第34話 「神さん、昨日はすみませんでした!!」

 〇神 千里


「神さん、昨日はすみませんでした!!」


「……」


 翌日、スタジオに入ると。

 突然BackPackのメンバー五人が、並んで俺に頭を下げた。


「あたし達…やる気がないわけじゃないんです!!」


「あの…ちょっと夢みたいな話に舞い上がって…あたし達、イケてるんじゃんって…いい気になってました!!」


「もうふざけません!!頑張りますから…もう一度チャンスをください!!」


「休憩なくてもいいです!!イベントまで…死ぬ気でやります!!」


「お願いです…お願いします…!!見捨てないでください!!」


「……」


 ぶっちゃけ…


 夕べ知花とイチャつき過ぎて大満足な俺は、昨日こいつらと何があったかなんてのも忘れてた。


 五人は頭を下げたまま。

 俺はそんな五人に。


「…最初にちゃんと話してなかった俺も悪いが…」


 小さく溜息をついて、前髪をかきあげる。


「…座れ。」


 五人にそう言って、俺は床に胡坐をかいた。

 すると五人も顔を見合わせて…ゆっくりと正座した。


「…ここは…ビートランドは、高原さんの城だ。」


 日本から世界へ発信できるアーティストを育てるために、まだまだ現役で歌えたはずの高原さんが…歌う事を休んでまで創った城だ。

 そんな彼の城に憧れるアーティストは世界中にいる。

 誰もがここに入れて誰もがステージに立てるわけじゃない。


「おまえらは朝霧さんが金の卵って言ったぐらいだ。まだ俺が見付けられてない素質があるはずだ。だが…素質や実力があったって、売れるとは限らないのがこの世界だ。」


 五人は神妙な顔で俺の目を見た。

 …昨日までと目が違うな。


「それと…おまえら、人の楽曲は聴かないっつってたが…偉大な先輩方の作品を少しは聴け。」


「はい!!」


「それと…おまえらたぶん何も知らねーんだろうから言うけど…おまえらが怖い顔したオバサンだっつってた俺の嫁さ」


「すみません!!本当にすみません!!調子に乗ってました!!」


 俺が全部言い切らないうちに、美佳と麻衣子が土下座した。


「…別に誰がどう見てても関係ねーよ。俺には可愛くてたまんねー嫁だから。」


「はい!!」


 …ここで元気良く返事されても…まあ…どうでもいいけど。


「その、うちの嫁は…」


「はい!!」


「世界に出てるバンドのボーカリストだ。」


「……」


 五人は顔を見合わせて。


「え…っ?」


 俺の顔を見た。


 …知花は相当、ミュージシャンって見た目じゃないらしい。


「今度のイベントのトリを飾る。しっかり見とけ。考え方が変わるぞ。」


 そうだ。

 俺も…変わった。

 変えられた。

 …魂ごと。





「BackPackにお灸でもすえたのか?」


 昨日話が出来なかったから、と。

 高原さんから会長室に呼ばれた。

 ついこの前までコーヒーメーカーがあったのに、今は茶葉のポットが並んでる。

 …急にハマったのか?


「お灸っつーか…まあ、やる気がないなら辞めろとは言いました。」


「ふっ。おまえに任せて良かった。」


 高原さんは黒い大きな椅子に座って引き出しを開けると、中から書類を取り出して。


「千里。」


「はい。」


「…ここに、この事務所の事全てが入ってる。」


 俺に渡した。

 すぐにはピンと来なくて、俺は封筒を持ったまま…高原さんを見た。

 高原さんは机の上で指を組んで。


「…イベントが終わったら、引き継いで欲しい。」


 俺の目を真っ直ぐに見て…そう言った。


「…引き継ぐ?」


「ビートランドを、だよ。」


「………」


 何度か瞬きをした。

 高原さんの言っている意味が…分からなかった。

 イベントが終わったら…


「…何言ってるんすか。」


 俺はソファーから立ち上がると。


「引退なんて…させませんよ。」


 低い声で言った。


「……そうは言っても…俺が歌うのは、このイベントで最後だと思ってる。」


「なっ…」


「もう十分だ。十分…色んな物を作って、世に送り出した。これ以上の物はないって言うぐらいにな。」


「……」


 あまりにも…突然過ぎて…頭の中が真っ白になった。

 高原さんが…引退を考えてたなんて…

 そんな…


「…やです…」


「ん?」


「嫌です。引退なんて…俺は認めない。」


「…千里。」


「高原さんは…いつだって俺達の目標であって…その背中に追い付きたくて俺達は…」


「……」


「俺達は……」


 眉間に力を入れてたが…涙がこぼれた。


 TOYSでデビューして…6年で解散。

 その後、フラフラしてた俺をクビにする事もせず…高原さんは待ってくれた。

 あれから…知花を取り戻すためにF'sを組んだ。

 31年。

 俺は…ここに…高原さんの城に、31年住み続けてる。

 これからも、その城の主は…高原さんでいて欲しいのに…



「…千里。」


 高原さんは椅子から立ち上がって俺のそばまで来ると、涙の止まらない俺の肩を抱き寄せて…


「…おまえも歳を取ったな。俺の引退ぐらいで泣いてどうする。」


 優しく…言った。


「…引退ぐらいって…なんすか…大事件っすよ…」


「頼む…おまえと圭司に…全て託したいんだ。」


「……」


「俺の次の夢は…おまえらが育てる物を見る事だ。」


 そう言われても…

 俺は返事が出来なかった。


 高原さん。

 辞めないでくれよ。


 心の中で、ずっと…そう繰り返して…

 しつこく泣く事しか出来なかった…。





 〇桐生院さくら


『今日、高原さん連れて帰るんで、晩飯お願いします。』


 千里さんから電話があって…


「あら、そう…」


 あたしは短く答えた。


 …なっちゃんがうちに来るのは…すごく久しぶり。

 そりゃそうだよね…

 貴司さんていう親友がいない家には…もう用はないし…



 どうしよう。

 ご飯…張り切って作るのはおかしいし…

 だけど余り物で作るのは…何となくプライドが許さない…

 だって、なっちゃんが来る時っていつも…

 お義母さん…張り切って作ってたんだもん…


 …なっちゃん忙しいんだろうな…


 そう思うと、お義母さんみたいに元気になれる料理を作ってあげたい…って思った。

 …別に他意はないよ…

 そうだよ…

 知ってるお客さんだもん…



 自然と仏間に行って、仏前で手を合わせた。


 貴司さん、お義母さん…

 今日、なっちゃんが来るんだって。


 …ごめん、貴司さん。

 あたし…ずっとうしろめたかった。

 だって…みんなの前では一言もかわさなかったけど…

 …意識してた。


 背中を向けてても…耳はなっちゃんの声を拾ってて。

 あれ、今日は少し風邪気味なのかな…とか。

 何か仕事で嫌な事でもあったのかな…とか。


 …本当…ごめん。

 ずっと…片想いしてたと思う。



 貴司さんとは普通の夫婦とは違ってても、あたしの事…本当に大事にしてくれてるって思ってた。

 それなのに、あたし…

 あの想いとは、もう…さよならしたはずなのに…

 何年も…何十年も…

 貴司さんの事…裏切ってたよね…


「…あたしはこれからも…貴司さんの妻だから…」


 あたしが手を合わせたまま、小さくつぶやくと…


 ガタン


 突然…開け放ってた広縁から風が入って来て。

 仏壇の花立てが…倒れた。


「えっ!!あっ…あー!!」


 そこから水がこぼれてしまって、あたしは慌ててそれを手にしてこぼれた水を拭いた。


 …どうして?

 こんなに重い花立てが…風ぐらいで倒れるわけないし…

 仏壇の中にまで風は届かないのに…


 あたしはモヤモヤしながら花立てを持って大部屋に行くと、水を新しく変えて花も挿し直した。


 …片想いだなんて告白したから…

 貴司さん…お義母さんも怒ったのかな…

 …バカだな、あたし…

 姿形はそこになくても、魂はあるのかもしれない。

 そうだとすると…あたしは嬉しいけど…二人はあたしの告白にイラッとしたっておかしくないよね。


 自分の想いに反省しながら…再び仏間に…


「……」


 あたし…夢見てるのかな?

 それとも…幻?

 広縁に…貴司さんとお義母さんが…座ってる。


「…貴司さん…お義母さん…」


 その背中にあたしが声をかけると、二人はゆっくり振り返って…

 あたしに向かって…優しい笑顔で…首を横に振った。


「え…?何…?」


 何が…違うの?

 あたしが一歩近付くと、二人が胸に手を当てた。


「……」


 その時…声が聞こえた。


『真実は大事だ』


 …貴司さんが言ってた…あの言葉…


 真実…


「ねえ…何?何の事?」


 あたしが問いかけると、二人の姿はだんだんと薄れてしまって。

 だけど…すごく笑顔で…

 その姿をずっと見ていたいと思ったけど…それは少しずつ消えてしまって。

 あたしは…涙が止まらなかった。


「消えないで…幽霊でも何でもいいから、ここにいてよ…あたし、ずっと貴司さんとお義母さんに守られて来たって分かってるよ?だから…お願い…ここにいてよ…!!」


 畳に跪いてそう叫ぶと…

 頭に、ふわりと…何か感触があった。

 ハッとして顔を上げたけど、そこには何もなかったし誰もいなかった。

 それでも…この頭に残る感触…


 …真実は大事だ。



 貴司さん…

 あたしの…真実?

 あたしの……何にも変えられない…


 なっちゃんへの…気持ちの事なの…?

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