薫風は南より(二)

「……馬鹿な」


 最初に反応したのは県令だった。


「そのような命があったこと、わたしは知らぬぞ」

「それも当然かと。なにしろ、限られた者にしか明かされなかった密命にございますれば」


 つまり、趙都督からの信は県令より自分のほうが厚いのだと、伯英はくえいは暗に語ってみせた。面目をつぶされた格好になった県令の顔から、みるみるうちに血の気がひき、次いで怒りの朱がのぼる。


 県令の隣では、永忠えいちゅうが渋面をこしらえている。何を企んでいるのかは知らぬがほどほどにしておけ、とその眼が語っていた。


「先ほど使者どのも申されていた張三の乱でございますが」


 張三とは、昨年まで畿南の北辺を荒らし回っていた賊の頭目である。


「かの賊の討伐の折、長徳の商人が、こともあろうに張一党へ武具を流していたことをつかみまして。その奸商こそ、しん大貴だいきだったというわけにございます」

「なんと……」


 県令の口からあえぐような声がもれる。


「それはまことか、王都衛」

「無論」


 虚言うそである。辛が武具を商っていたということ以外は、すべて伯英の作り話だ。しかし、伯英はもっともらしい顔で話をつづけた。


「それをお知りになった趙都督が、われらに辛を討てとお命じになったのですよ。本来ならば、しかるべき法に則り罪人を裁くべきだったのでしょうが、やつめ、ほうぼうにまいないをばらまいて罪を免れようとしましてな。しかし、それも叶わぬと見たのでしょう。ひそかに長徳を脱しようとする動きがありましたゆえ、もはや一刻の猶予もならぬと、趙都督はご決断されたのです」


 われながら苦しいよなあ、と伯英は胸のうちでぼやいた。いささかどころではなく無理がありますね、とは、この策を打ち明けたときに文昌ぶんしょうが発した第一声である。


 だが、無理だろうと無謀だろうと、ひとたびこうと決めた以上、伯英はどこまでもこの芝居を押し通すつもりだった。


 昔からよく言うではないか。喧嘩においては度胸とはったりが肝要だと。そして、伯英は自他ともに認める喧嘩上手であった。

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