第39話 後生に想われる孤城のこと

 荷台組はしきりにコンビニに行きたがったが、さすがに目立つのでひと目の付かない場所で休憩を取ることにした。

 ちょうど道行きの途中に「公園」と名の付く場所があったので立ち寄った。山というには気が引けるし、丘というには立派すぎる、明かりのほとんどない犯罪者にはお誂え向きの場所だ。

 綾乃とユリアとニコがトイレに行くと言うので、真とリンカは「死体の見張り」という、なんともそれらしい役目を授かった。

 見張りも何も、見渡す限り平らな土しかない。

「城跡ですって」

 ぽつねんと、広場の真中に立っている石碑を覗き込んでリンカが言った。城跡と言っても、見渡す限り大地が平面に続いているだけだ。

「何もないね」

「石垣くらいはあるんじゃないですか?」

 そういえば上ってくる時に見たかもしれない。けれど、本当にそれだけだ。建物がないのに土台だけ残してどうするのだろう。失われた、ということが身に染みるだけではないか。リンカは持っているビーチボールを手の中で軽く放り投げながら言った。

「別荘の近くにもちゃんと海はありますからね」

 ちゃんと、とはどういうことだろう、と思うと、リンカが口の端を持ち上げる。

「ビーチバレー、出来ますよ」

 そういえば、真が運動はあまり得意ではないと言ったせいで、みんなで対決をしようというような話になっていたのだ。2対2で、一人は審判で、対戦表を作るとか作らないとか。

「それネットはどうするの?」

 リンカはボールを顎に当てて首を傾げた。

「うーん。あると仮定してやるしかないっすね」

「難しいな」

「そうですね。私たちのような頭でっかちは不利です」

「いや――俺はリンカさんみたいにちゃんと考えてないよ」

 彼女がこんな風に屈託なく接してくれる理由が、真には分からなかった。先ほどのリンカとのやりとりは、ニコが帰ってきたため途中になっている。リンカの中で今の真は、自分の罪をニコになすりつけて、黙っている人間のはずだ。

 しかし、彼女の声と笑顔はとても自然だ。

「夜景、楽しかったですね」

 ぼんやりと、しかし感慨深く彼女は言った。いつだかミクも含めて三人で、近くの山の上までドライブに行ったのだ。けれど、あれは夜景というにはかなりお粗末な景色だった。

「私、あんな景色生まれて始めて見ました」

 あの時も、リンカは仕切りにそう言っていた。もっと良い場所に連れて行けばよかった。ここだって土がどこまでも続いていて、その向こうには闇色に木々が揺れているだけだ。せめて、もう少し明るい場所に連れて行ってあげたい。

「ミク、風邪引いてて良かったですね」

 その声はやや暗かった。当初はミクもこの旅行に参加するはずだったのだ。何らかのウイルス性の発熱が続き、参加を辞退したのだ。ミクの電話口の声が蘇る。

「名前も分からないんじゃ、どのウイルスを恨んだらいいか、わかんないすよ」

 鼻声のせいか、電話口から聞こえるその声は、泣いているように聞こえた。真は大げさだと思い、また今度行けばいいと適当に答えたのだ。

 本当に来なくてよかった。

「何かのウイルスに感謝しないとね」

 真の答えにリンカは笑った。

「そうですよね。こんな泥船、っていうか沈没船ですからね」

 やはり、彼女はこの先の未来に希望など抱いていないのだ。それなのになぜ、こんなことに加担しているのだろう。聡明な彼女なら、もっと他に手があったはずだ。いくらだって。

