終章
風花
「
床に片肘をついて寝そべったまま、
「知らない」
対面に座った
相変わらず見る者のため息を誘うほどの繊細な面差しだが、
子どもの成長は早いもんだな、と
「おい」
白有利と見えていた盤面は、子怜の黒石ひとつでその様相をがらりと変えていた。
「あー……くそ」
負けたと宣言して、伯英は床に寝ころがった。
養い子から置き石なしの勝負を挑まれ、それはさすがに早かろうと余裕綽々で受けた結果が、このざまである。あいつとは二度とやりたくないとこぼしていた
「伯英」
「なんだよ。今日はもう
伯英はふてくされた声を返して横を向いた。この場に
「そうじゃなくて」
子怜が盤上の石をさらいながら問うた。
「南越の玉尤がどうしたの」
「ん? ああ」
伯英はのそりと起きあがる。
「文昌が話してくれたんだよ。南越ってのは昔江夏のあたりにあった国だそうでな」
南越王には、玉尤という名の寵姫がいた。絶世の美女とうたわれた玉尤だったが、どういうわけか、まるで笑うといったことがない女人だった。
王はなんとかこの美姫の笑顔が見たいものだと、あの手この手を尽くしたが、玉尤の朱唇は固く引き結ばれたままだった。
ある日、王は宴席に道化師を招いた。滑稽な芸を披露する道化師に一同は笑いころげたが、玉尤だけは一片の笑みすら浮かべなかった。
失望した王は、その場で道化師の首を
玉尤は笑った。それこそ玉のふれあうような声をたてて。
それからほどなくして、南越は滅びた。
罪人を残らず処刑した後、王は寵姫の笑顔見たさに、連日無辜の民を捕らえてはその首を刎ねさせた。暴虐な王への怨嗟の声は国中にあふれ、たまりかねた民は反乱を起こした。
王宮に踏みこんだ反乱軍の首領は、臣下に見放され、玉尤を抱いて泣き喚く王の首を一刀のもとに斬り捨てたという。
「笑った?」
唐突に、子怜が口をはさんだ。
「あ?」
「そのひと、笑った? 王の首が落ちたとき」
「……さあな」
笑ったとしたら、その顔はきっとこの少年の面差しとよく似ていたことだろう。はじめてあの笑みを見たときの、背筋に走った震えは、おそらく死ぬまで忘れまい。白い頬に血の赤が映えて、それは凄絶なまでに美しかった。
「しばらくしたら、また出征だ」
「今度はどこへ行くの」
「北だよ。いやな時期にあたっちまったなあ。ちょうど寒くなる頃だ」
敗死した趙都督の後任は、どうやら王家軍を徹底的に使い倒すつもりらしい。
望むところさ、と伯英は胸のうちで笑みをもらした。戦って成果をあげれば、それだけ己の力も増す。現有の兵は五千。次の戦に勝てば万に手がとどく。いずれ都督を超えることも不可能事ではないように思えた。この小さな軍師がいてくれれば。
「子怜」
名を呼ぶと、養い子は盤面から目をあげた。
「おまえをな、正式に養子にしようと思っている」
この思いつきを打ち明けたとき、文昌は反対しなかった。しないかわりに、先ほどの亡国の美姫の逸話を持ち出してきたあたり、義弟のいささか屈折した心情がうかがえる。
「これからは王姓を名乗るんだ。王子怜。なかなかいい響きだと思うんだが、どうだ」
「なんでもいいよ」
そっけない答えは予想済みだ。
「伯英の側にいられれば、なんでもいい」
「じゃ、決まりな。祭祀とか手続きがいろいろあるらしいんだが、どうせおまえ興味ないだろ。適当にやっとくぞ」
「うん」
あっさり問題が片づいたところで、伯英はもっと養い子の関心を引きそうなことを持ち出した。
「むこうに着く頃には冬がくる。おまえ、晴れた日に降る雪は見たことあるか」
子怜は首をかしげた。晴天に雪とは、とその顔が語っている。伯英は笑って養い子の髪をくしゃくしゃにかきまわした。
「あれも綺麗だ。楽しみにしてろよ」
風に舞う雪に、きっとこの少年は手をのばすだろう。春の花に魅了されたときと同じように。
梁の末期に活躍した義勇軍、王家軍は、史に伝を残す英雄を数多く輩出した。その筆頭、王虎将軍の二つ名をもつ王家軍総帥のかたわらには、つねに美貌の軍師の姿があったと伝えられている。
梁の最後の光芒と称される王家軍の中でも、その綺羅星はひときわ美しく輝いていたと、当時を知る者は夢見るような眼差しで語っていたという。
玉蘭花伝 小林礼 @cobuta
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