いつか出逢ったあなた 38th

ヒカリ

第1話 『瞳さん、少しフラットしてる。』

 〇東 瞳


『瞳さん、少しフラットしてる。』


「え…えっ?」


 今、誰があたしを注意したの?

 つい…スタジオの中、キョロキョロしてしまった。


 今日は…初めて…SHE'S-HE'Sの練習に参加。

 もう…昨日から…

 …ううん。

 一週間前から、緊張して…緊張して…



『もう一回、頭から行きましょう。』


「え?」


「one,two..」


 え?えええ?


 なんて言うか…

 あたしはソロシンガーだったわけで…

 バンドの練習のペースって言うのが…よく分からない。

 なのに、一曲目のAメロでいきなり止められて…また頭からっていきなりカウント入って…


『瞳さん、遅れてる。』


 今度は、誰かハッキリ分かった。

 島沢真斗君…通称まこちゃん。

 たぶん、あたしは一度も喋った事はない。はず。

 年齢的には十分おじさんだけど、全然おじさんじゃない風貌。

 彼の父親はあたしの父と一緒にDeep Redで世界に出た、鍵盤奏者の島沢尚斗さん。


 知花ちゃんと同じで…音にうるさいって言うのは聞いてたけど…


『瞳さん、ラが弱い。』


『瞳さん、下がり過ぎ。』


『瞳さん、ブレスのタイミングおかしい。』



 あーーーーー!!もうっ!!



