春靄に惑う(二)
祭りの日に
しばらくのんびりすると永忠に宣言したとおり、
「
名を呼ぶと、少年は盤から顔をあげた。
「囲棋は好きか」
子怜は黙って首をかしげた。
「おもしろいんだろ?」
伯英は辛抱強く問いを重ねた。
この少年と話していると、ときどき
「……わからない」
「わからない? 難しいってことか?」
子怜はかすかに首をふった。
「好きかどうか、まだわからない」
「まだ、ねえ」
また愉快なことを言い出したな、と伯英は笑って杯を干す。
「いつわかるんだ、そいつは」
意地の悪い問いだったかもしれない。じっと考えこむ少年の眉間を、伯英は指の腹でつついてやった。
「そう難しく考えるもんじゃないさ。一日中やってて飽きないんだろ? だったら好きでいいんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。ま、安心したぜ。その分なら、うまくやっていけそうだな」
怪訝そうな顔をした子怜に、伯英は笑みを返した。
「おまえの預け先が決まってな」
ぴし、と秀麗な面に見えないひびが入った音が聴こえた気がしたが、伯英はかまわず続けた。
「
子怜は黙りこんだまま長い睫毛を伏せている。その視線の先にあるのは、複雑に入り組んだ黒と白の陣。伯英の眼には、どちらが優勢なのかまるでわからなかった。
「それに永忠どの……あの小遣いくれた御仁と潘家の爺さまは囲棋仲間らしいから、またちょくちょく会えるぞ。おまえはどうか知らんが、永忠どのはおまえのことを気に入ってるみたいだし……」
山、えらく高くなったな。話しながら、伯英はそんなことを考えていた。目の前にいきなり断崖絶壁があらわれたような気分だ。こちらの声が届いているのか、まるで心もとない。
不意に子怜が顔をあげた。その唇がかすかに動いたとき、からりと扉が開いて文昌が顔をのぞかせた。
「伯英どの……」
その場に漂う、どこかぎこちない空気を感じとったように文昌は言いよどんだが、すぐに再び口を開く。
「ご相談がありまして。今よろしいですか」
「ああ」
伯英は立ちあがった。
「むこうで聞こう。悪いな、子怜。あとは迅風にでも相手をしてもらえ」
そう言って立ち去る自分が、度し難い卑怯者に思えて仕方なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます