第26話 「瞳ちゃん。」
「瞳ちゃん。」
二階堂家でのリハと女のお茶会を終えて、帰ろうとした所で…さくらさんに呼び止められた。
「まだ時間ある?」
「……」
あたしは時計を見て。
いや、見なくても…時間はたっぷりあるんだけど。
つい見てしまった。
「ありますよ。」
あたしがそう答えると。
「じゃあ…二人で話せる?」
思いがけない言葉。
あたしは知花ちゃんと麗ちゃんを見て。
「ご指名いただけて光栄です。」
少し勝ち誇ったような顔をして言ってみた。
そんなあたしを見て、知花ちゃんは。
「じゃ、晩御飯の支度はあたしがするから、気にせずゆっくりして来て?」
笑顔で言った。
麗ちゃんは。
「えー、内緒話?それ、後でちゃんと教えてくれるやつ?」
もしかして本気…?って思うような顔と口調でそう言った。
この姉妹…対照的で面白い。
知花ちゃんは…本当、出会った頃からふわっとした柔らかい印象のまま。
だけど歌うと豹変して…そのギャップがたまらない。
もはやあたしの刺激の一つでもある。
麗ちゃんは…もう、誰もが認める美人。
だけど毒っ気のある言葉とか…時々『はあ!?』って言いたくなるような事も多々あって、それはそれでこちらもギャップ萌えさせられちゃうタイプ。
うーん…ほんっと…味のある姉妹。
「うち誰もいないから、来ます?」
二階堂家を出て、少し歩いた所でそう言うと。
「いいの?」
さくらさんは、ニッコリ…うーん…可愛い。
「いいですよ。その代わり知花ちゃんに電話して、晩御飯うちで食べるって言って下さい。」
「えーっ、ご馳走してくれるの?」
「料理には自信ないんで、デリバリーで。」
「ふふっ。正直でいいわね。」
それからさくらさんは、すぐに知花ちゃんに電話してくれた。
家族には、友達の家に行ってるって誤魔化してくれって。
…そっか。
桐生院家って、みんな誰が誰とどうしてるって…細かく聞かれちゃう家なんだね。
知花ちゃんの息子でギタリストのノン君なんて、超おばあちゃん子だって聞いたし。
さくらさんがいなかったら、ご飯食べない…なんて言わないかしら。
ふふっ。
父さんのマンションから100mしか離れてない我が家。
ビートランドも近い。
このマンションは、映が三歳の時に買った。
最上階の部屋なら、ベランダから父さんのマンションもビートランドも見えるから…って、圭司が即決した。
圭司って、あんなキャラだけど…
あたしより、あたしの親を大事に想ってくれてると思う。
…あたし、圭司の事…大切にしよ…
「すごい眺め。」
その、父さんのマンションもビートランドも見えるベランダに出て…さくらさんは前髪をなびかせた。
ビートランドは分かるとして…父さんのマンションは知らないよね…
ま、それは今は言うまい…
「話しの続きを聞かせてくれるんですか?」
お茶を入れて、あたしは一人でソファーに座った。
さくらさんはまだ、ベランダで外を眺めたまま…言った。
「…瞳ちゃん。」
「はい。」
「私の事、恨んでるよね。」
「……」
あまりにも突然の事で…
あたしは…すぐに返事が出来なかった…。
〇桐生院さくら
麗の家を出て…瞳ちゃんのマンションにお邪魔した。
今日、こんな話になるとは思わなかったけど…
出来るだけ早く話して何とかしなくちゃ…って思ってたから、ちょうど良かった。
…の…かな…
事の発端は、千里さんの言葉だった。
『瞳が、周子さんのトリビュートアルバムに参加しないって言い張ってるんすよねー。』
私がそれを聞いたのは…まだ貴司さんもお義母さんも生きてて…みんなで笑ってた去年の秋だった。
違和感ではあったけど…
私には何の力もないし…そもそも瞳ちゃんと接点もなかった。
だけど、貴司さんとお義母さんが亡くなって…一ヶ月が過ぎた頃、突然瞳ちゃんがうちにやって来た。
そして…
『父と結婚して下さい』
…そう言った。
それが、母…藤堂周子さんの願いでもあるのだ…と。
それ以降、特に関わる事はないと思っていたのに。
ある日知花が瞳ちゃんを呼び出して…我が家の庭を眺めながら…瞳ちゃんと私にバックボーカルを務めて欲しい…と。
それで思いがけず、瞳ちゃんと関わるようになって。
知れば知るほど…彼女がどんなに素直でハツラツとした女性かが分かった。
それは私が知り得ない周子さんにも…私の知っているあの人にも…似ているのだろうと思った。
そして、とても繊細で…とても傷付きやすい事にも…気が付いた。
