夢見里文学に初めて触れる読者は、文彩の粋を尽くしたその描写の美しさ、難解な表現を交えても損なわれない筆致の瑞々しさにまずは驚嘆し、惜しみない賞賛の言葉を贈る。しかし、麗しき妃妾達がその身を豪奢な装束で飾り、一流の料理人が盛り付けに趣向を凝らすのと同様――誤解を恐れず言えば、その文章の美麗さは、本質に至る前にまずは読者の心を惹きつける“飾り”に過ぎない。この作家の真髄は、文章の美しさを超えた先にこそある。それは即ち、ある意味で彼女自身の映し身とも言えるヒロインの、健気で誇らしい「戦い」の物語に他ならない。
先年出版され界隈を風靡した『死者殺しのメメント・モリア』しかり、彼女の描き出すヒロインは、多くが理不尽な宿業をその身に背負い、それでも確たる目的と信念の為に前を向いて戦い続けている。その生き様は孤独で不憫で痛々しく、しかしそれゆえに気高く強かで美しい。本作のヒロイン・慧玲もその例に漏れず、自らの咎によらぬ責苦を負わされながら、それでも自らの出自に誇りを抱き、懸命に己の使命を果たそうとする。泥中に咲く一輪の花を思わせるその姿は、何かと「最強」が持て囃される昨今のWEB小説界にあって、改めて我々に「強さ」の意味を問いかける。決して強靭でも無敵でもない一人の少女が、己の境遇に、運命に、心に負けまいと懸命に強くあろうとする――その姿にこそ読者は胸を打たれ、彼女に救いあれと願わずに居られなくなる。その、逆境に抗う魂の強さこそが、美しき文彩の化粧を解いた下にある夢見里文学の素顔ではないか。
そしてまた、孤独な戦いを続けてきた少女には、その報いたりうる理解者の存在が欠かせない。“死者殺し”モリアにシヤンが寄り添い、“竜殺し”メリュにラグスが連れ添うように、慧玲の行く手にも毒師・鴆が付き纏い、敵意とも愛情とも付かぬ奇妙な関係を深めていく。どこか上段からヒロインを弄ぶような悪いイケメンの存在もまた、この作者の作劇における様式美であるが、とりわけ文字通り毒を以て慧玲を御さんとする鴆のキャラクター性は、毒は薬と説く本作のテーマを象徴しているようにも見える。猛毒をも良薬と為す食医の手腕の如く、不倶戴天の敵こそが唯一無二の理解者となるか、交錯する二人の宿命の行方を楽しみに見守りたい。