3.律の家へ

 取り付く島もないとはまさにこのことだった。

 律がどれほど謝罪し代替案を懇願しても、雫は頑として首を縦に振らなかった。

 なんとかして依頼内容を変えて貰おうとする律の提案はことごとくく否定され続けた。数十分に渡った説得は、律が力尽きたところで終わった。律がもうなにも言えないとみて、終始涼しい顔を浮かべていた雫は席を立った。

「これを貸してあげる。自由に使っていいわよ」

 去り際、雫は気まずそうにしている田中を顎で指し示した。そしてひらひらと手を振る皐月を無視し、カラコロとドアベルを鳴らしながら雫は姿を消した。後には真っ白に燃え尽きた律と、微笑みを浮かべる皐月、そして二人を交互に見遣る田中が残った。


 *


 そして『アネモネ』での会合から翌日。律たち――律、皐月、田中の三人は、律の自室で雫からの依頼をどのように遂行するか、策を練ることにしていた。

 再び『アネモネ』に集まることも検討したが、場合によっては非合法スレスレの策を考案したり、能力を発動させ検証したりすることを考えると、できるだけ人の目が無い場所がいいだろうと律の部屋に白羽の矢が立ったのだった。


 だがそこで問題となったのが律の母親の存在だった。

 律の母親は専業主婦だ。基本的に在宅している母親とは、どうやっても顔を合わせないわけにはいかないだろう。認識できない状態の皐月はともかく、田中をどう説明するか頭を悩ませた律は、母親に向かってこう紹介した。

「この人は田中さん。皐月さんの知り合いで、僕の家庭教師をしていたことを知って連絡してきたんだ。生前の話を聞きたいらしくて、どうしてもって言うから連れてきた」

「お邪魔いたします。突然申し訳ありません。律くんが彼女のことを知っていることがわかって、居ても立ってもいられなくなってしまって」

 そう言って深々と頭を下げる田中。手土産でも入っているのか、紙袋を携えている。田中は今日のために黒染めスプレーで明るい髪を隠し、ダークグレーのスーツを着込んでいた。

「あらあらそうなの……」

 苦しい言い訳だったが、純粋な律の母はそれを信じたようだった。皐月のことを思い出したのか、悲しそうな顔で頷いている。

 だが田中を先に階段へ促すと、母親はそっと律に近づいてきた。怪しまれたかと焦った律だが、彼女は声を潜めて言った。

「ねえ。二人はその、恋人だったのかしら?」

 横目で皐月を見ると、嫌悪感を隠そうともせず顔を顰めていた。

「ううん。違うみたい」


 *


 三人は律の部屋で膝を突き合わせていた。

「あのさ……」

 決して明るいとはいえない空気の中、おずおずと律が切り出した。

「そもそもあの依頼を受ける必要があるのか? もうさ、協力なんてやめにして僕たちだけで動けないか……?」

「それはだめよ」

「それはだめだ」

 律の提案は皐月と田中からほとんど同時に否定された。

「あいつの能力は相当強力だ。守りに回るにせよこちらから仕掛けるにせよ、いるといないとじゃ勝率は段違いになる……というか、あの人狼が捨て駒レベルだとしたら、雫がいなきゃ俺たちの勝ちは絶望的だ」

「私も田中さんに賛成よ。今は少しでも戦力を強化したいわ。ましてや命が懸かってるんだから、尚更よ」

 ぐうの音も出なかった。大人二人に滔々とうとうと説き伏せられ、あわよくば依頼なんて無視できるのでは、という律の儚い願望はあえなく散ったのだった。

「……わかったよ」

 律はそれだけ言うのが精一杯だった。


「じゃあ、そもそもどうやって校内に侵入するかだが……なにか案はあるか?」

 既に疲れ切った表情を浮かべた律が二人に訊ねた。

 聖アナスタシア学園はその名の通りミッション系の学校だ。初等部から高等部までが存在する一貫校で、地元ではお嬢様学校として名を馳せている。

 学園は医者や資産家の子息も多く通っているらしく、高い塀に囲まれた敷地は警備も厳重だ。中学生の少年がふらふらと近づいていっても警備員に門前払いを喰らうのは目に見えていた。

 皐月は人差し指を口元に当て、思案顔で呟く。

「うーん、私の姿は普通の人には見えないけど、律くんから離れるにも限度があるし、そもそも姿が見えなきゃ聞き込みもできないわね。やっぱり律くんかおじ……田中さんが行かなきゃだめね」

「ねえ今またおじさんって言い掛けませんでした?」

 なぜか敬語で喰いついてくる田中を面倒そうになし、皐月は発言を促す。

「気のせいよ。で、どう?」

「俺は無理だろ。自慢じゃないが、学園の半径一〇〇メートルに入った時点で警察を呼ばれる気がしてるぜ」

「本当に自慢じゃないわね……でも、そうね」

 呆れを顔いっぱいに拡げた皐月は一転、少女のような笑みを浮かべた。

「じゃあやっぱり、あれ・・しかないわね」

 言った皐月は田中へ意味深な目配せをする。

「ちょ、あれってなんだよ」

 皐月の表情から絶望的に嫌な予感を覚えた律が口を挟む。

「すぐにわかるわ。田中さん、例のモノは用意できてる?」

「ああ……だが本当にいいのか?」

 田中は皐月に訊ねながらも、なぜか律の方へちらちらと視線を向けてきた。それを見た律の嫌な予感が加速度的に膨れ上がる。

「それしかないでしょ? 他に良い案があるなら聞くけど? あるの?」

「いや……わかった」

 相変わらずの微笑みを浮かべている皐月だが、その表情は『はやくしろ』と物語っていた。そのプレッシャーに耐えきれなくなった田中は立ち上がり、持ち込んでいた紙袋を掴むと律たちの前に置いた。

「ねえねえ律くん、これがなんだかわかる?」

 やたらと嬉しそうに訊ねてくる皐月を、律は蒼白な顔で見つめ返す。

 察しが悪い律だが、既にそれ・・がなんなのか見当がついていた。

 じゃーん、という間抜けな効果音を唱えながら取り出されたそれは、果たして律の予想通りのものだった。

「聖アナスタシア学園の制服でしたー! 凄いわ、よく一日で手に入れたわね」

 はしゃぎながら田中を褒め称える皐月。称賛を向けられた田中は無言のまま、律に向かって拝むように両手を合わせていた。

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