先生には、ナイショ⑥-2


 三年後、また蜜柑の花が咲く頃。



 島の浜辺は長さがあるのが特徴で、ずっと続く波打ち際で、彼女と息子が遊んでいる。


「貴晴。ここでパパも遊んだんだって。どう、お水怖い?」


 まだ小さな息子をだっこして、足先を波にちょんとつけさせて、反応を見ている。

 五ヶ月になろうかという息子は泣くかと思ったが、ママと一緒にいるせいか、じっと打ち寄せる波を見つめているだけ。

 裸足で一緒に傍にいる晴紀も「おまえ、怖くないのか。すごいな」とぷっくりほっぺたをつついて笑った。


 陽射しが強くなってきた五月末、まだ蜜柑の花の香りが少し残っている。


「たっくんもいつかシュノーケリング連れていきたいね。絶対に絶対に島の子だから見せておきたいもの」


 波打ち際で貴晴をだっこする美湖が笑う。留学を終えて、シアトルからこの島に家族で帰ってきたばかり。ようやっと診療所の引き継ぎと日常の暮らしが落ち着いてきて、今日は親子三人で浜辺でピクニック。


 少し伸びた黒髪を潮風になびかせ、波打ち際で裸足、すらっとしたパンツスタイルで小さな息子をだっこして陽射しを浴びている美湖、すっかり奥さんになっていて、晴紀は目を細めた。


 レジャーシートにパラソルを立てたそこへと美湖が向かう。

 そこに親子三人で座って、水分補給をする。今度は晴紀が息子をだっこする。

 日陰で落ち着いて、静かにふたりで島の海をみつめた。長い浜辺の海水浴場は夏になると人でいっぱいになるが、いまは初夏、人もまばら。島の子供達がおなじように波打ち際で遊んでいる。


「あ、あの子達。大きくなったね」

 美湖が見つけたのは、婚約指輪を彼女に贈った時に見届けてくれた子供達だった。

「もう中学生だってさ」

「ええ、嘘! 三年て、子供達をあんなにおっきくしちゃうの!?」

 その中には男子と女子のふたりで、熱い視線を交わすカップルも見えた。

「ませてんな」


 晴紀が笑うと、美湖もびっくりしてじっと見ている。そして晴紀の膝の上で大人しくクラッカーを食べ始めた貴晴をじっと見ている。


「たっくんも、あっという間にあんなふうになるのかな」

「なるだろな」

「ハル君みたいに、かっこいい男の子になってくれるのかな」

「夫を男の子というのはもうやめてくれよ」

 今度は彼女がじっと晴紀を見る。

「まだぜんぜん若いもんね」

 羨ましそうに、まだ三十代を迎えたばかりの晴紀を見ている。


「夫がずっと若いのもいいだろ」

「えー、そうかな、だって……」

 また減らず口が始まったと、晴紀はこっちを見つめていた美湖の頭も自分へと抱き寄せ、口元をふさいだ。


「も、……ハル……」

 ずっと奥まで深く、長く愛した。

 あー、また。ハル君とセンセが!

 遠くから子供達の声が聞こえた。

 でも今度は晴紀がやめない。美湖のくちびるを吸って、吸って……、奥まで捕まえるようにして深く長く愛した。


 ようやく離してやると美湖がやっと息が出来たとばかりに深く吸って、驚いている。


「もうハル君、ここ日本!」

「別にいいじゃん。俺、もう平気だもんな」


 婚約指輪を贈った時、美湖がキスをしただけで戸惑っていた晴紀だったが、アメリカで周りの雰囲気に染まるように人前でもキスをすることに慣れてしまった。


「ほら、あの子達がこっち見て騒いでるじゃん」

「いいんじゃないか。将来の見本だよ見本」

「もう、堂々としちゃって」


 それでも美湖が『おやつあるからおいで』と子供達に手招きをしている。

 久しぶりで戸惑っていた子供達だったが、懐かしい美湖先生の声かけにこちらに向かってくる。


「うわー、先生。アメリカで産んだてほんとうだったんだ」

「かわいいー。ハル君、だっこしてもいい」

 大きくなった顔見知りの子供たち。パラソルの下で賑やかになる。

「ハルおじ、さっき、センセに平気でキスしていただろ」

「見ていたんだからな」

「アメリカに行く前は、美湖先生がちゅっとしただけで怒っていたよね。ハル君」

 やっぱり覚えてくれていたんだと、晴紀と美湖は顔を見合わせた。

「アメリカで平気になってしまった。もうそこらじゅうでキスしているし、人前でもぜんぜんOK」


 あの時、怒っていたのが嘘みたいと子供達が騒いだ。


「あ、先生。あの時の指輪してる」

 女の子たちも見覚えある美湖の指先に騒ぐ。

「うふふ。アメリカで素敵ってよく言われたの」


 結婚指輪もしているが、美湖はそのパールリングも休日にはよくつけてくれる。

 いいな、しあわせそうで! いちゃいちゃすんなよ! また子供達にからかわられる。


「おーい、貴晴ーー」

 浜辺の上にある道路からそんな声。

 そこには美湖の父、博が立っている。そして晴紀の母、清子も。


「あ、お祖父ちゃんが来たよ」

 美湖の父が定期で来てくれる日だった。

 ポロシャツ姿の博先生が浜辺を急ぐように降りてくる。

 パラソルがあるところまでやってくると、もうお祖父ちゃんは感激の顔。


「おー! 貴晴、おっきくなったなあ」

 美湖が出産する時に、御殿場の美湖の両親がシアトルまで来てくれた。その時、以来の孫との再会だった。

「まあ、みんな、大きくなったわね」

 美湖と晴紀を囲んでいた近所の子供達を見て、清子も嬉しそうに微笑んだ。


「お父さん、ご苦労様。私が留守の間、診療所を見てくれてありがとう。来てくれた横浜の先生もお父さんがいてくれて良かったと言っていたよ」

「これからも、祖父ちゃん、島通いを頑張るぞ。どれどれ、だっこさせてくれ」


 もう、ほくほくのお祖父ちゃん顔で、博先生が産まれて以来再会の貴晴をだっこする。


「おー、久しぶりだな、この感触。御殿場の孫はもう大きくなったからな。貴晴はどっちになるのかな。医者か船乗りか?」

「もうお父さんたら。選ぶのは貴晴で、なにを選んでもいいんだからね」

「わかってる。でもな……、祖父ちゃん、貴晴の白衣とか貴晴の船乗り制服とか、わくわくするなっ」

「うふふ、私もですよ」

 母の清子までにこにこ嬉しそうに貴晴の顔を覗き込んでいる。


 パラソルの下は家族と島の子で賑わう。

 初夏の鮮やかな青、光、潮の香。

 晴紀を育ててくれたなにもかもがいまここにある。


 センセ、先生がこなかったら、これはきっとなかった。

 瀬戸の青色にとけ込む妻になった彼女を見て、晴紀はいつも思っている。


 センセ、ありがとう。

 そんな素直な言葉もまだナイショ。またいつか。


 ◆ 先生には、ナイショ 完 ◆




番外編までのお付き合い、ありがとうございました(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ

また次の連載でお会いしましょう♪

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先生は、かわいくない 市來 茉莉 @marikadrug

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