第2話 幼なじみがウザいです



 ウティレシア領 屋敷内


 そして……。

 あのカルル村での人質事件から五年が経った。


 鳶色の髪にいたずら好きそうな輝きを宿す紫の瞳をした少年、ツェルト。

 友達になったそんな彼が毎日のようにステラの家に遊びに来るようになって五年だ。

 ステラ・ウティレシアは現在十二歳である。


 ステラはこの歳まで、病気に悩まされる事も大きな怪我を負う事もなく、すくすく健康に育ってきた。幸いな事だろう。

 ただ最近は悩みがあった。

 その友達になった少年……ツェルトの、癖というか習性というか生態についてだ。


 屋敷の廊下を歩いているとツェルトがやって来て、こちらに挨拶する。


「へっへーん、今日のステラの色は白!」

「きゃあああっ、何するのよ馬鹿っ!」


 これが彼の挨拶だ。

 それがステラの悩みである。


 後は、日課のお勉強をしていると、隣で騒ぎ始める。


「ステラステラステラー、遊ぼうぜー」

「静かにしてちょうだい、今勉強中だって言ってるでしょう」

「勉強なんて後でいーじゃんかー。あそぼうぜー、な、な?」

「もうっ!」


 かまってちゃんだった。

 それもステラの悩みである。


 そして極めつけは、何か面白そうな物を見つければ積極的に手を出す事。


「隙あり!」

「あ、それはステラお嬢様の物ですよ。ツェルト様、返して下さい」

「やだよー」


 使用人達も困るいたずら好きだ。

 そんな行動がステラの悩みであったりする。

 毎日が毎日こんな感じだ。


 悩んでいる。


 もうちょっと大人しくできないの?


 そう注意したこともあるけど、彼は聞く耳持たず。

 ずぅーっと、この調子だ。


 普通なら一般市民がこんな貴族の屋敷に来ようものなら、ひたすら縮こまるだけなのに。

 何がそうなって彼に自分を貫かせるのか、ステラにはさっぱり分からない。


「こういうのなんて言ったかしら、ウザイ?」

「お、何だ何だそれ、また新しい言葉を開発したのかステラ?」

「ええ、うっとおしい人間のことを今日からウザイ人って言うことにするわ」

「ステラって、どうやってそんな言葉思いつくんだ? すごいな」

「ツェルト……、単語に対する反応はないのね」


 そんな毎日を振り返って、本人を前にウザイ発言をするのだが、彼にはちっとも堪えた様子がない。

 まあ、この世界には無い言葉だからピンときてないのだろうけれど。





 ステラは五年前の七歳のあの時、前世の記憶を思い出していた。

 だが、思い出したといっても、突然別人になるわけではない。

 急に違う言葉で喋りだしたり、別の行動をしだしたりする事なんてないし、家族によそよそしさを感じるわけでもない。


 例えて言うなら、前世の自分が記された一冊の本を音と映像付きで見た、そんなような感じだろう。

 始めはどうなるものかと思っていたが、思ったより影響がなくて子供心ながらほっとしたのを覚えている。


 だから、ステラ自身に今のところは取り立てて影響があるわけではなかった。

 日々をごくごく普通に過ごせている。


 普通に。

 ……普通に?