周子さんのトリビュートアルバム制作も佳境に入って。
千里さんが…
『どうしても瞳に一曲だけでも歌わせたいんだけど、あいつ…何頑なになってんだか…』
イライラした様子で、華音に話してるのを聞いた。
…頑なになってるんじゃなくて…
自信がないんじゃないかな…
そう思いながら、話を聞いた。
すると千里さんは…
『無理強いじゃなく、あいつが歌いたいって熱を持ってくれるよう…何とか話してもらえませんか?』
私に…そう言った。
どうして私に?と思ったけど、あえて私なのかもしれない…とも思った。
そのアルバムに携わる面々は、現役の一流アーティストばかり。
それだけでも十分引け目ではある。
なのに…
私はさっき麗の家で聞いた、瞳ちゃんの過去を思い浮かべた。
そして、私が覚えてる範囲の…周子さんと瞳ちゃんの事。
…私と……あの人…
…なっちゃんの事を、思い浮かべた。
「…う…恨んでなんか…」
瞳ちゃんが、小さな声でそう言った。
「恨んでなんかいませんよ。むしろ…気の毒に思ってました。あたしが産まれたから…父さんとさくらさんは…」
「……」
「あたしが…いなければ…」
「瞳ちゃん。」
私は瞳ちゃんの隣に座って…瞳ちゃんを抱きしめた。
「いいの。心に蓋をしないで。」
「……え?」
「自分がいなければ…じゃないよ。なんで大人は好き勝手に…って、私達の事を責めていいんだよ。」
「……」
「ずっとずっと、我慢してたよね。我慢させてごめんね。甘えたかったのに、甘える場所もなかったよね。お父さんの事、一人占めしてごめんね。」
私は、一気に…そう言った。
瞳ちゃんが、なっちゃんを頼って帰国した時…なっちゃんは寝たきりの私と生活してた。
だから瞳ちゃんは寮生にされた。
その後で…周子さんの旦那さんに…暴力を受けて…ますます父親という存在に失望したと思う。
明るい瞳ちゃん。
だけど…ずっと傷付いてた。
いい子でいる事で…自分を真っ直ぐ立たせていたのかもしれない。
「話して。」
「……」
「さあ。」
「………母さんが…」
「うん。」
「……精神を病んで…施設で…殺してやるって毎日叫んで…」
「うん。」
「母さんの事…大嫌いになった…」
「うん。」
「…母さんが大変な時に…会いたくなくて…会いに行かなくて…」
「うん。」
「…そんな自分の事も…大嫌いになった…」
「うん。」
「母さんを施設に入れたまま…好き勝手してる父さんの事も…大嫌いになった…」
「うん。」
「………」
「ご両親を狂わせた私の事も、大嫌いだった。」
「……」
「いいの。大嫌いでいいの。」
私より背の高い瞳ちゃんを抱きしめるのは、ちょっと難しくて。
私はソファーの上に膝で立って…瞳ちゃんの頭をギュッと抱き直した。
「私の事、大嫌いでいい。でも、瞳ちゃんがいなければ良かった事なんて、一つもないから。」
「……」
「瞳ちゃんが産まれて、周子さんは幸せだった。お父さんだって幸せだった。」
「…でも…」
「周子さん、私の事殺したいぐらい憎かったかもしれない。私だって…全部なかった事にしたいぐらい、憎いっていうより…怖いって思ってた。」
「……」
「でもね、周子さん…一度会いに来てくれたの。寝たきりの私の頭撫でて…歌ってくれた。」
「え……?」
瞳ちゃんが驚いた顔で私を見た。
「ほんとよ?まだ…口もきけない状態だった私に…泣きながら話しかけてくれた。」
「……」
私の事を憎くて殺したい気持ちは…当然だったと思う。
病気のせいで、その気持ちは一気に溢れ出てしまったのだとも思う。
それを聞く側は…どんなに辛かっただろう。
でも…周子さんの気持ちは、それ『だけ』じゃなかったはず。
晩年は、後悔の念しか口にしていなかったと聞いて…
私は、自分が寝たきりだった時に、繰り返し思っていたことを思い浮かべた。
不満を並べた後に来るのは…自己嫌悪だ。
周子さんも…どんなに辛かった事か…
「瞳ちゃんは…ちゃんと、二人の愛から産まれて存在してる。誰にとっても大事な存在だよ。」
「………う…」
それから…瞳ちゃんは、大きな声を上げて泣いた。
私の胸にしがみついて…
ママ、って言ったり…お母さん、って言ったり…
私は私であって…周子さんじゃないけど…
周子さんであってもいい気はした。
周子さんが許してくれるなら。
私と周子さんは…同じ人を愛した同志。
色んな想いを持ったけど…今となっては全て同じだったと言い切っていいと思う。
…許してくれるよね…?
周子さん。
〇東 瞳
「……」
どうしよう…
あたし…恥ずかしいぐらい泣いちゃった…。
きっと…さくらさんの服、あたしの涙だけじゃなくて、鼻水もついちゃってる。
……やだな。
顔を上げるのが恥ずかしい。
あたし…さくらさんに抱きついて、ママとか言っちゃったし…
泣き止んだのになかなか顔を上げないあたしの事、さくらさんはずっと…頭を撫でてくれてる。
…気持ちいいな…
昔を思い出しちゃう。
ジェフと再婚する前は…よくこうやって甘えさせてくれてた。
あたしだけの…『ママ』だった…
…確かに…色んな事に蓋してた。
いい子にしてれば…笑ってれば…あれもこれも忘れられるって。
だけど。
だけどー…
母さんのトリビュートアルバムを作るって言われて。
当たり前みたいに、父さんから歌えって言われて。
…歌いたくなかった。
すごくささやかな…両親への抵抗って言うか反抗って言うか…
…今更よね。
いい歳して…
知花ちゃんのおかげで、歌う事に熱は戻ったのに。
母さんのトリビュートアルバムに対しては…今も知らん顔していたいって思う。
あたしには…参加する資格なんてない。
「~♪」
あたしがさくらさんの胸で心地良さと罪悪感と嫌悪感…色んな感情でモヤモヤしてる所に、さくらさんが小さく歌い始めた。
…母さんの歌だった。
ああ…この歌好きだったな…
サビで変調するの、難しいんだよね…
…うわ、さくらさん…難なく歌っちゃったよ…さすが。
「…こんなに…完璧に歌っちゃうなんて…」
あたしは…さくらさんの胸に顔を埋めたままつぶやく。
「ん?」
「…憎たらしい…」
「……」
「ほんっと…腹立つ。あたしだってサラブレッドなのに…」
あたしがそう毒気付いてると…
「瞳ちゃん。」
いきなり、さくらさんがあたしの両肩を持って、バリッて音がしそうな感じであたしを引き剥がした。
突然だったから、あたしは涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔で…
「っ…」
咄嗟に、両手で顔を覆った。
でもさくらさんはそれも引っ剥がして。
「あたしも無理してた。」
……あたし?
「瞳ちゃんが会いに来てくれた時から、心に決めてたの。」
「…な…何を…」
「周子さんのライバルらしい女でいなくちゃ、って。」
「……」
あたしは…さくらさんの言葉を不思議な気持ちで聞いた。
…母さんのライバルらしい女…?
「周子さんはあたしから見たら、すごく大人でカッコ良くて…全然太刀打ちできないって昔から思ってた。」
「……」
「なのに、あたしと来たら…おばあちゃんのクセに知花のワンピース借りて着ちゃうし、咲華とお揃いのアクセサリーなんて付けちゃうし、華月のお気に入りのアイスクリーム屋に華月より通っちゃうし…」
「……」
「だけど、瞳ちゃんにガッカリされたくなくて…瞳ちゃんのお母さんのライバルとして、恥ずかしくない女でいなくちゃって、無理してた。でも、もう無理が無理。」
「……」
「あたしは、おばあちゃんのクセに歌う事も食べる事もオシャレもお喋りも、全部好きな欲張り女なの。」
「……」
「ごめん。」
「……」
あたしは…
今日一番驚いた顔をしてるかもしれない。
さくらさんは…そりゃあすごく可愛い人で…年相応には見えやしない。
だけど、知花ちゃんのお母さんで…
それを知ってるのに…
今、あたしの両手をガシッと引っ剥がしたまま…あたしの目を見てるこの人が…
二十代の…女の子に見えて仕方がない。
「幻滅した?したよね?ううん、してていい。だから、こんなあたしをやっつけるつもりで…」
「……」
驚いた顔のあたしに、さくらさんは…言った。
「トリビュートアルバム、瞳ちゃんの歌で完成させて。」
あたしは…その挑戦状を…
受ける?
受けない…?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます