薫風は南より(八)
養い子をくれないかと持ちかけられた
「あんた、まさか」
「あ、違います」
朱圭は顔の前でひらひらと手をふった。
「わたし、そっちの趣味はありませんので。やっぱり女のひとがいいですね。できれば年上で、色白でふくよかな、こう、腕のあたりがもっちりしているのなんかが最高に……」
放っておくと当人以外興味のない美女談義を延々と垂れ流されそうだったので、伯英は「だったら」と強引にわりこんだ。
「なんで
「なんでって、そりゃあ見どころがありますから」
「見どころ?」
「ええ。あなたも気づいておられるでしょう。あの子は賢い。それもずば抜けて」
昼間、この男は子怜と囲棋の対戦をしたのだという。
「ひさびさに冷や汗をかかされました」
「負けたのか」
「勝ちましたよ。わたしにだって意地というものがあります」
「置き石いくつで」
朱圭は片手の指をすべてひろげてみせた。つまり、おれよりこいつのほうが上か、と伯英は若干のくやしさを覚えた。
「ですが、かなりきわどかったですね。あの年でたいしたものです。しかも、あの子は囲棋をはじめてまだ日も浅いというではないですか。間違いない。あれは天賦の才です」
「あんた、あいつを囲棋打ちの名人にでもしたいのか?」
「いえ」
朱圭は口の端をつりあげた。
「軍師に仕立てたいと思っております」
軍師。あるいは謀士という。その智略をもって将を助け、戦を勝利に導く者。
「囲棋は、盤上の戦です。敵の胸中を量り、布陣を整え、よく攻め、よく守る。誰に教わるでもなく、あの子は息をするようにそれをやってのけている。あの才を囲棋だけに留めておくのは、あまりに惜しいというものですよ」
「ちょっと待て」
伯英は口をはさんだ。
「囲棋の才があるからといって、いい軍師になれるとは限らんだろう。実際の戦場は、盤上とは違う」
「ごもっとも。ですが、試してみる価値はありましょう。万一ものにならなくとも、別の道で身がたつよう世話をしてやるつもりです。どうです、悪い話ではないでしょう」
たしかに、悪い話ではなかった。都督の側近である朱圭のもとにいれば、あの少年の将来もずっとひらけたものになるだろう。
そう、悪い話ではない。ないが、しかし、
「……あいつには、もうちっと平穏な道を歩かせてやりたいんだがな」
「無理でしょう」
ささやかな伯英の願いを、朱圭はあっさりと否定した。
「あの才に加えて、あの容姿。あの子に凡夫の生は送れませんよ。まして、いまの世をお考えください。誰であろうと、いつなんどき濁流に巻きこまれるとも知れぬ世です。ならば、水を恐れて遠ざけるより、奔流の中を泳ぎきるだけの力をつけてやったほうがよほどいい」
「わかったふうなことを言うじゃないか。あんた、子どもはいるのか」
「残念ながら、妻すら迎えておりません。誰か紹介していただけます?」
「考えておいてやるよ。年増好みだったか」
「色白でふくよかもお忘れなく。もうひとつのほうも、考えておいていただけますか」
その問いには答えず、伯英は立ち上がった。
「いまの話、あいつには黙っておけ。話すとしたらおれからする」
口をひらきかけた朱圭を制し、伯英は念押しした。
「いいか、余計なことは言うなよ」
また寝床にもぐりこまれちゃかなわんからな、と声には出さずにつぶやいて、伯英は文昌とともに帰路についた。
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