第44話 「おっはよー………って、あれっ…?」

 〇浅香聖子


「おっはよー………って、あれっ…?」


 あたしはルームに入ろうとしてドアを開け…


「…えっ、誰も来てないの…?」


 だいたいいつもあたしが来た時には…誰かが来てて鍵が開いてるのに。

 今日は誰も来てないらしい。

 メンバーは全員鍵を持たされてるけど…


「えーと…鍵…鍵…」


 あたしがバッグの中をゴソゴソとしてると…


「おはよ、聖子。」


 まこちゃんがやって来た。


「…え?まだ誰も?」


 そして、やっぱりみんなが来てない事に驚いてる。


「そうなのよ。珍しいわよね。」


 見付けた鍵でドアを開けて中に入る。


「もしかして、みんな緊張して眠れなくて寝坊とかね。」


「あり得る。」


 二人でそう言いながら笑ってると…


「おはよーっす。」


 センの腹違いの弟で、今日のイベントの音響を担当するハリーが現れた。


「おはよ。センはまだ来てないわよ?」


 髪の毛をかきあげて部屋の中にどうぞってすると、ハリーはドアにもたれたまま。


「ああ…兄やんどころか…たぶん朝霧さんと知花さんも遅いんやないかな。」


 意外な事を言った。


「え?なんで?」


 あたしとまこちゃんはポカンとしてハリーを見る。


「実は夕べ…」


 そこであたし達は…夕べ事務所であった事を聞かされた。


 昔さくらさんが伯父貴に作ってた指輪が出て来て…

 今日、それを持って…さくらさんが伯父貴に…


「…プロポーズ!?」


 まこちゃんと同時に叫ぶと。


「しーっ!!バレますやん!!」


 ハリーは慌ててドアを閉めた。


「で、ちいとばかしタイムテーブルに変更…つーか、追加を。」


「追加?」


「これ。」


 ハリーがあたし達の前に差し出したのは…新しいタイムテーブル。


「今日これを配るのは、SHE'S-HE'SとF'sと…高原さんを除いたDeep Redだけ。他のメンバーには一切口外せんといて下さい。」


「京介とアズさんもいいの?」


「内容までは書いてないんで、ただのセッションタイムやって誤魔化しときましょ。」


「なるほど…オッケーよ。あたし達に出来る事があったら、何でも言って?」


 隣でまこちゃんも頷いた。



 知花は…詳しく話さなかったけど。

 あたしは瞳さんから聞きだした。

 さくらさんが、本当は色々思い悩んでた事。


 いつの間にか二人でクラブに通ってるなんて聞いて。

 今度はあたしも誘ってよ!!って言ったのに。

 瞳さんは…さくらさんの事が大好きなんだろうな。

 一向にあたしを誘わない。

 さくらさんを独り占めしてる。



 …周子さんが亡くなる時、伯父貴とさくらさんに結婚して欲しいって言い残したって聞いた。

 伯父貴だって…桐生院のおじ様にそう言われてたみたいなのに…

 どうしてかな。

 想い合ってるのに…なんで上手くいかないのかな。



「みんなが来るまで、出来る範囲でチェックしよっか。」


「うん。」


 あたしとまこちゃんはそれぞれ譜面を取り出した。


「…ほな、今日は最高のステージを頼んまっせ。」


 ハリーがそう言ってドアを開けた。


「ええ。ハリーも頼むわよ。」


「そらもうバッチリ。」


 あたしの言葉にハリーは親指を突き出して、笑顔でドアを閉めた。


「…なんでだろうね。もう泣いちゃいそう。」


 あたしがうつむきながら言うと。


「僕もだよ。」


 まこちゃんはあたしの頭をポンポンとして。


「でも…高原さんとさくらさんが上手くいくためにも…まず僕らが頑張らなきゃ。」


 優しい声で言った。




 〇朝霧光史


 いよいよ…イベント当日。

 夕べは少し遅くなったが、タイムテーブルの変更をハリーと神さんに連絡した。


『それ、最高ですやん。』


 ハリーはそう言って。


『…俺の身内が世話をかけるな。』


 神さんは…しみじみとした感じで一言。


 何があっても…今日は誰もが感動と納得をするイベントにしたい。

 あの二人だけの問題じゃない。

 この…高原さんが創り上げたビートランドに関わった者全員が、主の幸せを願ってやまないんだ。



「おっす。」


 ロビーで声をかけられて振り向くと、陸がいた。


「おう。」


 何となく…若い頃によくやってたように、拳を合わせる。


「夕べ…センから電話があった。」


 そう言った陸は…笑顔。


「まこと聖子には?」


「たぶんもう来てるだろうから、ハリーに伝えてくれって頼んだ。」


 浅香さんは知らない事だから…下手に聖子には伝えられなくて。

 まこはただ単に…

 早く寝てると思ったから連絡しなかった。


「眠れたか?」


「俺は眠れたけど…麗が興奮して眠れなかったみたいで、ギリギリまで寝てろって出て来た。」


「ああ…うちもおふくろがそうかも。俺も親父も腹括ったらすぐ眠れたけどな。」


 二人でそんな会話をしながらエスカレーターを上がってると…


「あ、光史。マノンは来てるか?」


 高原さんが、エスカレーターを下りかけて止まった。


「おはようございます。いえ、もうすぐ来るとは思いますが…何か?」


 高原さんは眉間にしわを寄せて。


「会長室の鍵が開かないんだよ。」


