幕間

40日と5日目

第28話 古木広夏(アキ)

 ビルの隙間にちりぢりになった紙風船が落ちている。それはもはや風船ではなく、紙であるとも言えないが、あの色とあの模様は、溶けようがなんだろうが紙風船だと分かる。これはすごいことだ。

 人間はそうはいかない。

 少しでも環境が変われば、もう同じ人間ではない。

 きっと七夕の時から落ちているのだろうと考え、あの日、なぜ自分は出勤じゃなかったのか、と恨むような気持ちになった。ポケットの中が震える。

 スマホを取り出すと、画面には『鳩谷真衣(ナナ)』という表示が出ている。

「もしもし」

「あっ出た!」

「うるさいなぁ。音量落として」

「アキって電話出ない人だと思ってた」

「基本的には出ない」

「まじで! ウケる」

 けたけたとナナは電話の向こうで笑った。いつも狭くて暗い部屋で聞いていたうるさい笑い声は、雑踏の中で聞くとすごく遠く感じる。

「なんか用」

「用、用!」

「なに」

「ミクの連絡先知ってる?」

 急に声が重くゆっくり聞こえた。実際にそうだったのか、感じ方の問題なのか。

「知らないけど、知ろうと思えば知れると思う」

「まじで、すげーね」

「今日暇なの?」

「うん。ニートだから」

 まぁそうだろう。まだあれから大して時間は経っていない。アキも同じようなものだった。重い物が胸に溜まっている気がして、アキはそれを追い出そうと、小さく息を吐いてから言った。

「じゃあ、7時に駅前の喫茶店」

「ピエロのところ?」

「そう」

「あいあーい!」

 電子の音が途切れて、道を行く人間の声が耳に戻ってきた。まだ夏が終わったのかどうかも分からない気温なのに、この町は薄汚れていて、真夏以外はずっと真冬に見える。

 これも受け取る側の問題だろうか。

 この先ずっと、自分はもうこの町を、真冬の気持ちでしか見られないのかもしれない。

 溶けた紙風船をもう一度眺めてから、アキは歩きはじめた。

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