第27話 「母さんなんて?」

 〇桐生院知花


「母さんなんて?」


 母さんから携帯に連絡があって、電話を切った所に麗が言った。


「ん?晩御飯要らないって。みんなには、友達の所で食べて帰るって言ってくれって。」


 あたしがそう言うと。


「どうなるかなあ…うまくいけばいいけど。」


 麗はソファーにドサリと座った。



 母さんが瞳さんと二人で話したいと言った。


 …うん。

 ここまでは…予定通り。


 事の発端は…千里の言葉だった。


『瞳が周子さんのトリビュートアルバムに参加しねーって言い張りやがる。』


 あたしも残念に思ってたから…

 瞳さんが参加するように動きかける誰かがいてくれたら…って思った。

 だけど、この人。って該当する人がいない。

 このままじゃ、瞳さんの歌は入れないままになってしまう…


 そんな時、SHE'S-HE'Sに瞳さんと母さんを迎える事になって。

 二人の仲はどうか…って千里に聞かれて。

 その頃から…千里は色々案を練っていたらしい。

 無理強いじゃなく…瞳さんが歌いたいって熱を持つよう…話してくれって。

 母さんに頼んだって聞いた。



「それにしても…麗の聞き方、ビックリしちゃった。」


 キッチンで並んで野菜を切り始める。

 今日はここで下ごしらえして持って帰る事にした。


「えー?高原さんとの馴れ初めが聞きたいって言ってたの、姉さんじゃない。」


「そうだけど、ストレート過ぎ。」


「そっかなあ。でも結局みんなの暴露大会みたいになって、楽しかったよね。」


「まあね。」


 だけど、聖子がその場にいないのが残念だなと思った。

 聖子はまさに、SHE'S-HE'Sのリハと周子さんのトリビュートアルバムとで大忙し。

 今日もリハの後、すぐに事務所に戻った。


 聖子と浅香さんが付き合う事になったキッカケは何なんだろ。

 最初は最悪な事態だったけど…気が付いたら、事務所のロビーでキスなんてして大騒ぎになって…

 いつもケンカばかりしてるけど、仲がいい時の二人は…見てるこっちが照れちゃうぐらい可愛い。



「義兄さんの作戦で瞳さんがアルバムに参加して、暴露大会がキッカケで母さんの忘れてる恋心に火がつけば、全部上手くいくんだけどなあ。」


 麗が歌いだしそうなぐらい、弾んだ声で言った。

 あれもこれも…そう簡単にはいかない気がするけど…

 もし、そうなれば…いいのにな…とは思う。


「それにしても最近の母さん変よね。『私』って言うし、あまり大きな声出さないし。どこか悪いの?って思っちゃう。」


 麗が思い出したように言った言葉に、つい笑った。


「あはは。あたしはだいぶ慣れたけど…麗は毎日会わないからおかしく思うのかもね。」


「そうだけど…やっぱり母さんには弾けたままでいて欲しいもん。」


「ふふっ。心配しないで。たぶん何か思う所があって無理してるだけだから。」


 …そう。

 母さんが突然少しだけ…おとなしくなり始めたのは…

 瞳さんが、うちを訪ねて来てからだ。


 二人で何を話したのか知らないけど…

 でもきっと、母さんなりに何かそうしなきゃいけないって理由があったのだと思う。



「…そうなの?」


「うん。時々はしゃいで失敗した!!って顔してるもん。」


「なーんだ。無理なんかしなきゃいいのに。」


「色々考える年頃なんじゃない?」


「62歳が?」


「…まあまあ…」


 あたしはこの時…とてものんきで。

 ううん…のんき過ぎて。


 色々考えなきゃいけなくなるのは自分だなんて…

 思いもよらなかった。





「…母さん、そういう時はタクシー使えよ…」


 麗の家で下ごしらえをして。

 のんきに鍋ごと借りて持って歩いてると、背後から声を掛けられた。


「あら、帰り?早いのね。」


 振り向くと、そこには華音。

 華音は今、紅美が別件で渡米してるからバンド的には暇だけど…

 トリビュートアルバムでこってり絞られてる。


「今日は一発OKもらったからな…ほら、早く乗って。」


