18.遮二無二まっすぐ、潮の風
ハルがクルーザーで到着したのは、市街の港。
この前ハルが運転していたHUMMER(ハマー)に乗せられ、辿り着いたのは、地方都市の郊外片隅によく見られるラブホテル。
肌にべたついた潮をシャワーで流し、その後、バスタオルを巻いた素肌で向きあった。
張り詰めていた。海の上で男と女を解放してから、いまからなにをするかをわかっているから、いつものかわいげのない強がりで茶化すこともできない。あのままのテンションと空気を保って保って、ふたり一緒、ほぼ無言でここまできた。
なんともいえない緊張感のまま入った部屋は、優しいアイボリーにまとめられた明るい部屋で、開いている窓の向こうには遠く島と港が見えた。
潮の匂いは窓辺から。彼の匂いは清々しい肌から。自分の匂いはわからない。
「センセ、美湖さん……。俺も、どうなっても美湖さんのことは絶対に忘れないから」
言っていることが、これから先、別れてしまうようなことを匂わす言葉であることに、美湖は気が付いてしまう。
また胸に痛み。晴紀の気持ちもわかってしまうから。
「先のことなんて知らない」
そういって美湖は自分からバスタオルをといて、落とした。
五年もつきあった男には平気になっていたことが……。今日は自信がない。男に初めて裸を見せる時の、恐ろしいほどの緊張がこんなものだったなんて。ハルの目が見られない。美湖は顔を背けて、片手で胸元を隠しそうになった。
その手を晴紀に掴まれる。彼の顔を見上げようとしたのに。その時にはもう美湖は真後ろにあったベッドに押し倒されていた。
のしかかってくる男の身体、重くて胸が潰れそうで、でも熱くて、その匂いにクラクラしてきた。
男って男ってこんなだった? こんな時なのに、五年の男との暮らしを思い返してしまいそうだったが、晴紀がそうさせてくれない。
「美湖サン……、美湖センセ」
逞しい胸元の下に組み敷いた女の頭を狂おしそうに撫でながら、晴紀が海でそうであったように熱くて深いキスをしてくれる。
美湖の中にあった羞恥心も初めての男との緊張もなにもかも砕けた。
日に焼けた晴紀の首に腕を絡めて、押されるだけでない、美湖も自分から唇を押しつけて一緒に吸う。
キスの音がこんなに激しくて淫靡なもので、こんなに熱くてとけてしまうものだなんて知らない、美湖はそう感じている。だから頬が熱くなって、心臓の脈が速くなる。
息が上がって苦しくなったところで、晴紀の唇が美湖の肌を愛し始める。
首元のキスの強さにも美湖は少し驚いて、それどころか鎖骨のあたりにされたキスも、胸に近づいていくひとつひとつのキスが強い。
いままで何人かの男とつきあったけれど、こんなに強いのは初めてだった。しかもそのキスがついに乳房の頂きに施される。強く強く施される印。
「……っい、」
痛い、そう思ったのに。痛い? 美湖はうっすら目を開けながら、初めて、それが痛いのにとてつもなく甘い痛みとして受け入れていることに気が付く。
そんなに夢中に遮二無二なられると、美湖も愛おしくてたまらなくなる。だからその痛みが切なくて熱い。
「痛い? センセ……、ちょっと、俺……がっついたかな」
少し勢いを抑えた晴紀が今度はそこをゆっくり優しく愛し直した。もう、それだけで……、それだけで、美湖の目に熱い涙が滲んでいた。
意地悪したり優しくしたり。晴紀そのものだった。美湖も手を伸ばして、胸元で愛撫ばかりしてくれる晴紀の黒髪を撫でた。出会った初夏のころより、少し伸びた短めの髪。
「痛くないよ……、もっとして。忘れないようにして」
力なく呟くと、また晴紀がこの上ない真顔になる。
これは若さなの、それとも晴紀という気が強い青年だからなの。絶対に絶対にこの痛みを忘れさせないとばかりの口吻の数々は、柔肌にきっと痕を残す。美湖の記憶にも痕を残すはず。
こんな、こんなセックス。こんなふうに強く痛く感じさせられるのは初めてで、美湖は若干戸惑っている。
日に焼けている肌、逞しい胸と腕の筋肉と、滑らかな身体の線。夏の海の男。いままで出会ったことがない男だった。しかも、力いっぱい美湖にぶつかってきてくれる。すれ違いも、気持ちも、労りも、キスも愛撫もなにもかも。
「センセ、美湖……、センセ」
こんな時にセンセて言わないで。そう言いたいのに、ずっと耳元でセンセと美湖を繰り返す晴紀の熱い囁きを止められない。
晴紀の眼差しもいつもと違う。でもあの黒い瞳でまっすぐに美湖の肌を、美湖の目を、美湖の唇を見つめてくれて、長いまつげを美湖の肌に触れさせて無我夢中で愛してくれる。
