第25話 翻弄される心



 それからステラの囚人としての日々が少し経った頃だ。


「おい貴様、牢を出ろ」


 変化が起きた。

 ツェルトに言われてステラは一人だけ牢屋を出される。

 いつもと違う出来事。その事にわずかに不安を抱いた。


「どこへ連れていくつもり?」

「黙って歩け」


 質問するが、ツェルトに説明する気はないらしくただ黙々と歩みを進めるのみだった。

 しばらくしてつれて来られたのは、何に使うのか分からない大小形の様々な用途不明の器具が並べられたとある一室だ。


「ここは……?」


 部屋の中にはずらりと並ぶ白衣の人間達。


「ご苦労だった。これが今回の被験体か」

「はい、そうです」


 白衣の集団の一人と、ツェルトがそんな会話をする。


「体力、精神力ともに申し分ないはずです。期待に必ず添えるでしょう」

「っ!」


 ツェルトの放ったその言葉に、ステラは顔色を変える。

 ここで行われることに想像が至った。恐らく彼らは、決して表に出せないような非人道的な実験を行うために、自分を利用するつもりなのだ。

 ステラは今、その犠牲者になろうとしている……。


「―――っ!」


 置かれた状況を認識した途端、身を翻した。

 だが、逃げ出そうとする事が分かっていたらしくツェルトに腕を掴まれてしまう。


「離して!」

「生意気なお前がどんな顔をしてくれるか興味があるからな、大人しく実験につきあってもらうぞ」


 振りほどこうとするのに、何故か一向にこちらの力が通じない。

 碌に抵抗する事もできず、ステラはそのまま白衣の集団の前に引きずられていく。


「いやっ!」


 並べられた実験器具。室内灯の光を受けて反射するその輝きが、途方もなく恐ろしい。

 懸命にそこから逃れようとするが、その体はまるで見えない力に押さえつけられでもしているかのように動かせなかった。


「いや……っ、やめて!」


 部屋の中央に置かれている冷たい台の上に寝かされて、四肢を押さえつけられる。

 肌を切り裂くためのナイフが目の前に掲げられて、鈍い輝きを放つ。

 喉の奥から引きつった悲鳴が洩れそうになった。


 魔物と戦って怪我を負う事はあったけれど、それはこんなに怖い思いをするものではなかった。

 剣もない、戦うために動く事すらできない。何をすることもできない。

 成す術もなく、彼らの実験道具として使われる未来に想像が至り、ステラの心は生まれて初めてこらえきれない程の恐怖の感情に埋め尽くされた。

 これなら戦場で命のやりとりをしていた方がまだましだった。


「助けて……」


 ツェルトの顔を見ながら必死に頼み込む。


 冷酷非道な看守。

 どうしてステラはそんな人間に、こんな事をしているのだろうか。

 わけが分からない。

 自分が今思ってるような行動を彼がとるなんて、ありえないはずだった。


 けれど。

 それでも期待している自分がいるのだ。

 彼ならきっと……最後には、一番危ないときには助けてくれるのではないか、と。


「お願い、ツェル……ト……」


 非情な未来への不安と、圧倒的な恐怖、襲い掛かる感情の波に揺らぐ自分の心。

 目の端を一粒の涙がこぼれて言った。


 だがツェルトはそんなステラを見下ろし、切り捨てるように言葉を放つ。


「お前はここで死ね。……ステラ・ウティレシア」

「―――っ!」


 息を呑む。

 彼は自分の死を望んでいる。

 そう、はっきりと告げられてしまった。


 絶対絶命の状況にいるにもかかわらず、ステラの体から力が抜けていく。

 抵抗する気力が消えていく。


 心の奥底にある、何か大事なものが砕けてしまった。

 そんなような気がした。

 そこに……。


「ステラ!!」


 もはや、成す術もなく非道の手にかかるのみとなったステラの元に駆けつけてきてくれたのは、フェイスだった。

 彼はステラを守るように傍に立ち、敵に向けて剣を突き付けた。


「もう大丈夫だ、ステラ。僕が必ず君を守る」





 フェイスは強かった、ツェルトを倒して私をこの部屋から救い出してくれたのだ。

 彼はそうだ、いつだって私などよりも何倍も強くて、どんな脅威も簡単に跳ね除けてしまう。


「ステラ、君が無事でよかった。このままここを出よう」


 彼に手を惹かれて、建物の中を走る。

 どうしてここにとか、どうやってとか、これからの事なども色々考えなければいけないような気がしたが、今のステラはそれら全てどうでもいいような気になっていた。


 彼と一緒にいられればそれでいい。大丈夫だ。

 彼といられればそれでもう怖い目にわなくてすむ。

 彼さえ隣にいてくれればもう……。


 ステラの心は温かい泥沼の中へとゆっくりと沈んでいくようだった。

 けれど、それを不快と思うことなどなく、むしろ心地良いとさえ思い始めている。


「どこか遠くに逃げよう。そして二人で一緒に暮らすんだ」

「……そうね。そうしましょう」


 フェイスは足を止めてこちらを見る。

 ステラを映す優しげな瞳が、ゆっくりと近づいてくる。


「ステラ、僕の瞳を見てくれ」


 言われてステラは彼の目を見つめる。

 ずっと私を見つめてくれた彼の瞳。


 その瞳に心がとけていきそうになるのを感じる。

 彼と一緒にいられるなら、それは紛れもない幸福だ。

 このままずっといつまでも一緒にいたい。


「ステラ、僕の隣に来るんだ……、そして僕の物に……」


 フェイスが顔を近づけてくる、ステラは彼の口づけを受け入れようとして……。


「ステラ?」

「あれ、どうして」


 自分が泣いている事に気が付いた。

 わずかに胸の内でわずかに何かが軋む音がする。


 この感覚は一体なに?


 理解できない感情に翻弄されるばかりのステラの耳に声が聞こえた。


「ステラぁぁぁぁぁぁ――――――!」


 それは聞きなれた男の、心を切り裂くような絶叫だった。


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