第24話 「あ~…もうクタクタ…」

 〇桐生院さくら


「あ~…もうクタクタ…」


 瞳ちゃんが、すごく楽しそうな顔でそんな事を言うから…つい笑ってしまった。


「クタクタって言うわりには、笑顔よ?」


 私がそう言うと、瞳ちゃんは首をすくめて。


「あはは…バレちゃいました?」


 もっと笑顔になった。


「…さくらさんと並んで歌えるのが楽しくて…」


 はにかんだ瞳ちゃんを、可愛いと思った。


「嬉しい。」


 そう言って、瞳ちゃんの肩に頭を乗せると、それを見た知花が笑った。



 知花から…バックボーカルをしてくれと頼まれた。

 歌える気がしなかった私は…すぐには返事をしなかったのに…


「母さん、出掛けない?」


 そう言って、知花に連れ出されたのは…


「…カラオケ?」


「来た事ないでしょ。実はあたしもないの。ちょっと社会勉強しようよ。」


 店員さんに操作方法を習って、二人で…


「何これ楽しい!!」


「あはは!!知花、飲んでないよね!?」


 私達は…初めてのカラオケで、三時間歌いまくった。

 あれだけ歌える気がしなかったのに…

 何だか懐かしいアメリカのヒットソングを知花が歌い始めて…

 あ…これ知ってる…と思って一緒に歌い始めると…


 ……楽しくて泣きそうになった。


 娘と一緒に歌えるなんて…って、最高の気分だった。


「わー、Deep Redもあるんだ。あたし歌っちゃおっと。」


 そう言って、知花がDeep Redの曲を選んで…

 バラードかなと思ったら、ハードな曲で。

 …まあ、そっか。

 知花はバラードも歌うけど、本人的にはハードな曲の方が得意みたいだし。


 その曲は、かなり古い曲だった。


「……」


 その、出だしで…私は顔を上げた。


 知花のスイッチが入ってる。

 そう思った。


 カラオケなのに、すごく豪華。

 知花の歌い方は……あの人のそれとは違うけど…

 それでも、やっぱり…その背中を見て来たからなのか…

 知花の歌い方なのに…どこか懐かしさを感じさせた。


 部屋の外まで声が漏れるのか、時々ガラスを覗いて行く人がいた。

 そうよね…こんなに難しい歌、完璧に…一音も外さず…シャウトまでしちゃえるなんて…

 誰が歌ってるんだろうって、気になっちゃうよね。


 娘の歌に、鳥肌を立てた。

 そして…

 私の中でずっとくすぶっていた何かが…


 火をつけそうになった。


 …ううん…


 火が……ついた。




「出来れば…超サプライズとして出演してもらいたいので、誰にも内緒にしてもらえますか?」


 SHE'S-HE'Sのミーティングに参加して、まず最初に言われたのが…それだった。

 それを言ったのは、朝霧光史君。

 マノンさんの、息子さん。


「え?圭司にも映にも?」


 瞳ちゃんが驚いた顔でそう問いかけると。


「高原さんにも。」


 陸さんが腕組みをして、続けて…


「今の所、この事を知ってるのは朝霧さんとナオトさんと神さんだけ。」


 難しい顔をして言った。


「圭司に言わなくて正解ね。すぐ周りにふれて歩いちゃうわ。」


 ご主人に知らされてない事を、そんな風に言える瞳ちゃん。

 カッコいいなと思った。



「…何だか、重大なミッションね。」


 私がうつむきながら言うと。


「なんて言うか、今回のイベント…高原さんが何か…特別な想いを持って企画してるように思えるんですよね…」


 朝霧君が、口元に手を当てて言った。


「特別な想い?」


「瞳さん、最近高原さんの様子がおかしいとか…何か気付きませんか?」


 聞き返した瞳ちゃんに、みんなが注目して。

 瞳ちゃんは少し身体を引いた後…


「あたしには…特に変わった様子は感じられないけど…むしろみんなの方が会ってるはずだから、みんなの方が分かるんじゃない?」


 唇を尖らせた。


 …特別な想い…

 確かに、事務所をあげての大イベントが開催されるって聞いた時は…

 え?去年40周年イベントがあったのに?とは思った。

 しかも…今回はかなり大がかりだ。

 千里さんは…


「高原さんももう歳だから、毎年『今年が最後』って思ってやるのかもしんねーけど、これ来年も覚悟しといた方がいいのか?」


 って、晩御飯の時に華音と笑いながら話してたけど…


 …あの人は、その大イベントの日に…75歳になる。

 見た目がそう見えなくても…誰しも明日は分からない。

 …貴司さんとお義母さんのように…。



「母さん、華音にポロッと話しちゃダメよ?」


 知花に痛い所を突かれた。

 私は華音と仲良しだから…ついつい色んな事を話してしまう。


「…努力する。」


 自信なさそうに答えてしまった。

 本番まで黙っていられるかしら…

 って言うか、バレないのかしら?



「じゃあ、練習日程決めてもいいですか?」


 朝霧君の言葉と共に、みんながスケジュール帳を開く。

 …私は手ぶらで来てしまったから、知花に教えてもらおうっと。



 それから…私は毎日SHE'S-HE'Sを聴き込んだ。

 今までも聴いてなかったわけじゃないけど…

 まさか自分が参加するとは思わなかったから…

 知花が被せて歌っているパートを、必死で聴き取った。


 洗濯物を干しながら、掃除をしながら、ジョギングをしながら…


 …お義母さんが亡くなって、一人の時間がグンと増えた。

 本当は寂しくて寂しくて…誰にも知られず、仏間で泣き続ける日々だった。

 …葬儀でも泣かなかった。

 だから…人前では泣いちゃいけない気がして…いつもコッソリ泣いた。


 貴司さんとは…夫婦と言うには足りなさ過ぎる関係だったかもしれない。

 スキンシップも意思の疎通も…

 私は結局、貴司さんが何を考えているのか…ずっと分からないままだった。

 入院中も…私とお義母さんは毎日通ってたのに…

 私が行くといつも寝てたり、頼まれごとをするばかりで…

 あまり話はしてくれなかった。


 ただ…


『真実は大事だ』


 …貴司さんは…

 どの真実を大事にしようとしていたの?


 私は…嘘も突き通せば…いつかは真実に変わる。

 そう…思っていたい。



 気が付けば来月で62歳。

 なのに私は恥ずかしい程…成長がないのだと思う。

 貴司さんのお見舞いに行っていた時も、看護師さんから『娘さんですか?』って言われたり…

 …寝たきりだった間、成長が止まってた?