おかしい。私、セックスなんてもう感じられないと思っていた。だから、だから、しなくなった。まだ自分がこんなにも激しくなれる女だなんてと、美湖は驚愕している。男はもう必要ない。そう思えていた。でも違うじゃない。違う。こんなふうに、身体じゃない、気持ちが心がこんなに熱くしっとりとかき乱されて、いま晴紀にされているなにもかもが甘くて熱くて痛くて、堪らない。
晴紀が最後まで美湖を愛しぬくその時、また窓辺から潮の匂い、でも匂いだけ。海の色も風もいまはかんじない。晴紀しか見えなかった。
気が戻った時、ベッドで寝そべっているそこで美湖は青い海をやっと感じる。
真っ白な午後の光だけれど、優しい風がこの部屋にはいってくる。
「先生、泣いている」
あんまりにも真っ直ぐで熱い愛し方をされて、感じたことがない体験をして出てしまった涙だった。
それを美湖の身体の上でくつろいでいた晴紀が気が付いて、そっと長い指で拭ってくれる。
「涙は、涙腺で作られる血液でね、成分はほぼ水分。ほかにタンパク質、リン酸塩、ナトリウム、感情的に流れた涙にはホルモン……」
晴紀がきょとんとした顔に。つらつらと訳のわからないことを言いだした美湖を見つめて、最後には美湖の肩先にがっくり頭をうなだれる。
「センセ、わかったから。わかった。先生がいまちょっと動揺しているって……。でも、医者目線はいいから。かわいくなくていいから、それやめて」
湿った素肌を重ねている男と女だったのに。いつもの自分達に戻ってしまって、一緒に見つめると笑ってしまっていた。
晴紀が安心したようにして、また美湖を下にしたまま、愛おしそうにキスをして黒髪を撫でてくれた。
美湖もそのまま目をつむってそのキスに甘えてしまう。
港の色が夕の濃い青に変わるまで、その部屋でふたりで愛しあった。
素肌で抱き合って、またいつもの口の悪いやりとりをして笑って、また気持ちが高まってキスをすると、肌を擦りあわせて男と女として結んで……。
暗くなる前にクルーザーに乗って島に帰らなくてはならない時間になって、やっとそれぞれシャワーを浴びて身繕いをする。
晴紀がシャワーを浴びている時、美湖はタンクトップとショートパンツの水着を着てパーカーを羽織る。メイクはもう諦めた。晴紀にしっかり間近でみられてしまったから。
急に美湖は我に返り、頬を熱くしていた。
結局、自分もきもちのいいセックスできるし、欲しかったし、できたじゃない。
若い男の真っ直ぐな求愛、それを真っ正面から受けた女。
「センセ、大丈夫?」
ベッドの側で佇んでひとり考え込んでいるところで、晴紀がシャワー室から帰ってきた。
下半身にだけバスタオルを巻いた晴紀が美湖のそばにやってくる。
大丈夫? なんて聞く晴紀の心の奥底にある気負いを感じてしまう。
「なんで。私が落ち込んでいるように見えた?」
つい口悪い言い返しをして、美湖はしまったと後悔する。
「いや。俺なんかと、と思って」
そう聞いて、そして言わせてしまい、美湖の胸がまた痛くなる。
「これっきりってこと……?」
晴紀が背を向けて黙っている。美湖の目の前でも堂々とバスタオルを取りさる。男らしい肩と背中とお尻を堂々と見せて、でも彼もスイムウェアを手にとって身につける。
まだ黙っている。
「……俺、先生にずるいことしたから」
ずるいこと? 美湖は首を傾げる。こんなふうに素敵に愛してくれたし、さりげなく、これからも仕事を続ける美湖に何事もないよう男としても気遣ってくれた。
「ほんとうは先生を抱いたりする資格なんかない男なんだ。でも、一度だけ。どうしても、一度だけ……」
つなぎのスイムウェアを肩まで包み終えた晴紀が、胸元のジッパーは開けたまま、美湖を見た。
「一度でいい。先生が許してくれるなら……。抱きたかったんだ」
じんとしてしまう。また美湖の目が熱くなって、胸がじんとしてどきどきして。『私、何歳だよ。歳考えろ』と心の中で叫んで……、そうして返したのがやっぱり。
「そうなったじゃない……、資格って。そんなの私が良ければ関係ないじゃない。『美湖先生を抱いた男の資格獲得しました』。おめでとう」
かわいげのない、ムードもない切り返しをしてしまった。また晴紀がものすごい呆気にとられた顔で固まっている。
もう心の中はひとりで大騒ぎ、『バカ、こういうときは大人の女の余裕か、かわいい顔で男に抱きつけばいいのに』と。
しばらくすると、落ち着きたいのか黒髪をがりがりかいている。
「だから。先生、あのな、先生が知っておかなくてはいけないことを言わずに、俺は先生を勝手に、」
「人殺しという話なら信じていないから」
晴紀が美湖へと目を瞠る。顔色も変わってしまった。
「し、知っていたんだ……」
うんと美湖も素直に頷く。でも晴紀が苦悶の表情に変わる。
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