 ステラの私室には二人の人間がいた。


「ふぅ」


 勉強終了。

 ノートを閉じて筆記具をしまい、私室で長時間同じ姿勢でいたステラは伸びをしながら息を一つつく。


「おっ、終わったのか」


 途端に部屋の中で退屈そうにしていたツェルトが、目を輝かせてこちらに尋ねてきた。


「ええ、いつも通り、打ち合わせしましょう」

「よっしゃあ!」


 そしてステラの勉強後、二人は部屋に置いてある木剣を手に中庭へと出ていくのだ。


 これはあの事件からの些細な変化だ。

 名のある貴族の家に生まれたからには、この先もあんな事がないとは言いきれない。

 護衛に頼るだけというのは心もとなく思えたし(一応連れていたのだが最後まで役に立たなかった)、彼らには悪いがその力が振るわれなかったのがあの事件だ。

 なので、ステラは今度同じ様な事が起こった時のため、ツェルトに訓練をつけてもらう事にしたのだ。


 屋敷にある中庭に出て、互いに木剣を構える。

 向かい合うツェルトの姿は、けっこう様になっていた。


「じゃあツェルト先生、よろしくお願いします!」

「先生かぁ、まぁいいけどな。よしやるぞ!」


 一瞬微妙な顔になったツェルトだったが、すぐに表情を引き締めてこちらに打ち込んでくる。

 その表情は今までのふざけた態度が一変して真剣だ。

 ステラはその態度に答えるように一心不乱に木剣を振り回した。


 こんな些細な変化もあるが概ねは、ツェルトが友達になったことも含めてもそう変わらない普通の毎日を送っている。


 これからもこんな日々がずっと続いていくだろう。そう思っていたのに。


 変化は訪れる。

 それは後から思えば、これから続く騒乱の日々の前触れのようなものだった。





「お母様、お客様が来るの?」

「ええ、そうよ。だからきちんと挨拶をしなきゃいけないわ」


 その日の夕食の席での会話だ。

 母から来客のことを聞いた時、ステラは礼儀や作法、言葉遣いなどの勉強を一通りこなしておいて良かったと思った。ツェルトがしょっちゅう後ろで煩くしているが、乗せられなくて本当に良かった。


「どんな人?」

「そうねぇあんまり良い人ではないと思うわ。ツェルト君は顔を出さない方がいいかもしれないわね」

「そうなの?」

「それと、もしそのお客様が何かを言ったとしてもステラは、気にしなくてもいいのだからね」

「……うん」


 若干引っかかる様な言い方だったが、それ以上詳しく言いたくないような雰囲気だったので、ステラは自分からはその事には触れなかった。

 気になることはあったが、難しいことを子供の自分が考えても仕方がないだろう。

 ステラは真面目に来客が来るという日付までに勉強の復習をしっかりしておく事にした。





 そんな事があった日の翌日。


「何だよそれ、つまんねー。せっかく午後から遊べると思ったのに。みょーんみょーん」

「といいつつも私の髪で遊ぶのはやめて」


 勉強机に向かうステラの背後で、ツェルトは不機嫌そうにステラの背後に立ち、こちらの髪を引っ張ったりくるくる巻いたりしている。


「いいじゃん減るもんでもないし。だってステラの髪って、何かサラサラで触ってると気持ちいいんだよ」

「髪は減らないでしょうけど、私の気が散るの。集中力が減るの。もう……」


 ため息をつきつつもステラはそれを止めさせようとはしなかった。約束していた遊びが出来なくなってしまった罪悪感もあるので、強くは断れないのだ。だから調子に乗っちゃうのかも、とも思うが。


「お客さんが来る日には絶対顔を出さないでね、お願いだから」

「えー、何でだよ」

「遠くからこっそり見てるのも駄目よ」

「えっ、何でばれたんだよ」


 ステラが相手にできないという彼のストレスを、肝心の日に爆発させないように釘をさしておく。


 貴族の中には平民に良い感情を持っていない人間もいるのだ。

 そんな人の前に調子に乗ったツェルトが出て行った先の事を、予想できないほど付き合いが浅いわけではない。


「ツェルトに嫌な思いをさせたくないの。だからお願い」


 彼の性格だ。

 きっと意図しなくても、失礼な事をしてしまったり言ってしまったりで相手を怒らせてしまう事になる。

 そうはなってほしくないから、ステラはできるだけ真剣に見えるように言葉をかけた。


「ちぇ、分かったよ」


 ツェルトは騒がしいし、ウザイし、かまってちゃんだし、いたずら好きだけど、ちゃんと言えば分かってくれる人間だ。


「ありがと」


 その事に、ステラはほっと胸をなでおろした。



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