第42話 「神さん、なんて?」

 〇朝霧光史


「神さん、なんて?」


 電話を切ったセンに問いかけると。


「指輪は持っててくれって。でも高原さんにもさくらさんにも話さないでほしいって。」


「…そうだな…事件を目の当たりにしてるとしたら…この指輪で辛い記憶が戻る可能性もある。」


 俺とセンが話してると。


「あのー……何の話ですのん?」


 ハリーが眉間にしわを寄せながらも、遠慮がちに聞いて来た。


「…この指輪は…」


 センが、指輪に視線を落として…今までの経緯を簡単に話した。


 色々な事があって繋がらなかった二人。



 …いつだって…人のために動く高原さん。

 俺の結婚式も…そうだった。

 表には出してないつもりでも、周りには気付かれてた…俺と親父の不仲。

 …いや、尊敬はしてたぜ?

 ミュージシャンとしては。

 ただ…父親として認める事が出来なくて…つい、辛くあたってしまう事もあった。

 そんな俺達家族のために…高原さんは…動いてくれた。


 まさか、話をした事もない里中さんが…キーパーソンになるなんて思わなかったが。


 …里中さん…

 SHE'S-HE'Sの新プロデューサー。

 ダメ出しの連発には、正直ムカついたし…初めてって言っていいぐらいドラムを嫌いになりそうだったが…

 結果、俺達は自分でも驚くほどの進化を遂げた。

 …それはきっとみんな気付いてる。


 高原さん。

 いつだって俺達を見て来てくれて…俺達をここまで引っ張り上げてくれて…

 俺は…俺達は…

 もういい加減、高原さんがただ一人のためだけに、一人の男として…

 その全てを懸けて欲しいって思う。



「おまえ、どこで寝るんだ?」


「一階のミーティングルームで寝よかな思うてます。」


「うち来るか?音楽が鳴ってなきゃ落ち着かないなら、ずっと流しとくけど。」


「いや~…兄やんちって、緊張してますます眠れませんやん。」


「何だそれ。」


 歳の離れた兄弟の会話を聞きながら、ロビーに向か…


「あれ…さくらさん?」


 ロビーに…噂の当人のさくらさんが。


「え?」


 俺の声が聞こえたのか…さくらさんが振り返った。


 …耳がいいな。


「何してるんですか?」


 エスカレーターを下りながら問いかけると。


「あ…あ、あの…ちょっと…ステージを見ておきたいな~って…パスもらってたし…」


 かなり、しどろもどろ…


「見ました?」


「いやっ…迷子になっちゃって…」


「……」


 …怪しい。

 ジャージ姿だし。

 まあ、俺もだけど。


「広いから迷子になりますよね。俺もいまだに第三会議室の階を間違える事ありますもん。」


 センがそう言って笑うと。


「…ほんと、すごいね。こんな大きな事務所…」


 さくらさんは…感慨深そうにロビーの天井を見上げた。


「…もっと…歌って欲しかったけど…ここを見て、色んなバンドの人達を見たら…あの決断は正解だったのかなあ…って。」


「…あの決断?」


「まだ十分演れるのにDeep Redを活動休止してまで…日本から世界へはばたけるアーティストを育てるって。」


 その言葉に…俺は胸を熱くした。

 たぶん、センもだ。

 高原さんのその決断があって…今の俺達がある。


「…記憶、少しずつ戻ってるんですか?」


 さくらさんの背中が汚れてる事に気付いて、ゆっくり叩きながら問いかける。


「あっ、汚れてる?ごめん…ありがと。」


「どこで転んだんですか。」


 答えてくれないのかなと思いながら笑うと。


「窓から出て来たから、こすれちゃったのかな。」


 さくらさんは、何でもないようにそう言った。


「…窓から出て来た?」


 俺とセンとハリーが目を丸くすると。


「はっ………」


「……」


「……」


「……」


 その時、センの携帯が鳴った。


「もしもし…はい……あー……いえ……今、目の前に…」


 相手は神さんだったらしく。

 さくらさんは額に手を当てて『あちゃー…』と小さくつぶやいた。





 〇桐生院さくら


 早乙女君が送ってくれるって言ったんだけど、千里さんが迎えに来るって言ったみたいで…

 どうせならステージ見て行きます?って朝霧君が言って、三人がホールに連れて行ってくれた。



「うわあ…!!」


 あたし、つい大声出しちゃった!!

 だって…!!


「すごい!!明日こんな所で演るの!?」


 つい大声を出してしまうと、三人が『ぷっ』て噴き出すのが聞こえた。


 …だってー!!

 すごいよー!!

 照明の数とか…!!


 客席から見て正面にバンド用の大きなステージがあって、そこにはすでにドラムやアンプがセッティングされてる。

 左側にはソロアーティストさん用かな?

 楽器やアンプはないけど、セットが豪華なステージ。

 右側にはダンスユニットとか…そんな感じかなあ…

 シンプルな広いステージが。


 客席は円卓テーブルだから、どこのステージも椅子の位置とか体の向きを変えれば楽しめちゃう。

 二階席からは余裕で三方向見下ろせるし…フロントステージの上には大きなスクリーンもあるから…

 これ、すごく大掛かり!!



「わー…どうしよう…あたし大丈夫かなあ…」


 今更だけど本当に大イベントなんだ…って痛感してしまって、ステージの上でブツブツとつぶやくと。


「大丈夫ですよ。リハもバッチリだったし。」


 早乙女君の、優しい笑顔。

 …と。


「えーと…ごめんなさい。初対面ですよね?桐生院さくらです。」


 朝霧君と早乙女君に挟まれてて、一人だけ…二十代かな?

 外国の男の子。

 あたしがペコペコと挨拶すると。


「ああ…噂のさくらさん。」


 ん?

 噂の?


「え?」


 顔を上げると。


「あ、サプライズメンバーで。」


 早乙女君がそう言って、男の子の頭をパコンと叩いた。


「あー…俺、ハリー・エリオットいいます。明日はこっちでイベント参加。」


 ハリー君は手元で何かを動かす仕草をして見せた。


「…ハリー…ハリー君って、もしかして…」


 あたしの脳裏によみがえる…千里さんのヤキモチ発言…


「華月とお友達の?」


「はっ……さくらさんて、桐生院って、えっ…華月のおか…いや、おかんはSHE'S-HE'Sやんな……えっ?…」


 ハリー君はあたしを上から下までジロジロ見て。


「あ…華月の祖母です…」


「ばーちゃん!?ぜんっぜんばーちゃんになんか見えへんで!?」


「あはは…」


 苦笑いのあたしの前で、早乙女君と朝霧君も笑ってる。


「て言うか…ハリー君、どこから見ても外人なのに関西弁?」


 あたしが話を変えると。


「あー、親父が関西人なんで。な。」


 ハリー君は早乙女君を見た。


「…え?」


「腹違いの弟です。」


「……え?」


 二人を交互に見る。

 その時…またあたしの頭の中で、写真が…


「…早乙女 涼さん…」


「…え?どうして…母の名前を…?」


 どうしてその名前が出たのか…

 早乙女君の娘さんであるチョコちゃんと会った時も…その名前は簡単に出て来た。

 SHE'S-HE'Sでみんなに会うようになって…

 あたしは早乙女君と数回…知花と麗の結婚式で会ったぐらいなのに…すごく懐かしく思えたのは…

 みんなのご両親を知ってた…からなのかな…


 早乙女涼さんには、会った事はないけど…

 でも…



「たぶん、俺の子供なんか産むなって周りから反対された思う…」


 あれは…どこ?

 あたしは…誰と…カレーを食べてるの?


