第26話 欠けた世界



 振り返る、そこにはフェイスが倒したはずのツェルトが立っていた。

 混乱するステラを置いて、状況は変化していく。


「やっと、見つけた!」

「貴様っ、何故ここに!」

「誰がお前なんかに教えてやるかよ」


 ツェルトの服装は看守の物ではなく、学生服に変わっていた。

 そこに立つ彼はこちらへ心配そうな視線を送り、ついで隣のフェイスへと激しい怒りの表情を向ける。


「お前がそこに立つな! ステラに何をしたんだ!!」


 それを聞いたフェイスは含み笑いをして思わぬ行動に移る。


「さてな」


 ステラの体を引きよせて、その首筋に剣を突き付けたのだ。


「えっ」


 その状態のままフェイスはツェルトへ脅しをかけた。


「この女の命が惜しければ、下手なマネはするな」

「お前……っ」

「失敗したな。僕の心をさんざん踏みにじってくれたこの女に復讐するために、洗脳して良いように使ってやろうとしたというのに」


 ステラの首筋にあてられた剣が鈍く光る。

 その光の刺激がやけに目にまぶしかった。


「ステラを選んだのはそんな理由だったのか。とんだ最低野郎だな」

「当たり前だろう。そうでなければ、僕が手間暇かけて幻を見せてやった意味がなくなる。あれを作り出すのは苦労したのだぞ」

「ステラに何を見せた」

「僕が答えるとでも」


 二人が交わす言葉に思考が追いつかない。

 フェイスは、ツェルトは……彼らは一体何を言っているのか。

 急激な状況の変化にうろたえる事もできず、ただ見ているだけの存在と化していたステラにツェルトが声をかける。


「ステラ、いつまでそんな野郎のとこにいるんだよ。お前は、おとなしく敵に捕まってる奴じゃないだろ! こっちがどれだけ心配したって、無茶する奴だろ!!」

「えっ…、え……?」


 かけられる言葉は今までの冷たいものではなく、真っ直ぐで真剣で……どこか温もりを感じさせるものだ。


「お前は、誰かに手を引かれて後ろから付いていくようなやつじゃない。俺の知ってるステラは、横で一緒に走ってくれるような、そんな人間だっただろ!」

「っ!!」


 何故だか分からないけれど……。

 その言葉に、ステラの心は強く心が揺り動かされていた。


「ごちゃごちゃとうるさい。僕を無視して会話をするな! こいつが見えないのか」

「へっ、吠えてろよ。戦闘力そんなないんだろ。人質とらないと何にもできないくせに」

「この……」


 フェイスの凶器の剣を握る手が怒りで震える。

 それは些細な隙だったが彼女にとっては十分なものだった。突き付けられていた剣が、首筋をほんの少し離れた。


 ――――そのチャンスを無駄にするステラではない。


「はぁぁっ!」


 得物を掴んでいる腕をとって、背後にいるフェイスの足を払い、前方へと投げ飛ばす。


「ぐはっ!」

「そうね、思いだしたわ。私はそういう人間よ。呪術なんかに頼らなきゃ歩いていけない人なんかに、私がついて行くわけないでしょ」


 ステラは地面に蹲るフェイスに現実を突き付ける。


「残念だったわね。ゲームは終了よ」


 ステラが彼の敗北を口にした瞬間、呪術は解けて悪夢から目覚めた。





「王宮の……任務が……んだ。前回はツェルトと挟み撃ちにするつもりで失敗したからな」

「囮に引っかかって……遅れ……んて、ニオちょっと呆れるよ」


 二人分の女性の声を聞きながら目を開けると、ほっとした顔の二オが目の前にあった。

 彼女が現実世界で呪術を解いてくれたらしい。


 背中に固い壁の感触を感じる。

 教室で倒れていたらしいステラは、彼女たちによって壁際にもたれさせられていたようだ。

 隣には鳶色の頭の彼の姿がある。


「ステラちゃん、目が覚めたの!? もうっ、無事で良かったよ。ステラちゃん見つけて駆け寄るなり、ツェルト君まで倒れちゃうし。どうしようかと思ったんだから!」

「心配かけてごめんなさい、もう大丈夫だから。ありがとう」


 礼を言って立とうとするが、少し眩暈がして足元がふらついた。

 目覚めてすぐだからだろうか、まだ不快な感覚が体に残っていた。


「まだ無理すんなよ、ステラ」

「あ、ツェルト君。大丈夫? さっきすごい勢いで倒れたけど、頭打っておかしくなってない?」

「あぁ、悪かったな心配かけて、大丈夫だって。俺はいつもおかしいらしいし」


 目覚めたツェルトがステラに声をかけるが、他に気にするべき事があった。


 離れた所に視線を映すと、黒髪の女性がフェイスを取り押さえているところだった。