 ポケットから鍵を取り出した。


「え?昨日まで使えてたんですよね?」


「ああ。夕べいつも通り閉めて帰っただけだ。」


「守衛室で合鍵借りて来ましょうか?」


 陸がエスカレーターを下りかけると。


「もう呼んだ。試してもらったけどダメだった。マノンが持ってる鍵が一番使ってないから、どうかなと思って。」


 確かに…親父は会長室の合鍵を渡されてるけど…

 高原さんが常にそこにいるから、鍵は使われていないはずだ。


「それは…今日会長室に入らないと、ステージに差支えがありますか?」


 俺にしてみれば…何気なく言った事なんだけど。


「……」


 高原さんは、少し黙った後…


「…出来れば…イベントが終わるまでには入りたい。」


 少し声のトーンを落として言った。

 その時…陸の携帯が鳴った。


「…あ。」


 陸はディスプレイを見て小さく声を出すと、エレベーターホールに歩いて行って誰かと話していた。


「まあ…マノンが来るのを待とう。」


 高原さんはそう言うと髪の毛をかきあげて。


「今日は楽しみにしてるぞ。」


 エスカレーターを下りかけたけど…


「高原さん。」


 陸が声をかけた。


「ん?」


「ちょっと…相談したい事が…」


「相談?」


「はい。ミーティングルームでもいいですか?」


「ああ…」


 今日みたいな日に何だ?と思って陸を見てると。

 すれ違いざまに。


「光史、そこで待ってろ。さくらさんが来る。」


 小声でそう言われた。


「……」


 電話は…さくらさんだったのか。

 そして、陸と高原さんが一階の奥にあるミーティングルームに消えた時…


「…ごめんね、朝霧君。」


 ロビーを走ってエスカレーターを上がって来たさくらさんが。


「最上階に連れてって。」


 俺の腕を掴んで、エレベーターに乗った。




「ごめんね…あたし一人だと、誰かに会った時に言い訳が苦しいかなと思って…」


 エレベーターに乗って、さくらさんが言った。


「いえ…夕べ、ちゃんと眠れました?」


 顔を覗き込んで聞くと。


「大丈夫。10時まで寝てた。」


「……」


 俺は腕時計を見る。

 今…10時40分。


「車で?」


「ううん。走って来た。」


 走って…って…

 さくらさん、見た目は若いけど…確か60は過ぎてるんだよな…?


「…起きてすぐ来たんですか?」


 桐生院家からここまでは…3kmぐらい。


「でも朝ご飯は食べたよ?」


「……」


 まあ、いいか。

 そう思ってエレベーターのランプを見上げた。

 幸い誰も乗り込むこともなく…それは最上階へ。


「えーと…鍵が開かないって、高原さんが言ってましたけど…」


「うん。あたしが開かないようにしてたから。」


「…………えっ?」


 聞き間違いか?と思ってさくらさんを見てると…さくらさんは突然ドアの前にしゃがみ込んで…


「ちょっとそこで待ってて。」


「……」


 俺は今…不思議な光景を目の当たりにした。

 ドアの前にしゃがみ込んださくらさんが…

 ポケットから何かを取り出して、簡単に鍵を開けて…会長室に入ったんだ。


 パチパチと瞬きをして、そして…考えた。


 …一般人だけでも外に出せ…


 あれは…

 さくらさんが、誰かに指令された言葉…?

 もしかして、さくらさんは…


「ごめんね。お待たせ。」


 気が付くと、さくらさんは会長室から出て来て…また何かで鍵を閉めた。


「…さくらさん、そういう技術って…いつ身に着けたんですか?」


 エレベーターが上がって来てない事を確認して、それに乗り込む。


「え?」


 二階のボタンを押しながら…さくらさんは不思議そうな顔をした。


「いや…鍵じゃない物で開けるとか、普通は出来ませんよ?」


 俺にそう言われて初めて何かに気付いたのか。


「…そうなの?」


 さくらさんは…本当にキョトンとした顔で俺の顔を覗き込んだ。


「……これから、どうしますか?うちのルームに来ます?」


 今確かめる事でもない…

 そう思った俺は、笑顔でさくらさんに問いかけた。


「ううん。一度帰らなきゃ。お醤油買って来るって出て来たから。」


「どこまで買いに行ったんだって言われますね。」


「気になる物があって寄り道してたって言うわ。」


「……」


 もしかして…

 昨日ここに来たのは、ステージを見に来たんじゃなくて…

 会長室から何かを持って帰って…今、返した?


 色々気にはなったが…

 それも今確かめなくてもいいと思った。

 全ては…今日のイベントにために。

 高原さんと…さくらさんのために。

 全力をそこに注ぐんだ。



「ありがと、助かった。今日は…ステージでもよろしくね。」


 二階に着いて、さくらさんがそう言って俺に手を差し出した。


「…こちらこそ。全てにおいて…成功する事しか考えてませんよ。」


「ふふっ。頼もしい。」


 笑ったさくらさんの顔には迷いがなくて。

 本当に…心から。

 心から…

 さくらさんの気持ちが届く事を祈るばかりだった。

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