薫風は南より(五)

「正直なところ――」


 手にした酒杯をぐいとあおり、朱圭しゅけいは口をぬぐった。


まいないくらいは予想していたんですがねえ。これを差し上げますから趙都督の下命だったことにしてくださいって。そんなふうに泣いて頼まれるかと思っていたのに」

「誰が泣くかよ」


 あきれ声で応じつつも、手段としては考えないでもなかった伯英はくえいである。事実、伯英が直前で方針を変えて趙都督を説得する――なにが説得だ、あれは脅迫であろうと、あとで永忠えいちゅうにさんざん嫌味を言われた――ことになるまで、文昌ぶんしょうは金策に走りまわっていた。


「ところがあなたときたら、下手したてに出るどころか逆に脅しをかけてくるんですもの。もうおかしくておかしくて……」


 笑いくずれる朱圭に、隣から文昌が冷ややかな眼差しを送った。


 伯英の馴染みの妓楼の一間で、三人は宵から杯を交わしていた。誘ってきたのは朱圭だ。使者としての任を終えた後も、この男はろうに留まっていた。王家軍ともに常陽じょうようへ進発し、途中の江夏こうかという地で追加の兵二千を引き渡すところまでが務めなのだという。


 これから行動を共にすることですし、と理由をつけて、朱圭は連日王家軍の兵営に入り浸っている。はじめは趙都督の配下ということで警戒していた王家軍の面々も、愛想だけはやたらといいこの男相手では用心もゆるみがちで、最近では姿が見えないと「あいつはどうした」と首をかしげる始末だった。


 今日の昼どきなど兵舎の厨房にまで入りこみ、下働きと一緒になって芋の皮むきまでしていたというのだから恐れ入る。


 ちなみに、なにかと器用そうなこの男、料理の腕前はお粗末らしく、両手いっぱいの芋をできそこないの木彫り細工のように切り刻んだあげく、粥鍋の上に塩壷をひっくりかえしたところで厨房からたたき出されたそうな。


「それで、使者どの」


 伯英が呼びかけると、朱圭は「いやだなあ」と、また笑う。


「そんな他人行儀な呼び方はやめてくださいよ。あなたとわたしの仲じゃないですか」


 どんな仲だ、と顔に大書してある義弟を横目で見ながら、伯英は杯を置いた。


「なら、朱圭」


 はっきりさせておきたいことがあった。この男が笑い死ぬ前に。


「そろそろ聞かせてもらおうか。趙都督……いや、あんたは何を企んでいる?」


 伯英の視線の先で、浅黒い顔にたたえられた笑みがいちだんと深くなった。

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