第40話 「おかえりなさい。」

 〇桐生院さくら


「おかえりなさい。」


 瞳ちゃんの家で衣装の手直しをして、うちに帰ると…門の前に…


「あら、咲華を待ってるの?」


 志麻さんがいた。


「送って来た所です。」


「まあ、そう。ありがとう。」


「…あの…」


 志麻さんは少し戸惑った様子で…辺りを見渡して。


「…実はお話があって、お待ちしてました。」


「あたし?」


「はい。」


「…何だろ。」


「もっと早くに…気付いた時点で誰かにお話すれば良かったのですが…」


 遠慮がちに、言った。


「あ、家に…」


「いえ、出来れば…内緒にしておいた方がいいと思うので…」


 その、ただならぬ様子に…あたしは少し胸騒ぎを覚えた。


「何?」


「…余計なお世話かもしれないのですが…」


「…うん。」


「…昨年の12月ぐらいから、高原氏を大学病院でよく見かけてました。」


 志麻さんの口からなっちゃんの名前が出て来て、ちょっとビックリした。

 そりゃあ…うちで会った事はあるけど、特に仲がいいわけでもないし…


「12月…」


 貴司さんが入院したのは、12月…


「ご主人が入院されていたので…かなり頻繁に…」


「よく知ってるね…尾行でもしてたの?」


 あたしが首を傾げて言うと。


「捜査対象が院内にいたので、張り込んでいたんです。」


 志麻さんは表情を変えずに言った。


 捜査対象…そういうの聞くと、志麻さんって特別な仕事をしてる人なんだなあ…って思う。



「ところが…ご主人が亡くなった後も、高原氏の病院通いは続いて…」


「……」


「その時は島沢氏のお見舞いだったのですが…」


「ああ…そうなんだ…」


 あたしの頭の中に…

 なっちゃんのかすれた声が浮かんだ。


「でも、この春ぐらいから、見舞う相手もいないのに通われてました。」


「……」


「特に…五月以降は変装してまで…」


「…変装…?」


 なっちゃんは…

 どこに行くにも…『自分』として行く。

 赤茶色の髪の毛を隠す事も…少しブルーがかった目も…隠さない…

 そんななっちゃんが…変装…?


 変装してたのにバレてるなんて、どんな変装?って思ったけど…

 …特殊な仕事をしてる志麻さんなら…すぐに見抜けちゃうよね…



「今日…病院での捜査が終了しました。」


「それは…お疲れ様。」


「…それで…余計な事とは思ったのですが…調べました。」


「……」


 足が…震えた。

 …怖い。

 だけど…聞かなくちゃ…



「…病気…なの?」


 あたしの問いかけに、志麻さんは唇を噛みしめて…


「……咽頭ガンだそうです…」


 低い声で…言った。


 足元が…揺れた。


「…え?」


「恐らく…明日のイベントが終わったら、手術をされるのだと思いますが…」


「……」


「声が…」


「…嘘でしょ…」


「…すみません。今日伝えていいものか…悩んだのですが…」


「……」


「…大丈夫ですか?」


 志麻さんがあたしの腕を掴んでくれて…志麻さんの身体に少しだけつかまらせてもらった。

 そうでもしないと…立っていられる気がしなかった。


「…声が…って…あの人…歌う人なのよ…?」


「……」


 …だから?

 もう…引退するって決めたのは…そのせい?

 あたしを突き放して…一人で居たいって言ったのは…

 そのせいなの…?


 だけど…どうしてなっちゃんが…


 …神様…お願い。




 …嘘だと言って…。



 * * *


 志麻さんと別れて、重い足取りで庭を歩いた。


 …ダメダメ。

 こんな顔してちゃ、みんなにバレちゃう。


 あたしは玄関の前で一度庭を振り返って。

 パンパン、と…両手で頬を叩いた。



「ただいま。」


 大きな声でそう言うと。


「おかえり。」


 華音に咲華に華月に聖…みんなが出て来た。


「まあ、みんなで出迎えてくれるなんて、嬉しい。」


「持つよ。」


「ありがとう。」


 衣装の入った紙袋を華音が持ってくれた。

 優しいな…


「こんな時間まで、どこ行ってたの?おばあちゃま。」


 華月が腕を組んで来て…ちょっと癒された。

 可愛い孫。


「ちょっとお友達と話が弾んじゃって。」


「…男の人?」


「まさか。女性よ。」



 …志麻さんには…誰にも言わないで欲しいって口止めした。

 咲華にも。

 今のなっちゃんは…

 これを秘密にしてるって事で…立っていられるのかもしれない。



「お兄ちゃん、明日の衣装は?」


「あ?別に普段着だよ。」


「まだペーペーだからスタイリストもついてないんでしょ。」


「うっせーな。動きやすいのが一番だっつーの。Tシャツで十分。」



 華月と華音の会話を聞きながら…あたしは全く別な事を考えてた。


 …なっちゃん…

 だから…?