 まさか、そんな事ないよね。


 普通に、しわだって…



「母さん、眉間にしわ。」


「……」


 突然遊びに来た麗が、私の向かい側に座って言った。


「…しわぐらいあるわよ。何歳だと思ってんの?」


 唇を尖らせて言うと。


「黙ってれば年相応には見えないから、とことん騙せるぐらいの張りを保ってよ。」


 麗はそう言いながら私の眉間に指を当てて。


「えいっ、伸びろ伸びろ。」


 なんて言いながら笑った。



 …陸さんと結婚した麗にも…色々あった。

 だけど、それを越えて…今は何かスッキリしたような…

 相変わらず少し毒っ気はあるけど、可愛い麗。


「もうっ。可愛くない娘っ。」


 私がそう言って麗の手を取ってにぎにぎとすると。


「またまた。可愛くて仕方ないクセに。」


 本当…可愛くて仕方ない笑顔。


 今、長女の紅美はレコーディングで渡米中。

 長男の学はイギリスに留学中。

 陸さんは事務所に入り浸りになる事が多いし…

 寂しい麗は、こうやってよくうちにやって来る。


 …もっと、陸さんにも紅美にも、学にも…甘えればいいのに。



「ゴールデンウィークはどうするの?」


 まだ少し先の話になるけど、そう問いかけると。


「ふふっ。あたしに予定なんてないと思ってるんでしょ。」


 麗は不敵な笑みを見せた。


「えっ?予定あるの?」


 私が目を丸くして言うと。


「あー!!もうっ、母さん腹立つなあ!!」


 唇を尖らせた麗は…次の瞬間満面の笑みになって。


「学が遊びに来ないかって言ってくれたから、イギリスに行って来る。」


 とても嬉しそうに…頬杖をついた。




 〇二階堂 麗


「きょ…今日も…ハードだった…」


 瞳さんがそう言ってテーブルに突っ伏して。

 あたしとしては…初対面の時、少しとっつき難い人かなあ…なんて思ってたから。


「ねえ、知花ちゃん。あたしに知花ちゃんの上のキーが出るって本気で思ってる?」


 まるで我が家のテーブルのように、そこに身体を伸ばしたままで姉さんを恨めし気に見てる姿は…

 ちょっとギャップで面白い。



「出てたじゃないですか。」


 姉さんは、柔らかい笑顔でそう言ったけど…


「でも一曲で七回よ!?七回!!あたし、七回もまこちゃんに注意されてるのよ!?」


 瞳さんは体をガバッと起こして、右手で五、左手で二を作って見せた。


「まこちゃんがあんなに言うって事は、瞳さんに慣れたって事でプラスですよ。」


 瞳さんがどんなに力説しても…姉さんはふわっと返す。



 今日もうちの地下スタジオで練習があった。

 男性陣はどんな様子なんだか…みんな汗だくで出て来て。

 そのままシャワーに直行して、それから事務所へ。


 女性陣は…姉さんはいつも涼しそう。

 母さんもそうかな。

 瞳さんは…初回で汗かいてたからか、二度目からはジャージで登場。

 初回からジャージ姿だった聖子さんを見習ったらしい。

 まあ…妥当かな。


 あたしは歌の事は分からないけど…姉さんは世界に出てる人だ。

 そんな姉さんが、自分の上のキーを歌ってくれって頼んだ人だもの…

 きっと瞳さんは実力者なんだよね。


 …高原さんの娘さん…


 姉さんと腹違いの姉妹…ってだけで、姉さんが誘うとは思えない。

 ほんっと、姉さんて…いつもはふわっとしてるけど。

 仕事の事となるとスイッチ入るから…

 瞳さんと母さんは…選ばれた人なんだなって思う。



「あら、このスフレ、麗が作ったの?」


 いつも練習の後は女性陣でのお茶会が定番になった。

 とは言っても、まだ三度目だけど。



「うん。美味しいでしょ。」


「お店で買って来たのかと思った。」


「母さん、そんな上手く言っても二つ目はないわよ?」


「あっ、バレたかあ。」


 もう…母さんてば、いつまでも可愛い。



 思えば…生きる事があまり楽しくなかったあたしも…

 母さんが桐生院に来てくれてから、楽しくなった。

 大好きな母さん。

 父さんとおばあちゃまが亡くなって…口には出さないけど、ずっと寂しそうだった母さん。

 だから、姉さんがこうやって母さんを歌う事に誘ってくれたのは嬉しい。


 …できれば…

 このお茶会も…

 ずっと続けばいいのにな…


 イベントまでだなんて…あたしが寂しいや…。




 〇東 瞳


 本当に…

 本当に、SHE'S-HE'Sのリハは毎回拷問のようにハード。

 今はこうして、知花ちゃんの妹の麗ちゃんの手作りスフレをいただきながら、女だけのスイーツタイムなんて優雅な感じもするけど…

 あたし、ジャージだし。

 それに…若干汗臭い。


 あたしが必死なのに反して、知花ちゃんとさくらさんは…ほんっと…

 音を外さないし音域は広いし声量もすごいし…

 知花ちゃんはともかく…さくらさん、すごいよー!!

 本当にブランクあったの⁉︎

 もしかして、ずっと隠れてボイトレしてたとか⁉︎


 そんなわけで…


 あたし、話をもらってからは毎日ジムに通ったりジョギングしたり…

 ボイトレもコッソリやってる。

 あたしだって、音域は狭いわけじゃない。

 知花ちゃんに抜擢されたんだもん…

 期待に応えたい!!


 ……でも…


 まこちゃんに指摘され過ぎだよ…あたし…



「瞳さん、家は大丈夫ですか?」


 知花ちゃんが紅茶を飲みながら言った。


「え?家?」


「アズさんと映君に、最近よく出かけてるからって、何か疑われたり…」


「あー、圭司のためにきれいでいたいから、ジムに通ってるって言ったわ。」


 そう。

 すると映は鼻で笑って、圭司は…


「えー!!瞳がそれ以上カッコ良くなったら、俺どーしたらいーんだよ!!」


 …まあ、圭司らしい反応だけど、ちょっと恥ずかしかったり嬉しかったり…鬱陶しかったりした。

 もうあたし達、いい歳なのにね…



 麗ちゃんの手作りスフレ、美味しいなあ。

 圭司にお土産で持って帰ってあげたいけど、あまってないかな…なんて考えてると。


「…ねえ、母さん。」


 突然、麗ちゃんが…


「母さんは、どんなキッカケで高原さんと知り合ったの?」


「……」


「……」


「……」


 あたし達三人が黙ってしまうような事を…笑顔で問いかけた。

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