春靄に惑う(四)

「戦って、やっつけちゃえばいいのに」

「そうさなあ……」


 子どもらしい物言いに笑みを誘われたところで、伯英は気づいた。確かに、自分はまるで戦う気がないのだと。


 永忠も文昌も、この事態をどうにかしようと躍起になっている。それを横目で眺めながら、自分はまるで他人事のように構えている。なるようになれとばかりに。


 投げやりともいえる姿勢の理由わけは、自分でもわかっている。あの夜、仇敵を葬ったその時から、伯英は身のうちの空虚を持て余していた。


 ろうに帰ってまずやったのは、家族の墓に玉蘭の花を手向けることだった。こういう場面では仇の首を供えるものなのだろうが、あんなものを持ってこられても困るだろうと思ってやめた。


 終わったことを告げ、待たせたことを詫びた。これからどうしてほしいと尋ねてもみたが、答えは返ってこなかった。当然だ。当然のことを、まだ受け入れられずにいる。おそらく死ぬまで無理だろう。


「伯英」


 細い声で、伯英は物思いから覚めた。


「なんでだろうな」


 本当に、何をやっているのやら。一度失っておきながら、また懲りもせず小さなものを抱えこんで。あげく、それすら手放そうとしている。


「飽きたの?」


 伯英は声をたてずに笑った。つくづく子どもというものはおもしろい。その小さな口から次に何が飛び出すのか、まるで予想もつかないのだから。


「何に飽きたって?」

「戦うのに」


 つと、胸を突かれたような心持ちになった。


「飽きて、好きじゃなくなったから、もう戦わないの?」


 飽きて、好きでなくなった。それはつまり、


「今までは好きでやってたみたいじゃないか」

「ちがう?」

「そりゃ、おまえ……」


 囲棋とは違うと言いかけて、伯英は口をつぐんだ。


 何が違うというのだろう。盤上の戦いと現実のそれと。策をめぐらせ、攻守の機を見さだめ、敵を屠るという点では同じではないか。


「……違わないな」


 智慧をしぼり、相手を出し抜いてやったとき、馬を駆り矛をふりかざし、先陣をきって敵軍に躍りこんだとき、そこにひとかけの高揚もなかったと言えば嘘になる。


「あとは、得意なんだろうな」

「得意?」

「向いてるってことだ。他人ひとよりちっとばかし上手いんだよ、おれは」


 この八年でくぐりぬけた戦いは優に百を超す。勝利のたびに階級はあがり、率いる兵の数は増えた。はじめは気恥ずかしいばかりだった王虎将軍の二つ名も、近頃では敵の戦意をくじくために利用するほどには厚顔になった。


「なら」


 子怜は事もなげに言った。


「趙都督にも勝てるね」


 その言葉は、伯英の胸をたん、と射抜いた。目が覚めるような心地で養い子の顔を見おろすと、綺麗に澄んだ一対の瞳がそこにあった。


 ああそうか、と伯英は思った。


 欲しかったのはこれだった。慰めではなく、ましてや励ましでもなく、ただ単純な肯定と純粋な信頼とが。


 飽いたかと問われれば、まだ、と頭より先に体が応じる。幸い、多少の才もあるらしい。ならばその自惚れのまま、行けるところまで行ってみればいいではないか。


「おまえには敵わんな」


 ひさびさに、腹の底から愉快な気持ちがこみ上げてきて、伯英は養い子の髪をくしゃくしゃにかきまわした。


「伯英」


 さすがに迷惑そうに、子怜が抗議の声をあげる。


「悪い悪い」


 笑いながら、伯英は胸のうちで義弟にも詫びていた。


 せっかく持ってきてくれた潘家の話、どうやら断ることになりそうだと。

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