第一章 純白に染む

純白に染む(一)

 房間へやの外から騒々しい足音が近づいてくる。伯英はくえいは卓にひろげた地図から顔をあげ、目の前に座す義弟に笑いかけた。


迅風じんぷうか」

「そのようで」


 文昌ぶんしょうも苦笑を返す。伯英の亡妻の弟であり、王家軍おうかぐんの参謀役でもある徐文昌は、伯英よりひとつ年少の二十九歳。いかにも名家の子弟然とした容貌の持ち主で、迅風あたりはよく「文昌さんがいてくれるおかげで、王家軍うちの格もぐっと上がるってもんですよ。でなきゃ、うちなんて破落戸ごろつきの集団にしか見えませんて」と、自慢とも自虐ともつかぬことをもらしている。


「兄貴!」


 その破落戸の筆頭である呂迅風は、誰何すいかの声もなく房間に飛びこんできた。


「おめでとうございます! ついにやりやしたね!」


 ひざまずいて祝意を示す若者の頬に、ななめに走る刀痕が一本。それが興奮のためかうっすらと赤く染まっている。


「迅風」


 伯英はぎろりと配下の青年をにらみつけた。


「なんでおまえがここにいる」

「なんでって、そりゃあないですよ、兄貴」


 迅風は大げさに両手をひろげた。


長徳ちょうとくしんの野郎を討ったら、すぐに戻ってくるはずだったのに、待てど暮らせど帰ってこねえんですもん。だからおれ、心配になって駆けつけたんじゃないですか」

「阿呆」


 伯英は迅風の頭に拳骨を落とした。


「おまえにはろうの留守をまかせておいたはずだろう。それを放ってきやがったとは、おまえ、おれの命令がきけないってことか?」

「いや、それは……」


 きつい眼差しを向けられて、迅風はたちまち青ざめる。


「伯英どの」


 横からとりなしてきたのは文昌だった。


「今回の件はわたしの落ち度でもありますから。瑯へ使いを出すのが遅れたせいで、皆に要らぬ心配をかけてしまったようです。責めならば、まずわたしに」


 文昌が頭を垂れると、伯英は面倒くさそうに頭をかいた。


「わかったよ。迅風の処分はおまえにまかせる。あとでこってりしぼってやれ」

「承知しました」


 顔をあげた文昌が、ちらと迅風を見やると、迅風はうへえと首をすくめた。


「で、兄貴、辛の野郎を討ったってのに、なんだってこんなとこに留まってるんです?」


 さっきまでしおれていたのが嘘のように、けろりとした顔で迅風が尋ねた。そそっかしいところはあるが、切り替えの早さはこの配下の長所だと伯英は評価している。使いも待たずに、伯英らが身をひそめる山間の廃廟を見つけ出した嗅覚と同様に。


「怪我人がいてな。へたに動かせないほどの深手で、昨夜までは生きるか死ぬかってとこだったんだよ」

「そりゃ大変だ。誰なんです、そいつ」


 伯英はひっそりと笑った。


「おれの命の恩人だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る