第29話 「ばーちゃん、最近何かいい事あった?」

 〇桐生院さくら


「ばーちゃん、最近何かいい事あった?」


 洗濯物を畳んでると、華音かのんが隣に来てタオルをたたみ始めた…と思ったら…そう言われた。


「そう見える?」


「ああ。」


「そうだとしたら…孫にいい事があったからかなあ。」


 華音の顔を見ながらそう言うと…


「…咲華さくか?」


 華音はとぼけたように首を傾げた。


「咲華、久しぶりに志麻さんとデートらしいわね。華音は?」


「……何だよ。」


「ゴールデンウィーク、楽しかったのかなと思って。」


 別にかまをかけたわけじゃないんだけど。

 華音は少し間を空けて。


「別に…普段と変わらなかったけど?」


 そう言いながら…唇を触った。


 ふふっ。

 分かり易い子だよー。

 普段と変わらなかったって言いながら唇を触ったって事は、いい事があったんだよね。

 って…全部知ってるけど。



 ゴールデンウィークの間、麗が留学中の学の所に遊びに行ってて。

 陸さんは千里さんと事務所に入り浸り。

 紅美は一人で大丈夫かなあ…って、買い物の帰りに二階堂家に寄ってみると…

 華音の車があった。

 そして、その夜は帰って来なかった。


 翌日は紅美がうちに泊まりに来てて。

 深夜まで出かけてた(味をしめてしまって、瞳ちゃんとクラブに行ってた)あたしが、遅いお風呂を済ませてお昼まで寝てしまおうか…なんて考えてると…

 華音が帰って来た。


 そして…見るつもりはなかったんだけど…

 二人のキスシーンなんて目の当たりにしてしまった。


 …一応両手で顔は隠してたけど、指の隙間から見えちゃった。


 そのまま、華音の部屋に消えた二人。

 あれからどうなったのかなあ…

 なんて、野暮だよね。

 年頃の二人だもの。


 華音と紅美…

 戸籍上ではイトコだけど、血の繋がりはない二人。

 お互い意識し合ってたなんて。


 華音の相手が紅美なら、あたしも応援もしちゃう。

 同じバンドでライバルみたいな関係でもあるのかもしれないけど…

 あたしにとっては、華音も紅美も可愛い孫。

 大事だと思える人と、結ばれてくれるのが一番。



「…ばーちゃんさ…」


「ん?」


「高原さんと…会ったりしねーの?」


「用がないもの。」


「…デートとか。」


「何言ってんの。さ、自分の物は持って行って。」


 華音の洗濯物をまとめて押し付ける。



 …あの人とデートなんて…

 もう、夢にも思わない。

 あたし達は…ずっと近くにいたのに…

 もう…

 遠く…


 遠く離れてる。




 〇桐生院知花


 五月いっぱいは学生さんが多くて、六月になってようやく…あたしは自動車学校へ。

 今日は二度目の学科と、初めての運転。


 あたしが、千里以外の家族の前で入校を発表すると。


「親父はなんて言ってんだよ。」


「父さん怒るんじゃない?」


「千里さんに許可もらったの?」


「親父とケンカでも?」


「…母さん…運転なんて大丈夫?」


 咲華以外は…千里との事を心配した。


 SHE'S-HE'Sのメンバーにも…驚かれた。

 何で今更!?って。


 …う…うん…

 そうだよね…

 なんで今更…だよね…


 何て言うか…

 みんなが忙しそうで…

 羨ましくなった。


 だからって自動車学校?って思われそうだけど…

 …免許証が欲しかったのかな…

 あなたはコレを持ってますよ。って、証みたいな物。


 …千里とは…何だか少し距離が出来た感じがする。

 て思ってるのは、きっとあたしだけ。

 千里は何も変わらない。

 何も変わらないから…不安になる事もある。


 あたしって…何なのかな…って。


 …贅沢だよね…



 女の子達に指輪を見せてた場面に遭遇して一ヶ月半。

 あたしがモヤモヤしてても関係なく…千里はあたしをお風呂に誘ったり抱きしめて眠ったりする。

 大部屋にいても、みんなの前であたしの腰を抱き寄せて…イチャつく。

 部屋でやれってお決まりの文句を言われて…嬉しそうに笑う。


 千里はやましくないから普通なんだよ…って分かるのに。

 どうしてだろ…あたし…

 謝って欲しかったのかな…


 事務所に行って、千里と彼女達が一緒に居るのを見るのも嫌で…最近のあたしは本当に事務所に用無し。

 ボイトレも家でしてるし…曲作りも。

 ああ…早く…こんな気持ち、なくならないかな…

 モヤモヤした…嫌な気持ち。



 自動車学校の帰り、表通りでバスを降りた。

 今日はSHE'S-HE'Sのリハもなくて…つまんない。

 一人で雑貨屋に寄って、咲華に似合いそうなピアスがないか探して。

 …あたしも開けちゃおうかなあ…なんて、鏡を見た。


 千里…怒るだろうなあ…

 …怒らせたいの?


 何だか自分の気持ちが落ち着かなくてイライラする…

 更年期かな…なんて思うと、あの若い女の子達に笑われてる気がして、ブンブンと頭を振った。


 …やだ。

 こんな気持ち…捨てて帰りたい。



 音楽屋のショーウインドウに展示してあるアンプをボンヤリ眺めてると…


「…桐生院さん?」


 すごく…すごく懐かしい声に呼ばれた気がした。


 振り返ると…声の主は…思ってた人だった。


「里中さん。」


 あたしの後にいたのは、里中健太郎さん。

 元SAYSって3ピースバンドで浅香さんと組んでた人。

 そして…光史の結婚披露宴で…一躍有名になった人。


 あの後、里中さんはソロで活動されてたけど…

 単身アメリカ事務所に移籍されて…確か…


「アンプに興味津々?」


 里中さんは、あたしの隣に並んで展示してあるアンプを指差して言った。


「あはは…このアンプ、好きなんですよね…」


 あたしは苦笑い。

 里中さんは…歌う事をやめて…ビートランドもやめたって聞いてたけど…



「あ、さすが一流アーティストには解っちゃうね。」


「…え?」


「このアンプ、あまり人気はないんだけど、ノイズが少なくて俺は好きなんだよね。」


 その里中さんの言葉に、つい…あたしは嬉しくて…


「わあ…そうなんですよ。あたしはこのアンプとTDFのキャビの組み合わせが最強で…」


「えっ?桐生院さん、ボーカルなのにアンプ強いんだ?」


「オタクなんです…中開いて基盤見たりするのも好きで…」


「……」


 ああ…引かれるよね…こんな話し…って思ってると…


「あはははは!!すげー!!うちで働いて欲しーや!!」


 里中さんが…手を叩いて大笑いした。


 …ん?働いて欲しい?


「あ、俺ね、今修理屋やってんの。」


「…修理屋?」


「うん。音楽屋で直らないレベルのやつ、うちに回ってくるようになってんの。」


「えっ、すごいですね。」


「俺もオタクだからね。」


 顔を見合わせて笑った。



 里中さんて…確か千里と同じ歳だから…今年49。

 だけど千里より年下に見えちゃうなあ。

 格好がラフだからかな?



「仕事は?休み?」


 そう聞かれて、あたしはカバンから自動車学校の教科書を取り出した。


「今更ですけど…通ってて。」


 すると里中さんは少しポカンとした後…


「…同じとこだ。」


 あたしの通ってる自動車学校の名前が入ったビニールバッグを見せた。





 〇神 千里


「高原さん。」


 今日はずっと探してたのに、捕まらなかった高原さん。

 携帯も電源が切られてて、俺はかなり探し歩いたぞ。


「どこ行ってたんすか。」


 ロビーでピッタリと寄り添って言うと。


「天気が良かったから墓参りにな。」


 高原さんは、首を傾げて言った。


 俺は頭の中で…誰かの月命日だったかを瞬時に考えたりしたが…

 知ってる限り…違う。

 天気が良かったから墓参り。

 …悪いとは言わないが…らしくない気がして少し心配になった。



「イベントの事、丸投げして悪かったな。」


 会長室に入ってすぐ、高原さんが言った。


「謝るならイベントの事じゃなくて、BackPackの事を謝って欲しいっすね。」


 俺はソファーに座って資料を開いた。


「イベントに間に合わせたいけど、現役大学生の三人がスタジオに入る時間が少な過ぎます。」


「ああ…そうか。ま、お披露目だからな…他の事務所からのゲストの枠の所に詰め込んで一曲だけでもいい。」


「…そんなもんでいいんすか?」


「メインじゃないからな。」


「……」


 少し拍子抜けした。

 朝霧さんが金の卵だと言って連れて来て。

 イベントでお披露目や。って息巻いてたから…てっきり1バンド分の枠を与えるのかと…


 ま、そんな事したらしたで、どんな贔屓だって言われかねねーから…助かった。


「一曲だけなら何とかなるか?」


 コーヒーを淹れながら、高原さんが振り返る。


「まあ…一曲なら。」


 イベントまであと二ヶ月…

 今メンバーが書いてる完全オリジナルを何とか間に合わせたい。



「それと、聞いたかもしれないが…SHE'S-HE'Sのプロデューサーを変える。」


「……」


 本気だったのか。

 確かに…ずっと朝霧さんが携わって来て…


「あかん。ワンパターン化して来た。」


 って自分で言ってたぐらいだからな…

 変化が欲しいのも確かだ。


「本人達にやらせるんですか?」


「いや…」


 高原さんはコーヒーを二つ持って俺の前に座ると。


「ハリーにDEEBEEと掛け持ちさせるか、考えてるとこだ。」


 さらっとそう言った。


「…ハリーですか。」


 それは…伝説のギタリスト、浅井晋の息子で…早乙女千寿の腹違いの弟。

 まだ若いが腕はいい。

 実際、DEEBEEのアルバムはハリーのプロデュースで度胆を抜くセールスになった。

 今はアメリカ事務所にいるが…こっちで契約するか…?

 前の来日も、数日でホームシックだとか言ってたのに。



「SHE'S-HE'Sは完成したバンドだが…まだ進化出来るはずなんだ。」


「……」


「もう一度、進化するあいつらを見たい。」


 …高原さんの…SHE'S-HE'Sへの期待は大きい。

 正直、もう頂点を極めて…これ以上はない気がしていたが…

 …こりゃ…あいつら大変だな…。

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