君に捧ぐは花燈籠(六)

 ――まったく、なんだっておれがこんなこと。


 迅風じんぷうは胸のうちで、この夜何度目かの悪態をついた。


 まったくもって忌々しい。この自分が、王家軍でも古株の、王虎おうこ将軍の右腕とまで呼ばれている――実のところ、そう称えられたことはないが、口に出さないだけで皆心の中ではそう思っているに違いない――このりょ迅風さまが、よりによって子守をしながら祭り見物とは。


 問題の子どもは、迅風の隣で串にささった飴がけのあんずをなめていた。膝の上に、先ほど迅風が買ってやった花燈籠をのせて。


 紅と金の房飾りがついたそれは、間違いなく店先に並んでいた中で一番派手で、当然値段もそれなりだった。だが、当の少年は、まるで嬉しそうな顔を見せなかった。だったら買い与えなくてもよかったのだが、一度買ってやると言った手前、引っ込みがつかなかったのだ。


「うまいか、それ」


 子怜しりょうはこくりとうなずいた。黙っていればたいそう愛らしい少年だ。黙っていれば、のところが肝心である。この可愛らしい唇は、どういうわけか可愛げのない言葉しか紡げないらしい。


 なのに、昼間訪ねてきた県丞けんじょうには随分と気に入られたようである。あの、迅風の顔を見るたびに、頼むから悪さはせんでくれよ、などと憎たらしいことしか言わないおっさんが、小遣いまでくれたというのだから、けしからん話だ。


 それ以上にけしからんのは、おまえ小遣いもらったらしいな、と子怜に声をかけたら、欲しければあげる、と真顔で銅銭を差し出してきたことである。


 あのとき、かっとなって子怜の頭をたたいてしまったのが運の尽きだ。たまたま通りかかった兄貴分に倍も殴られた上、祭りの間のお守りまで厳命されてしまったのだから。


 その伯英は、文昌とともに近くの酒楼にいる。酒楼の二階から伯英を見つけた大家の主人が、ぜひとも王虎将軍に杯を差し上げたいと強引に招いたのだ。


 伯英は気が進まない様子だったが、文昌に促されてしぶしぶうなずき、一杯だけという約束で酒楼に入っていった。あとに残された迅風と子怜は、広場に並べられた長椅子の隅で二人の帰りを待っているといった次第である。


 兄貴も大変だなと同情しつつ、街の有力者に頭を下げさせる兄貴分を持っていると思うと鼻が高い迅風である。が、自分は置き去りの上、子守まで言いつけられたとなれば、


 ――おもしろくねえ。


 迅風は舌打ちを呑みこんで隣を見た。飴を食べ終えた子怜は、ぼんやりと周囲を眺めている。その顔を覆っているのは、冥府の獄卒を模した面だ。


 春のこの時期だけ、休みをもらえるという獄卒たち。その間は、死者の魂も故郷に帰ることを許される。花燈籠は、故人の魂を迎える目印だ。


「喉かわかないか」


 迅風が訊ねると、子怜は曖昧に首をかしげた。これだ、と迅風の苛立ちに拍車がかかる。はいいいえか、はっきりしない態度は迅風が最も苦手とするものだった。


「おれはかわいた。酒買ってくるわ。おまえどうする。なんかいるか?」


 立ちあがった迅風を、子怜は無言で見つめるだけだった。もう知るか、と迅風は胸のうちで吐き捨てた。


「ちょっと行って買ってくるから、おまえはここにいろ。すぐそこだから、何かあったら呼べよ」


 早口でそう言うと、返事を待たずに迅風は近くの屋台へ向かった。酒と、子怜のための甘い梅湯を買い、もとの場所にもどるまで、ほんのわずかな時しかかからなかった。


 その間に、少年の姿は広場から消えていた。


「あの野郎……」


 どこ行きやがったとあたりを見渡したところで、地面に転がってる花燈籠が目に入った。その紅い房飾りに踏みにじられたような跡を認めた瞬間、迅風の手から杯が落ちた。


「子怜!」


 呼ばわる声に、応える者はいなかった。

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