 だから、一人で居たがるの?

 だけど…それじゃ瞳ちゃんは?



「……」


 同じ事ばかりが…頭の中で繰り返される。

 なっちゃんの声が…なくなってしまうなんて…

 …あたし、何か出来ないのかな…

 何とか…相談だけでも…



 間もなくして千里さんと知花が帰って来て。

 お風呂の順番の話題になってる。

 あたしは…


「先に休むわね。みんな、明日頑張って。」


 笑顔でそう言った。


「おやすみなさい。」


「おやすみ、ばーちゃん。」


「おやすみなさーい。」


 二階の自分の部屋に上がって…とりあえず着替えた。

 そして工具をいくつかポケットに忍ばせて、大部屋から一番遠い洗濯室の窓から外に出た。

 それから裏口に回って外に出て…タクシーを拾った。


「ビートランドまで。」


 …確かめなくちゃ。


 あたし…


 確かめなくちゃ、明日…歌なんて歌えない。





「……」


 とりあえず…顔見知りの人に会う事なく…最上階まで来れた。

 あたしと瞳ちゃんはここのスタジオには入ってないけど、万が一のためのパスはもらってたから…警備員さんがいても入館出来た。

 …使う事はないと思ってたのに…

 こんな事に使うなんて。


 思い切ってドアをノックした。

 だけど…返事はなし。

 ドアノブに手を掛けたけど…鍵がかかってる。

 明日はイベントだもの…

 いないって分かって来たよね…?あたし。


「…ごめん。」


 あたしは小さく謝ると、ポケットから工具を取り出して…鍵を開けた。

 どうして自分がこんな事が出来るのかなんて…気にならなかった。

 むしろ、出来るのが当たり前ぐらいに思ってたかも…


 小型の懐中電灯を手に、部屋の中に入る。

 …ここが、なっちゃんの…


 壁にはバンドの写真が並んでて、それはなっちゃんの宝物のように思えた。

 …たくさんのバンドを羽ばたかせたんだね…


 そしてあたしは、またもや…


「…ごめん。」


 小さく謝りながら…机の引き出しを開いた。

 そこには…プライベートな写真がたくさん入ってた。

 瞳ちゃんの物もあれば…知花が歌ってる物…

 華音と咲華が小さな頃や…華月と聖の小さな頃…


 …なっちゃん…こんなにみんなを大事に想ってるのに…

 どうしてずっと一人でいるの…?


「……」


 一枚の写真を手に…あたしは固まった。


 それは…

 冬の日。

 確か…クリスマスイブ…

 なっちゃんが…あの家で…

 あの家の庭で…

 あたしを後ろから抱きすくめてる一枚…


 こんな写真…いつ撮ったんだろう…


 胸がギュッとなって…あたしはブンブンと頭を振ると、別の引き出しを…


 …開かない。


「…ごめん。」


 またまた謝りながら…工具でそこを開いた。

 すると…


「…これ…」


 そこには…きれいな字で真っ直ぐに書かれた…宛名。

 手紙が…たくさん入ってた。

 それが何なのか…あたしはドキドキして…気持ち悪くなった。


 …なっちゃん…


 たくさん重ねて置いてある手紙の中に…あたしの名前を見付けて。


「……」


 あたしはそれを手にして、お湯を沸騰させて…蒸気を当てて封を開いた。



 桐生院さくら様


 長い間、ずっとさくらを見て来た。

 ずっと想い続けて来た。

 俺達は、あのトレーラーハウスにいた頃の気持ちのままだと…勝手にそう思ってここまで来た。

 忘れなくてはいけないと何度も心に決めながらも、俺をここまで来させてくれたのは…さくら、おまえとの思い出だ。

 俺達は手を取り合う事が出来なかったが、これからのおまえに幸せが続く事を誰よりも願ってる。


 高原夏希



「…何言ってんの…」


 引き出しの奥には、錠剤が入った茶色い小瓶…


「…ダメだよ…」


 心臓がバクバクして…苦しくなった。


 …ダメ。

 あたしが倒れちゃ、ダメ…


「…なっちゃん…バカ…」


 悔しいけど…何も出来ない…

 溢れる涙を何度も拭った。


 なっちゃん…ずっと一人で抱えてたの?

 一人で抱えて…苦しかったんじゃないの?

 寂しかったんじゃないの?

 なんで…なんでみんなに頼らないのよ…‼︎



 もう一度封をして…それを引き出しに戻すと。


「…あなたを死なせやしない。」


 あたしは瓶をポケットに入れて、引き出しの鍵を掛けて…部屋を出た。

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