「お疲れ様でした。」


 ここは…ギターの二階堂陸君の自宅。

 地下に立派なスタジオがあって…そこで、秘密の練習。

 初回から…四時間…

 もう…クタクタ…



 目の前に差し出されたカップを手にする。


「きつかった?」


 知花ちゃんが、あたしの顔を覗き込んだ。

 男性陣はさっさと帰ったけど…ここは知花ちゃんの妹さんである麗ちゃんの家でもあるから…

 あたしと、知花ちゃんと…さくらさんは残ってる。

 家主の陸君は…遠慮してるのか、まだスタジオ。



「きつかったけど…」


 正直…震えた。

 SHE'S-HE'Sの生演奏に自分が加わるなんて、思いもよらなかった事。

 そして…演奏もさることながら…相変わらず、知花ちゃんの歌は…

 どこまで進化するんだろう。って…恐怖を通り越して、呆れた。


「…さくらさん、ブランクがあるとは思えない…」


 あたしがテーブルに突っ伏して言うと。


「えー、あたしも母さんの歌聴いてみたい。」


 麗ちゃんが、嬉しそうな顔で言った。


 …いいな…

 母親って存在に…そうやって甘えられるのって…



 夏に、ビートランド所属アーティスト総出の大イベントが開催される。

 あたしは…知花ちゃんから、バックボーカルをして欲しい。と頼まれた。

 最初は…断るつもりだったけど…

 真剣な願い出に、心打たれた。


 それに…

 父の愛した女性…

 さくらさんも、一緒だし。


 何より…

 中途半端な形でシンガーの道を終わらせたあたしは…

 まだ胸のどこかでくすぶっている夢を、このまま終わらせたくないって思っていたのかもしれない。


 バックボーカルだとしても…どんな形でも、歌いたい。

 声を出したい。

 そう思った………けど。

 SHE'S-HE'Sのバックボーカルは…


 予想以上に、ハードルが高かった。




 〇朝霧光史


「おまえ、初回から容赦なかったな。」


 録音した音源をチェックしながら、まこに言った。


「だって…もうそんなに時間ないし。」


「まあ、そうだけどな。」


 陸んちでのリハの後、事務所のルームにセンとまこと三人で集合。

 後で陸も来る予定。

 色々反省点や改善点を見付けて、検討し合う。

 早い内に一度合わせようと言う事で…急遽今日集まった。

 幸い瞳さんは専業主婦で、昼間も時間が取れる…と。


 そして、さくらさん。

 知花の母親だが…バンドメンバーとして迎える事になって、失礼ながら名前で呼ばせてもらう事にした。

 まあ…それが違和感ないほど…若い。

 そのさくらさんも、昼間でも時間が取れるとの事で…思ったよりも合わせられそうだ。



「光史君、ここの三連の時に少しモタつくね。」


 まこに指摘されて目を細める。


 …全く。

 昔から、まこには脱帽だ。

 SHE'S-HE'Sには特にリーダーはいなくて。

 率先して動くのは陸。

 そして、俺。

 だから、高原さんも親父も神さんも…決定事項や重要事項は、俺か陸に回して来る。


 だが、サウンドの事に関して一番シビアなのは…まこだ。

 知花同様、とにかく耳がいい。


 知花は最後まで聴いて、全体を通しての改善案を出す事が多いが…

 まこは、その時点で止める。

 そして、直るまで何度も繰り返す。

 ま…そんな方針に慣れて来てる俺達は、それも何てことはないんだが…

 初回の瞳さんに、あれはキツかったんじゃないかと…



「それにしても…すごかったな。」


 録音した音源の二曲目が終わった所で…センが言った。


「…ああ。」


 センが何の事か言わなくても…まこも俺も分かった。

 …さくらさんだ。


「一音も外さない上に…サビ前で思いがけない入り方してたな。」


「下手したら流れを壊しかねないのに、すごいよね。」


「でも…楽しそうだったよな。」


 センの言葉に、まこと頷く。

 本当に…さくらさんは楽しそうに歌っていた。



「親父の中で、さくらさんの話ってタブーだったのか…最近になってようやく、昔の話を聞いた。」


 俺がそう言うと。


「えっ、聞きたい。」


 まこが前のめりになって言った。


「ナオトさんは話さないのか?」


「昔少し聞いたけど…大した事は聞いてないんだよね。」


「あのプレシズに出た事があるとかさ…」


「プレシズ!?」


 まことセンは目を見開いて驚いて。


「それって…すごく有能って事だよね!?」


「すげー…そんな人と高原さんの娘…知花がすごいわけだよ…」


 それぞれ、そんな事を言って感嘆の溜息をついた。



 俺が親父に聞いた話は…

 さくらさんのプレシズ出演は『当て馬』で。

 だが、当時カプリで歌っていたさくらさんは『レストランシンガーの意地を見せてやる』と、名曲の数々をアレンジして、しかも…FACEの面々とナオトさんを従えて、ステージに立ち。

 最高のパフォーマンスを見せた、と。


 そして…



「あんな幸せそうなナッキーの顔、後にも先にも…あれが最後やったかもしれんな…」


 カプリでの打ち上げの最中。

 みんなが目も当てられないほど…高原さんはさくらさんを愛おしそうに抱きしめて。


「おまえ可愛いな。」


 と…繰り返したそうだ。


 まるで、今で言う神さんだ。

 …高原さんのそんな姿は…想像すらできない。



 その数週間後には、高原さんの生まれ故郷であるリトルベニスで挙式するはずだった二人。

 だが…色んなタイミングの悪さで…その夢は消え去った…



「あの後、ナッキーは歌えんようになって…けど、時間をかけて復活した。あの頃、ナッキーが書いたラブソングは、全部さくらちゃんに作ったもんや。」


 Deep Redに名曲は多いが…

 中でも、ラブソングは…一時期に集中して作られていて。

 それは今も色褪せる事なく、誰からも愛される楽曲だ。


「あの後…ハッキリは言わへんかったけど、また何かの縁で二人が一緒に居られるようになって…ナッキーに熱が戻った。ワールドツアー…最高やったなあ。ま…もう活動休止は決まってたんやけどな…」


 Deep Redの早過ぎる活動休止は…周りや、当事者であるメンバーさえをも動揺させた。

 決断した高原さんは、日本から世界へはばたけるアーティストを育てたい。と、自らビートランドを設立した。


「…ま、俺らはナッキーがやる事についてくだけやねん。これからもな。」


 これからも。

 その言葉が…俺の胸を疼かせた。


 これから…後どれぐらい…

 Deep Redには時間が残っているんだろう。



 その間に…

 高原さんに…

 誰でもない、高原さん自身に。



 幸せを感じてもらいたい。




 〇朝霧瑠音


「るー、瑠歌、ちいとええか?」


 いつになく真面目な真音の声に、私と瑠歌ちゃんはキッチンで顔を見合わせた。


「あ、先に行って下さい。あたし、紅茶入れていきます。」


「ありがとう。」


 お言葉に甘えて、私は一足先にリビングへ。


「どうしたの?何か謝りたい事でもある?」


 私が真音の隣に座って言うと。


「……」


 真音は目を細めて。


「そんなん言うって事は、なんや謝って欲しい事があるっちゅう事か~?」


 情けない顔をして抱きついて来た。


「もう…冗談よ。」


 背中をポンポンとしてる所に、瑠歌ちゃんが紅茶を入れて来てくれた。


「ありがと。」


「いいえー。お義父さん、ミルク入れます?」


「ああ。」


 お向かいの頼子からもらう紅茶は、いつもとても美味しい。

 昔はコーヒー派だった真音も、すっかり紅茶派になった。

 ただ…ミルクは欠かせないけど。



「実はな…夏に事務所のミュージシャン総出の大イベントをする事になった。」


 それは…内部事情に詳しくない私でさえ…少し違和感を覚える話だった。


「…去年40周年の大イベントをしたばかりよね?」


「ああ。けど、ナッキーがどうしてもやるって。」


「……」


 毎年8月には周年イベントが行われる。

 去年は40周年という事もあって、かなり大規模なイベントになった。

 そして、藤堂周子さんのトリビュートアルバム制作も…

 ビートランド所属の全アーティストによって、現在もレコーディング続行中。

 …そんな中、高原さん…また大イベントを?

 どうして?



「それで…俺もやけど、光史もやし…希世も沙都も沙也伽も帰るんが遅くなる事もある思う。」


「…高原さん、どうしてもやるって…なぜ?」


「さあな…けど、俺らももう歳や。いつまでも今のまんまやって行かれるわけやない。ナオトが入院したのもある意味キッカケんなったんちゃうかな。」


 ナオトさんは、肺にポリープが見つかって入院中。

 確かに…ハードロックなんて体力の要る音楽…

 いつまで出来るか…


「それとな…」


 ふいに真音が、指をもてあそびながら…言いにくそうに。


「…知花の親父さん、亡くなられはったやん。」


「ええ…」


 あまりにも突然で、光史も驚いてたけど…

 おばあ様まで後を追うように亡くなられて…

 知花ちゃんのご家族の悲しみは、計り知れないと思った。


「…こう言うたら…アレやけど…ナッキーとさくらちゃん、一緒にさせてやりたいんや。」


「…さくらちゃん?」


「…知花の…母親。」


「……」


「……」


 あたしと瑠歌ちゃんは、顔を見合わせた。

 そして…


「真音…どういうつもり?旦那さんが亡くなってすぐ、他の男の人とくっつけようとするなんて…」


「いや、これには色々事情が…」


「お義父さん、いくら事情があっても…それは…」


「ちょい待てって。」


 真音は立ち上がると私達に向かって。


「何も喋ってなかった俺が悪かった。順を追って喋る。」


 そう言って…もう一度座って。


「あのな…」


 喋りはじめた所に…


「ただいま。」


 光史が帰って来た。




 〇朝霧光史


「高原さんとさくらさんの事?…興味深いな。ま、俺は少し事情知ってるけど。」


 俺がそう言うと、母さんが親父を一瞥した。


「ああ…ごめん。知花から聞いたりしてたから。」


 そういう事にしておこう。

 親父からも昔のさくらさんの話は聞いたけど…そこは聞かなかった事に。



「元々、ナッキーはアメリカでさくらちゃんと暮らしてたんや。」


「え?周子さん…」


「周子さんと別れた後。」


「そう…」


「音楽に対しても、めっちゃ真面目で…アレンジ能力に長けてたなあ…さくらちゃんのそういう所にナッキーは刺激されてたんや思う。さくらちゃんと居た頃のナッキーは…ホンマ、何やっても上手くいく感じやったし。」


 親父の視線は窓の外。

 特に何が見えるわけでもないが…俺もそこを見てしまった。


「…高原さん…一度声が出なくなった事があったわよね…」


「えっ。」


 瑠歌と二人で驚いた。


「もしかして、あの時って…その彼女と何か関係あったの?」


 母さんの問いかけに、親父は体を大きくのけ反らして溜息をついて。


「…結婚する前の日に、さくらちゃんがおらんくなったんや。」


「え…」


「色んな悪いタイミングが重なっただけで、誰が悪い言うわけなないんやけどな…運命ってホンマ…」


 そう言って頭を振った。


「けど、その数年後…ナッキーは何らかの形でさくらちゃんを見付けた。」


「…アメリカで?」


「ああ。それからのナッキーはもう…絶好調。」


「…高原さん、そんなに分かり易い人だったんだ…」


 母さんは溜息をつきながら前屈みになって。


「…さくらさんって、どんな人?」


 親父の顔を覗き込んだ。


「不思議な子やったな…あ、そう言えば愛美ちゃんが奏斗を妊娠中に事故に遭うた事あったやん。あの時介抱してくれたんは、さくらちゃんなんやで?」


「え!?オードリーヘプバーンじゃないの!?」


 母さんのその言葉に、思わず俺と瑠歌はふいた。

 いくらなんでも…そりゃないだろ。


「だって、あれからまこちゃん…テレビで彼女を見るたび『お歌のお姉ちゃん』『好き』ってすごく言ってたし…病院でも噂になってたのよ?」


「変装の名人やったらしいで。あ…愛美ちゃんも信じたままらしいし、内緒な。」


 親父が口の前で指を立てたが、母さんはもう聞いてなかったかもしれない。

 …信じてたのか?



「その…再会までの数年間のうちに…さくらちゃんは…知花を出産してた。」


「えっ。」


「え?」


「えーっ!?知花ちゃん、高原さんの娘さんなの!?」


 母さんは立ち上がって丸い目。


「親父、言ってなかったのかよ。」


 俺が突っ込むと。


「光史、あたしも知らないけど。」


 隣の瑠歌から低い声。


「あ…そ…うだっけ…?」


「瞳ちゃんの話は聞いてたけど…知花ちゃんの事は知らなかった。」


 立ったままの母さんがそう言うと。


「さくらちゃん自体…死産だったって聞かされて、娘の存在を知らんまんま渡米したらしいしな…」


 親父が母さんの手を掴んで座らせた。


「……」


「どうした?」


 瑠歌が眉間にしわを寄せて黙り込んでるのを見て問いかけると。


「…あたしも…内緒にしてた事が。」


 瑠歌はそう言って一旦リビングから出て。

 しばらくすると、一枚の写真を手にして戻って来た。


「これ…」


「ん?」


 みんなでその写真を覗き込む。

 そこには…


「…晋と廉とさくらちゃん…?」


 親父が目を見開いた。


「父の追悼セレモニーの後、この写真を高原さんに見せたら…自分の大事な女性だって言われました。」


「……」


「そして…彼女は記憶を失ってるから、そっとしておいて欲しいって。」


「記憶喪失なの?」


 母さんが誰にともなく問いかけると。


「全部の記憶がないわけやないらしい。俺と会うた時も、少し間はあったが名前言うてくれたし。」


「…ここに一緒に写ってる浅井さんは…この女性の事、覚えてませんでした。」


「えっ?」


「父が亡くなった当時の記憶がないみたいで…」


「……」


 それからは…みんな何も言えなくなった。

 本当に、色んな悪いタイミングとしか言いようがない。


 だけど数分後。


「…高原さん、いつも人のために動く人だものね…そろそろ自分の幸せを追い求めてもいいわよね…」


 三人の写真を手にした母さんが言った。

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