純白に染む(五)

「ったく、おまえが退屈してるだろうと思って、わざわざ話しにきてやったのに」


 迅風じんぷうはぶつくさこぼしたが、じつのところ、留守役を放りだしてきた罰として、文昌ぶんしょうから少年の世話役を仰せつかっていたのだった。


「大人の話はちゃんと聞くもんだぞ」

「……三千」

「あん?」

王家軍おうかぐんの総数、三千。うち騎兵が五百、残りは歩兵。本拠地はろう県。いまここにいるのは騎兵だけで二十」


 少年の唇からすらすらと流れでる言葉に、迅風は首をかしげた。


「あってるけどよ、おれそこまで話したっけ」

伯英はくえいが教えてくれた」

「なっ……」


 迅風は絶句した。


「なんで兄貴の名を……!」

「だって、それがあのひとの名でしょう」

「馬鹿野郎!」


 あやうく手がでそうになったところを、迅風はすんでのところで思いとどまる。


「だからって呼び捨てにするやつがあるか! 様をつけろ、様を」

「迅風だって、そんな呼び方していない」

「おれはいいんだよ! てか、おまえ、おれのことも呼び捨てかよ。おれはおまえの倍は生きてんだぞ」

「だから?」


 迅風は返答に窮した。問いかける少年の顔が、ただ純粋に不思議そうだったので。


「……年上だから、敬えよ」

「なんで」


 なぜだろう、と迅風は考えこんだ。頭の中に、子どもの頃の記憶がよみがえる。思い返せば、自分もかつては散々年長者に楯突いていたものだ。年食ってるだけで偉そうにすんじゃねえ、とかなんとか言い散らして。

 

「……おれはおまえより腕っ節が強い」

「そう」


 無感動に少年はうなずく。今日は晴れてますね、とでも言われたように。


「王家軍でもわりと古参だし」

「ふうん」

「兄貴からの信頼もあつくて、右腕と呼ばれているんだぜ」

「右腕は文昌でしょう。あと、信頼されて瑯の留守を任されてたのに、なんでここにいるの?」

「おまっ……おまえには関係ねえだろ! それに文昌さんのことまで……!」


 もう我慢ならんと迅風が拳をふりあげたとき、扉が開いて長身の男が顔をのぞかせた。


「にぎやかだな」

「兄貴!」


 迅風はあわてて拳を背中に隠した。


「具合はどうだ」


 伯英は少年のかたわらに腰をおろした。


「悪くないよ」


 そう答える少年の白い横顔を眺めながら、迅風はがしがしと己の髪をかきまわした。なんとなくおもしろくないのは、兄貴分が自分より少年にかまけているせいなのか、それとも、少年の声に先ほどまではなかった素直さがにじんでいるように思えたせいなのか、自分でもわからなかった。


「そいつはよかった。ところでおまえ、馬には乗れるか」


 少年は首を横にふる。


「だろうと思った。ま、どうせその腕じゃ手綱なんぞ握れまい」


 さっと瞳をかげらせた少年の頭を、伯英は手をのばしてなでてやる。


「心配するな。置いてきやしないから」


 迅風はあっと声をあげた。


「兄貴、じゃあ」

「ああ」


 伯英はうなずいた。


「瑯に帰るぞ」

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