「リンカさんは――」

 真はその顔を伺いながら聞いた。

「自分が主役の人生から下りたいと思ってるの?」

 姉の身代わりの人生だと彼女は言った。夜景を見たことがなく、祭というものに参加したこともなく、あらゆることを知っていて、あらゆることを体験したことのない彼女は。

 墜ちることを望んでこんなことをするのだろうか。しかし、彼女はごく平坦な声音で答えた。

「違いますよ」

 無表情のまま。

「私は、ただ一緒にいたいだけです。本当にそれだけ」

 最後の声が震えていて、真は彼女の年齢を思い出した。いくら冷静に見えても、リンカはまだ年若い女の子なのだ。その年齢にふさわしい声音で彼女は呟いた。

「この店に来たのはただ、誰も知らない所で、自分として生きてみたかったからです。一人で生きてみたかった。でも、家族から離れたら、私には何も残ってないということに気づいたんです。なんでも出来たって、何もしたいことがないし」

 握っているビーチボールが、小さくみちみちと音を立てた。彼女は顔を上げた。

「でも、ここにいたら、楽しいから。もちろん、期限があるからだっていうことは分かってます。分かってました。でも私には楽しいっていうだけのことが、すごく貴重で、だから――色んなこと考えましたけど、ほんとうに、私はただ、少しでも長くみんなと一緒にいたいだけです」

 簡単でしょう、と笑って、リンカはビーチボールを真に渡してきた。つるつるとして、ぷにぷにとして、妙な感覚だ。そういえば、ビーチボールというものを手にしたのは初めてかもしれない。リンカは少し自分と似ている、と真は思った。

 けれど、よほど大人だ。

「新しい名前」

 真の声に、リンカは小さく首を傾け、聞く体制を作った。

「新しい名前は新しい世界だって、さっきリンカさん言ってたでしょ」

 塩原に襲われた時、真は一瞬、希望めいた思いを抱いたのだ。男に女として扱われ、蔑まれながら求められ、力で押さえ込まれ。これで彼女たちと同じになれると思ったのだ。

 でもやはり違う。真には作り物の膣しかない。精子を出されても妊娠しない。そのことが――人と違うということが、却って明らかになっただけだった。緊急避妊薬なんて、飲む必要はないのだ。

「俺はみんながすごく羨ましい。新しい名前で、新しい世界を共有できて、一緒にいられるということが。俺は一人だから――誰とも違う別の世界で、頭から爪の先まで人と違う生き物で、それが時々、すごく虚しい」

 リンカは表情のない顔で真を見ていた。

「ごめん。急に変なこと言って」

 励ますつもりで話始めたのに、どうして自分の話なんかしはじめたのだろう。ひどく恥ずかしかった。たぶん、このただ広いだけの土地がいけないのだ。

 自分の存在に耐えられなくなる。

 リンカは真に小さく笑いかけた。

「私だって、どこへ行っても異端ですよ」

 彼女はいつも人に寄り添うような声音で喋る。

「頭が良いとか、育ちが良いとか、才能――はあまり言われたことはありませんが、それだってどれも、人と違うってことです」

 リンカの言い方は真と違って、完全にそのことを諦めているような口ぶりだった。ただそうであるという事実を見つめているだけだ。こんな風になるまで、彼女は一体どんな生活を送ってきたのだろう。

「真さん。夜景見に行ったの楽しかったですか?」

 けれど彼女は時々、真に対して甘えるような声を出すことがあった。そのことが真は嬉しかった。夜景を見に行こうと言ったときもそうだった。

「うん。楽しかったよ。すごく楽しかった」

 山頂のような場所で伸びきったカップラーメンを食べたことを思い出した。あまりにまずいのが面白くて、真はずっと笑いが止まらなかった。全く意味もなく面白かったのだ。

 リンカはほっとしたように笑った。

「私も楽しかったです。ね、真さん。これだって、同じ世界ですよ。楽しいとか、淋しいとか、苦しいとか、一緒の気持ちでいるのは同じ世界にいるってことです。それが真実同じ感情であるかどうかは、問題ではない」

 彼女はゆっくり顔を上に向けた。もうここに存在しない、遙か昔の建物を見上げるように空を見た。

「一瞬でも同じ世界にいられたということは、未来の救いになるはずです。だから私はこの先どうなっても、今、真さんとした会話を忘れませんよ」

 私たちは、同じ世界にいます、と、聡明な彼女は願うような声で言った。

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