 あたしが両手でお鍋を持ってたからか、華音はドアを開けてくれた。


 そっか。

 タクシーなんて思いもよらなかったなあ。


 SHE'S-HE'Sのメンバーの中で、あたしだけが車の免許を持ってない。

 まあ…特に要るとも思わないんだけど。


 あたし同様、かなり歩く母さんも持ってないと思いきや…

 華音が車を買った時に、試乗させてくれって運転席に座ってビックリした。

 免許持ってたの!?って。

 そのうえペーパードライバーだと言いながらも…見事な運転をしてみせた…と。


 桐生院家の女性陣で、免許を持ってるのは…

 誓のお嫁さんである乃梨子ちゃんだけだ。

 まあ…あって困る事はないだろうけど、なくても不便とは思わないんだよね。



「…それ見れば聞かなくても分かるけど…今日も麗姉んち?」


 華音が横目であたしを見ながら言った。


「うん。」


「SHE'S-HE'S、母さんだけ休み?」


「みんな忙しそうで羨ましい…」


「……」


 麗んちの地下スタジオでのリハは…華音にもバレちゃいけない。

 だからあたしは、いつも手ぶらで出掛けて…買い物袋を持って帰る事が多いんだけど。

 今日はうっかり…鍋を持ち帰ってしまってる。


「…あのさ。」


「ん?」


「麗姉んちで料理するのはいいけど…鍋ごと持って帰るのはどうかと思う。」


 喋る声だけ聴いてると、華音は千里よりキーが高いけど…口調はそっくり。


「そうよね…うっかりだったなあ。」


「て言うかさ、麗姉は何も言わなかったのかよ。それ持って玄関出た時。」


「あっ。だから麗、笑ってたのかな。」


「…麗姉…相変わらず意地悪だな。」


「もうっ…陸ちゃんが帰ったら笑い者にする気かしら。メールで文句言ってやる。」


「…その前に気付けよ…」



 家に着くと、華音が鍋を持って入ってくれて。

 あたしはすぐに麗にメールをした。


『ただいま。華音が拾ってくれた。鍋返すの、次に行く時でいい?』


 すると間もなく麗から返信があった。


『あら、ラッキーだったわね。鍋はいつでもいいわよ。ついでに中に焼きプリン入れて返して。』


 それを読んで…


「ふふっ…」


 小さく笑うと。


「文句書いた返事に笑わされるとか…母さん平和だな。」


 華音が振り返って言った。


 …あ。

 文句書くの忘れた…。




 〇桐生院さくら


「ただいまー。」


 あたしが玄関でそう言うと。


「おかえり。遅かったね。」


 知花が出迎えてくれた。


「…えへへ…遊び過ぎちゃった…」


「……」


 知花は少し呆れたような顔をしたけど。


「華音が心配してたわよ?友達って誰だって。まるで恋人ね。」


 あたしが歩き始めると、隣でそう言って笑った。



 瞳ちゃんのおうちで…デリバリーする予定が…


「さくらさん、飲みに行こう。」


 瞳ちゃんから、そう誘われて…


「いや、やっぱり騒ぎに行こう。」


 あたしは初めて…クラブって所へ行った。

 ガンガンに音楽が流れてるお店。

 暗くて、時代錯誤な感じもするミラーボールがたくさんあって。


「よ…よく来るのー!?」


 大声で問いかけると。


「日本では初めてー!!」


 瞳ちゃんも大声で答えた。

 どう見ても、若者で溢れかえってるけど…

 あたし達が浮いてる感じは…あまりしない。

 DJの人の掛け声と共に盛り上がって、周りの若い子達と一緒に飛び跳ねた。


 ……た……

 楽しいー!!



「さ…さくらさん…体力あり過ぎ…」


 お店の外で、瞳ちゃんが膝に手を着いて言った。

 あたし、無駄に体力あるよね…

 じっとしてるの嫌いだから、時間があると走りに行ったりしちゃうし…


 …走ってると…何か思い出しそうになる時がある。

 何なんだろう…あの光景。

 あたし以外の景色が止まって見えるような…あの光景。



「あー…でも楽しかった。さくらさん、付き合ってくれてありがとう。」


 瞳ちゃんが大きく伸びをして…あたしに手を差し出した。

 …握手?

