暁に咲く(六)
陳王
「ごく限られた者しか知らないことだけどね」
そこで
「少しは驚いてくれてもいいんじゃないかな」
「驚いてる」
だが、それ以上に
「あなたが陳王だと思っていたのに」
朱圭は目を丸くし、次いで声をたてて笑った。
「それはいい。あながち間違いでもないよ。わたしがいなければ、あの山賊あがりが王を称するまで登りつめることもなかっただろう。そのあたりをわきまえていれば、多少は長生きもできたろうに……」
独白めいたつぶやきをもらす朱圭の両眼に、酷薄そうな光がひらめいた。
「だから、かわりが欲しくてね」
かわりの役者。かわりの人形。それがつまり、
「……
そのとおり、と朱圭は口角を持ち上げる。
「きみの養い親は逸材だ。とうに命運の尽きた
「どうかな」
熱っぽい朱圭の弁をはらうように、子怜はゆるく頭をふった。
伯英が何を望むのかはわからない。だが、この男の語る舞台とやらは、子怜には別のものに聞こえた。舞台ではなく、格子つきの
「伯英は、あなたを欲しがらないと思う」
あなた程度のひとは。
浅黒い顔から笑みが消えた。はじめて、この男の素顔を見た気がした。
「ねえ、きみ」
まばたきをする間に、朱圭は笑みをとりもどしていた。
「最後にひとつ教えてくれないかな」
朱圭はゆったりと腕を組む。その袖には赤黒い染みが散っていた。この男の見張り役をつとめていた兵は、喉を裂かれて絶命していたという。
「置き石、五つもいらなかった?」
逃げる暇はなかった。大きく踏みこんできた朱圭に襟をつかまれ、喉もとにひやりとしたものをあてがわれる。
「惜しいねえ」
のんびりとした声がふってくる。
「きみほど教えがいのある弟子もいなかったのに。でも、いちばん大事なことを教えていなかったね。邪魔な
首筋にちりりと痛みが走った瞬間、子怜は腰にさげていた小刀を抜きはなった。
「おっと」
ふりあげた子怜の腕を難なくつかみ、朱圭は唇をゆがませる。
「慣れないことをするものじゃないよ」
ねじりあげられた右手から小刀が落ちたとき、一陣の風が吹いた。炎のうなりをはらんだ風が。
同じだ、と子怜は思った。あのときと同じだ。ものの焼ける匂い、遠くに聞こえる喚声と絶叫。それから――
目の前の男の胸に、ぱっと朱が咲いた。
――ああ、そうだ。
この色だ。
温かい飛沫が子怜の頬を濡らした。
「……は」
朱圭はぼんやりと己の胸を見おろした。胸の真ん中からのぞいている剣の切っ先と、そこからほとばしる鮮血を。酔っ払いのように二、三歩よろめき、朱圭はどうと地に伏した。
「子怜」
倒れた朱圭の胸から剣をひきぬきつつ、そのひとは名を呼んだ。
「怪我はないか」
ない、と答えると、男はうなずいた。あの夜と同じ、全身を鮮やかな赤に染めて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます