頭を下げられたが、私は溜息をついて。


「辻さん、色々ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」


辻さんの言葉を遮るようにして深々とお辞儀した。

私は仮にも桐生院祥司の妻だと言うのに。

会社の人間は誰一人として挨拶に来ない。

きっと、愛人の方に何らかのケアで出向いているのだろう。


恐らく辻さんは祥司さんの一番そばに居た人だ。

私がどんな人間であるのかも、分かっているのかもしれない。

…娘の葬儀でも泣かなかった、冷酷非道な可愛げのない妻、と聞かされていたかもしれない。



「…社長は…奥様と貴司さんの事を、とても気にかけておられました。」


意外な言葉が飛び出した。

だが、私は辻さんの作り話に違いない。と、表情を変えずに聞いた。


「自分が遊び歩いてしまうのは、もう…病気だ、と。」


「ふふ…よく解ってらっしゃった事…」


「余所で作った子の面倒を見させてしまって…奥様に顔向け出来ないとおっしゃってました。」


「……」


それには…何の感情も湧かなかった。

言葉も浮かばなかった。

今更何を…とでも思うと思ったが、何も思わなかった。


「社長は社長で…色々気に病んでらっしゃいました。年が離れているせいか、奥様の喜ぶ事も思いつかないとか…出来る事は、会社を大きくして家がどうなっても食いはぐれる事がないようにする事だ…と…」


「……そうですか。」


なぜ…祥司さんは、この人にだけそんな事を話したのだろう。

いや…本当の話かどうかなんて分からない。

故人を悪く言いたくはないが…祥司さんは調子のいい人だった。



「結婚前に、女の人と宿から出る所を見られてしまって、嫌な想いをさせたのに結婚してくれた、と…」


「……」


「結婚に対して夢を持っていただろうに、最初から全てを崩してしまった事も…悔いていらっしゃいました。」


「……今更…」


やっと…言葉が出た。



では…なぜあの時…女関係はきれいにしておくと言いながら、余所にばかり通ってしまったの。

なぜあの時…『おまえでもいい』なんて言って抱いたの。



「…貴司には…大学に行かせてやりたいのです。」


少しだけ…声が震えた。

辻さんがそれに気付いたかどうかは分からない。


「…ご本人ともお話させていただいてよろしいですか?」


「…もちろん…」



それから、貴司を呼んで…三人で話した。

私は貴司を大学に行かせたい。

だが、その後の事は…本人に任せようと思った。

本当は華の道に向かってほしい気持ちもあるが…何となく…貴司はじっと座って花を活けるより、外に出て働く方が向いている気がする。



「あなたの好きなようになさい。」


私が一言そう言うと、貴司はしばらく眉間にしわを寄せて悩んでいたようではあるが…


「…あまり会う事はありませんでしたが…それでも父が私に残してくれたと思うと、正直…継ぎたいという気持ちもあります。」


静かにゆっくりと…そう言った。

私はそれをガッカリする事もなく…むしろ、祥司さんの事をちゃんと父として認めている部分もあったのだと分かって、ホッとした。


貴司には…ちゃんと、人としての優しい心を持っていて欲しい。


「そうなさい。」


私が短く気持ちを伝えると。


「…ですが…今すぐにと言われると僕も困ります。何の知識もありませんし。」


貴司は辻さんに言った。


「ですから…準備期間をください。」


「……」


辻さんは無言で私を見た。

私はそれに、一度だけ目を閉じる事で応えた。


貴司は…背筋を伸ばして、とても凛としていた。

まだ17歳…

祥司さんが後を継いだ年齢よりも、ずっと若い。

貴司もまた…夢を見る事なく…道を押し付けられた。

貴司に申し訳ない気持ちを抱えつつ…

その分も、私は貴司の道を見届けようと決めた。




祥司さんが亡くなって、ますます親戚と縁が薄くなった。

何を言われても私があまり気にしなさ過ぎるのかもしれない。

両親は体裁を気にして何かと言うと付き合いをしていたが、私は何を言われても構わない。


ただ…貴司の事を悪く言う親戚には、もう二度とうちの敷居はまたがせないと思った。

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