第五章 天川に星を逐う

天川に星を逐う(一)

 ぬるい風が、川べりのあしをゆらす。丈高い草の間にたたずんで、子怜しりょうは霧雨にけぶる対岸をながめていた。


 眼前を悠々と流れる大河の名は璃江りこう。半月前にろうを発った王家軍が、この河のほとりにたつ江夏こうか城に至ったのは昨夕のことである。


 水面をさまよっていた子怜の視線が、ふと一点に定まった。河の上流から、小さな草舟が流れてきたのだ。


 身をかがめてその舟をすくいあげ、あたりを見渡すと、すこし離れた岸辺で大男がゆっくりと手をふった。


 筋骨たくましいその男は蘇丁そていという。出征中は何かと危ないからと、伯英はくえいがあてがった護衛役の兵だった。


 子怜が草舟を再び河に浮かべると、自由になった舟はすいと下流へ運ばれていった。しばらくその行方を見守っていた子怜だったが、背後から近づいてきた物音に立ち上がってふりむいた。


「みいつけた」


 葦の間から浅黒い顔がのぞく。畿南郡都督の使者にして王家軍の居候いそうろう朱圭しゅけいだった。


「師父」


 子怜の声に、わずかながら不本意そうな響きがにじみ、朱圭はにんまりと笑った。


 はじめの囲棋勝負で朱圭に敗れて以来、子怜は日々この男に再戦を挑んでいるのだが、置き石五つの差はどうにも埋まる気配がなかった。一方、朱圭は勝負を受けるかわりに、負けた方は勝った方を翌一日「師父」と呼ぶこと、という条件を子怜に飲ませ、連日師匠風をふかせてはご満悦の様子である。


 ちなみに、「だったらおれのことは師兄と呼べ」とのたまった迅風じんぷうは、子怜に置き石なしの囲棋の勝負をもちかけられ、完膚なきまでにたたきのめされてからは何も言わなくなった。


 後日その一件を聞いた伯英は、しげしげと養い子の顔をながめ下ろし、「そりゃおまえ、八つ当たりってもんだ」と述べたものである。


「きみ小さいからねえ。目印がなかったら見つけられなかったよ」


 目印こと蘇丁は相変わらず黙然とたたずんでいる。機嫌を損ねているわけではない。もともとたいそう無口な男なのだ。


「すっかり濡れちゃって。こんなところで何してたんだい」

「……河を見ていた」


 そうかい、と朱圭はうなずき、子怜と並んで対岸をながめやった。


「どうするの」


 今度は子怜が尋ねると、朱圭は物思いから覚めたようにまばたきをし、次いで口もとをほころばせた。


「さすがにきみも無関心ではいられないようだね。よかったよ、探しにきて」


 軍議を開く、と朱圭は言った。


「きみも特別に同席させてあげよう。よく見て聞いて、学びたまえ」


 そう言って朱圭は笑ったが、今がとても笑っていられる状況でないことは、子怜にもよくわかっていた。


 前日に江夏城入りをはたした王家軍を待っていたのは、耳を疑うような凶報であった。


 ちょう都督ととく、敗死の報である。

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