 抵抗しようとするフェイスだが、彼女が体を動かし器用にも片手でナイフを扱い相手の喉元にチラつかせた。


「それ以上動いたら切るぞ。おとなしく我々に捕まっておけ。要注意人物のお前の為に特別に用意してやった牢が待っているぞ」

「くそぉっ! 貴様らぁ、覚えてろよ!」


 喚きたてるフェイス。分かっていた事だが反省の色などまるでない。

 そんな彼のもとに、ステラは剣を抜いて近づいていく。


「ステラちゃん?」

「おい、ステラ……」


 ほのかにだがステラは殺意というものを初めて抱いた。

 捕らわれた夢の中、自分は体だけではなく心の自由すらも奪われそうになった。

 誰かと培った絆や思い出、何かに対する大切な想い、それらを身勝手極まりない理由で奪われかけたのだ。

 命は大切だ。できることなら人は殺したくない。だけど……。

 自分がされたこと考えれば、簡単には彼を許せそうになどなかった。


「貴方は私に殺されても文句が言えない事をしたのよ、それが分かってるの?」


 口から発せられたのは、自分でも驚くような冷たく低い声。

 だがそれに対して、応じる相手は狂ったように喚き散らすだけ。


「この僕に恥をかかせてっ、どこまでも可愛げのない女だな。僕をその剣で殺すのか! いいさ、殺せばいい。あははっ、そうだ! 憎しみに心を焦がして、人殺しの汚名を被りお前も牢屋に入ればいいんだ。ほら、殺せ。殺せよ!!」


 口角泡を飛ばしながら血走った目で何か取りつかれたように喋り続けるフェイス。

 その様子を見てステラは怒りよりも哀れみの感情を抱いた。


 許せないという思いは変わらない。

 だけど、だからといって彼と同じ場所に立つことはしたくなかった。


「今日は色々、貴方に教えられたわ。だからその礼として、とりあえず貴方の命はとらないでおく」


 ステラは剣の平でフェイスの頭を子馬鹿にするように一回だけ叩いた。

 今の彼に一番応えるのはこういう罰だろう。


 今日は、経験したことがないくらいの体が震えそうになる恐怖や怒りに……、私に縁がなかった感情にばかりに触れた。

 こんな状況でもなければ、おそらく当分は抱く事のなかった感情だろう。

 迷惑ばかりの相手だったけど、それらと向き合う機会を与えてくれた事だけは感謝してもいいと思えた。


「さようなら。牢に入るのは貴方だけよ。次は本物の囚人生活が待ってるわね。夢で慣れてるでしょ? 経験しておいて良かったじゃない」


 たんこぶを一つつくったくらいではすっきり水に流せそうな気がしなかったので、そう皮肉たっぷりに言ってやっることも忘れない。


 これで本当に終わったのだ。


「くそ、ふざけるな僕だけ……あがっ」

「うるさい、黙れ」


 尚も怨嗟の言葉を喚き散らすフェイス。

 彼の声を至近距離から聞かされてうんざりしていたのか黒髪の女性が物理で黙らせた。

 それを見届け、静かになった教室でツェルトへと向き直った。


「ツェルト」

「ステラ、体調はもう……」


 自分を案じるようなその表情を見て、本当に申し訳なくなる。


「で、良かったのよね名前」

「え……?」


 なぜなら彼は、ステラと何の関係もないにも関わらず危険な夢の中にまでやって来て助けてくれたのだから。


「な、何……言ってるんだよ」


 ここに来てくれた第三者に向けて頭を下げて、心の底からの礼を言う。


「助けてくれて本当にありがとう、そっちの貴方も、本当に助かったわ。同じ学年に見ないから先輩……かしら」


 もちろん黒髪の女性にも礼を言うのを忘れない。

 静まり返った教室の中にステラの声はよく響いた。


「そういえば貴方、夢の中で私の名前呼んでたわよね。それに、よく知ってるみたいな口ぶりで……」

「え……え……、ステラちゃん。何言ってるの。冗談きついよ」

「冗談? 何の事?」


 ニオが引きつった表情でこちらを見てくるが、心当たりのないステラは首をかしげるしかない。

 どこか怯えるような表情でツェルトがこちらに声をかける。


「す、ステラ……」

「何?」

「俺のこと、覚えてないのか」


 と、いうことは顔を合わせた事ぐらいはあるのだろうと、ステラは解釈した。


「私と貴方って、どこで会ったことあるの?」


 ステラは悪夢から解放され、フェイスも牢に入れられることになった。

 全てが終わったのだ。


 けれど、それはステラの見ている世界では、だった。


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