「…さくらさん?」


「セン、しっ…さくらさん、何か思い出してる…」


「……」


「それでも産んだって事は…自分は一生そこで生きてくって決めたんやろな…」


 その言葉を聞いて…あたしの目から涙がこぼれたんだよ…

 彼女の覚悟があまりにも強くて…

 自分の弱さを思い知らされた。


「……晋ちゃん。」


 その名前を呼ぶと…何だか…次から次へと写真が捲れていって…


「…え?さくらさん、親父の事…知ってはるん…?」


「親父と丹野さんとさくらさん、一緒に暮らしてたんだ。」


「……」


「廉君…」


 ……そうだ。

 あたし、アメリカで…

 あの家で…三人で暮らしてた。


「クリスマスはチキンを食べて…Deep Redのビデオを観た…」


 居心地良かった…あの家。


「廉君が…あたしを連れて行ってくれた…あの家で…一緒に暮らそうって…」


 そう…

 死産して…桐生院を追い出されたあたしを…

 廉君が…



「あたし……」


「さくらさん。」


 不意に。

 ハリー君が、早乙女君のポケットから何か取り出してをあたしに差し出した。


「おっおい!!ハリー!!」


「…これは…?」


 あたしの手に持たされたそれは…


「あの日何があったかなんて思い出さんでええ。でも、変わらん愛があるんなら…」


 ハリー君が何を言ってるか分からなかったけど…

 あたしはゆっくりと、ケースを開いた。


「……これ…」


 そこには、指輪があった。


「……」


 誰にも言われてないのに…あたしの手は自然と…その二つを重ねて。

 そこに…なっちゃんとあたしの名前が…


 それを見てると…廉君の顔が浮かんだ。


「高原さん、泣いて喜ぶだろうなあ…って…廉くん嬉しそうにそう言ってくれた…」


 うん…

 すごく…いい笑顔だった…

 本当に、あたしとなっちゃんの幸せを願ってるって…


「…廉君が…ご両親とダイアナに指輪を贈るって…それであたしも…そのお店で…」


 気が付いたら…朝霧君が隣で泣いてて。

 何だか…それにもらってしまった。


「…あたしは一度…逃げてしまったから…今度はなっちゃんに…あたしからプロポーズするって…決めてた…」


「…変わらん愛があるんなら、何があっても諦めたらあかん。」


 ハリー君も…泣きながらそう言ってくれて。


「明日…高原さんにとって最高の誕生日になる事…俺らも祈ってます。」


 早乙女君も…涙を拭いながら…


「……」


 なっちゃんは…声を失うかもしれない。

 だけど…

 あたしがなっちゃんの声になればいい。

 今度は…あたしがなっちゃんに寄り添う。



「…うん。すごく…私的な事だけど……みんな、協力お願いします…」


 あたしは三人に頭を下げた。




 * * *


「母さん。」


「何してるんすか。」


「…あはは…ごめん…」


 迎えに来てくれた千里さんと知花に、『めっ』なんて言われて。

 あたしは首をすくめるしかなかった。



「…少し思い出した。」


 帰りの車の中でそう言うと、後部座席に一緒に座ってた知花が…あたしの肩を抱き寄せた。


 二人とも…きっとあたしがハリー君と話してる間に、朝霧君と早乙女君から色々聞いたはず。

 こんな歳になって、娘と婿に自分の過去の心配をかけるなんて…不甲斐ないけど…

 でも…

 あたしの中で…

 意地でもなっちゃんと結婚する。って気持ちが…すごく強く湧いた。


 病気の事は誰にも言えないけど…

 ずっとあたしを守ってくれたなっちゃん。

 …今度は、あたしがなっちゃんを守る番。


 だけど…


 一度帰って瓶の中身をすり替えて…って思ってたのに。

 時間的に無理だな…

 知花と千里さんも、もう休ませてあげなくちゃだし…


 …なっちゃんに気付かれないように…会長室に潜り込む方法…考えなくちゃ。



「大丈夫?眠れそう?」


 家に帰って、知花が心配してくれたけど。


「うん。ごめんね…心配かけて。ステージ見たら安心したから、すぐ寝ちゃう。」


 あたしは笑顔で応えた。


「あ、知花。衣装渡しておいていい?」


 あたしと瞳ちゃんは、出番までは一般の席に座ってるから知花にお願いすると。


「うん。じゃあ部屋まで行く。」


 あたしと二階に上がろうとした知花に。


「ついでに義母さんの部屋で寝るか?」


 千里さんが予想外の事を言った。


「そ…そんな事したら、千里さんのコンディションが崩れるから、遠慮するわ。」


 あたしも困る!!


「ふっ…絶対寝て下さいよ?」


「はあい…」


 千里さんに手を振って、あたしと知花は二階に。


「じゃ、これお願いね。」


 紙袋を渡すと、知花は…


「…明日、楽しもうね。」


 あたしの腕を擦りながら言った。


「…うん。もう、楽しみでしかないよ。娘と歌えるなんて。」


「ふふっ。あたしも。母さんとステージに立てるなんて…夢みたい。」


 ああ…なんて可愛いの!!あたしの娘!!


「じゃ、明日ね。」


「うん。おやすみ。」


 知花が階段を下りたのを確認して…

 あたしはポケットから指輪を取り出した。


 …あのジュエリーショップ…

 深く思い出そうとすると…聞こえる銃声…


「…今はダメ。」


 ブンブンと頭を振って。


「よし。」


 気合いを入れた。


 そして…反対側のポケットから取り出した小瓶の中身を一舐めして…それが睡眠薬だと確信した。

 それをゴミ袋に入れて捨てた後、キッチンから少しずつ材料と道具を二階に持って上がった。


「…これならたっぷり飲んでも大丈夫…」


 小麦粉にビタミン剤やカルシウムを入れて、睡眠薬と同じサイズに丸めて固めた。


「…大丈夫。あたしが……守るから。」


 外は明るくなり始めてて。

 これじゃノドに良くないと思ったあたしは、インターホンの電源を切って。


『10時まで寝ます』


 ってボードに書いて部屋の前にかけた。




 今日は…BEAT-LAND Live aliveで…



 …なっちゃんの誕生日。

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