 あたしも手を差し出すと…瞳ちゃんはあたしの手をグイッて引っ張って…あたしを抱きしめた。


「…ありがと…ほんと…」


「…瞳ちゃん…」


「これからも、バンドメンバーとしてよろしくね。」


「…うん。よろしく。」



 結局…トリビュートアルバムに関しての答えは…聞けなかった。

 だけど瞳ちゃんは、すごくサッパリした顔をしてて。

 次回のリハが楽しみだなあって思った。


 まこちゃんに叱られる回数も減るかな?

 だって…

 迷いのない顔してたもん。


 知花の上を歌いながら…これでいいのかな?って探ってるような顔をしてた瞳ちゃん。

 きっと、もう…迷わないね。

 …あたしも頑張ろっと!!



「華音、彼女が帰ったわよ。」


 知花が大部屋でそう言うと、うつ伏せになって雑誌を読んでた華音が振り返って。


「誰が彼女だよ…ったく…」


 あたしを見てボヤいて。


「寂しかったクセに。」


 華月に突っ込まれてる。


「おばあちゃま、どこ行ってたの?外食なんて珍しいわね。」


 知花にお茶を入れてもらって座ると、すかさず華月が隣に来て腕を組んだ。


 …そっか。

 あたし、ずっと家にいたしなあ…


「これからは、今までしなかったような事しちゃうかも。」


 お茶をずずっと飲んで言うと。


「…ほどほどにしとかないと、お兄ちゃんが心配し過ぎてハゲちゃう。」


 華月が小声で言った。

 …けど。


「…ハゲねーし。」


 …華音は、地獄耳なんだよっ。




 〇桐生院知花


「え?」


 あたしはその話を…ルームで聖子から聞いた。


「あれ?知らなかったの?」


「うん。」


「なんだ…神さん、真っ先に知花に言ったと思ったのに。」


「……」


 それは…

 千里が、22歳の女の子ばかりのバンドのプロデュースをする。って話だった。

 なかなかの実力派揃いで、夏の大イベントでお披露目したいそうだ。


「あたし最近事務所に来てないしなあ…」


 ポリポリと頬をかいて言うと。


「それはあんたが優秀だからよ。」


 聖子はベースを抱きしめてうなだれた。



 周子さんのトリビュートアルバム制作は…

 紅美の歌録りで難航して、急遽二週間ほどアメリカのスタジオでの録りになったりして…

 紅美が歌う楽曲のチームメンバーも渡米しての録音。

 そんなわけで、三月中旬からのスケジュールがかなり変わった。


 千里も数日渡米したり…

 こっちにいても家には帰れなかったり…

 夏のイベントの事で会議もあったりしてたから、無理はないけど…

 最近あまり話してない気がするなあ…



「うちも今はこんな感じだけど、どうも朝霧さんプロデューサー降りるらしいよ。」


「えっ?」


 朝霧さんが…うちのプロデュースをやめる?

 あたしが驚いたままの顔でいると。


「まあ…もうDeep Redもみんな歳だからね…自分達でやれって言われるか…新しいプロデューサーが決まるか…」


 聖子は少し困ったような顔で言った。

 …うん…困る…

 朝霧さんと長く一緒にやって来たし…

 すごく…信頼してたし…

 今からまた誰かと一からっていうのは…大変だよ…


「ま…あたし達にも新しい風が必要って考えればね…いいのかもしれないけど。」


 聖子の言う事は確かなんだけど…

 …少し気が重い。

 秋にはレコーディングに入る予定。

 そのための新曲も、もう書き溜めてて…それぞれアレンジも完成してる。

 ただ、夏までは…イベントに集中したいから、温存してる状態。


 朝霧さんなら…今まで通り色んなディスカッションをしながらスムーズにやっていけるはずなのに…

 これからどうなるのかな…


 …それに…

 千里が女の子バンドのプロデュースって…そっちも気になっちゃう。


 千里はどう思ってるのか知らないけど…

 あたし…普通にヤキモチ妬きだし…

 22歳って言ったら華月ぐらいだけど…

 娘とはまた違うよね…


 うーん…


 あたしがモヤモヤした頭を抱えそうになると。


「もう用ないんでしょ?気になるなら神さんとこ行ってみたら?」


 聖子が目を細めてあたしの頭を撫でた。

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