第六章 暁に咲く

暁に咲く(一)

 深更に出発した一団を見送ったのち、文昌ぶんしょうはいくつかの用事をすませ、そのまま眠らずに明け方を迎えた。


 重い身体と冴えた頭をかかえて城壁の上へ出ると、ひやりとした風が顔をなでた。ふり仰いだ空はいまだ暗く、東の地平近くに痩せた月が弱々しい光を放っていた。


 見張りの兵がこちらに気づいて姿勢をただす。それに目顔で応じつつ、文昌はあたりを見わたした。


 探しものはすぐに見つかった。城壁上に設けられた物見の望楼に、ずんぐりとした人影があった。もうひとつあるはずの華奢な影は、大柄なその男の背に隠れているのだろう。


 梯子をつたって望楼にのぼると、蘇丁そていがうやうやしく、そしていつものように無言で迎えてくれた。その横で柵にもたれていた少年は、目線だけをよこしてくる。


「夜どおしここに?」


 尋ねると、子怜しりょうは黙ってうなずいた。


「それは大変だったな」


 蘇丁が、と文昌が口の中でつぶやくと、寡黙な護衛役はゆるく首をふった。自分は大丈夫だと言うように。


「しばらく休むといい。ここはわたしが代わろう」


 蘇丁は遠慮するようなそぶりを見せたが、文昌がかさねてうながすと、一礼して梯子を降りていった。


 ふたりきりになったところで、文昌は子怜の隣に立ち、眼下に流れる璃江りこうを眺めやった。


「きみが来てから、伯英はくえいどのは少し変わったようだ」


 返ってきたのは沈黙だった。もとより返事は期待していない。文昌はかまわずつづけた。


「わたしはね、あの男を討てば、すべてが終わると思っていた。もともと、われらが兵を挙げたのは、あの男に報いを受けさせるためだ。それさえ果たせれば、われらは戦と無縁の暮らしにもどるのだろうと」


 だが、文昌の予想もしくは願望とは裏腹に、義兄にほこをおく気はないらしかった。いつかの県丞の懇請に心をうごかされたせいかもしれない。王家軍の旗のもとに集まった者への責任を感じているためかもしれない。あるいは、


「伯英は、やめないよ」


 ぽつりと子怜がつぶやいた。


「好きだって、得意だって言ってたもの」

「……それを気づかせたのが、きみというわけか」


 かたわらの少年に眼をやれば、艶やかな瞳がじっとこちらを見返していた。


 綺麗な子だ、とあらためて文昌は思った。ただ顔立ちが整っているだけではない。この少年の眼差しには、見る者の心をかき乱す何かがある。


「文昌は」


 少女のような朱唇が己の名をつむいだ。


「ぼくが邪魔なんだね」

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