5.人狼
土曜日。律たちは
とはいえ年齢相応の容姿を持つ中学生の律が、営業中のキャバクラ店に入るのは無理だろう。入店せずとも、周囲をうろついているだけで絡まれたり、補導されてしまう可能性が高い。そこで、まだ日が高いうちに店舗周辺を調査することにした。
キャバクラ、スナック、ガールズバー……いわゆる〝夜の店〟が立ち並ぶ一角は、日中とはいえ独特の雰囲気を放っており、律を尻込みさせた。
律はごくりと唾を飲み込んで通りへ足を踏み入れる。スニーカーが小石を巻き込んでざり、と音を立てた。道の隅に座り込んでいた中年男や、店の前を掃いていた若い男が胡乱な視線を投げてきたが、すぐに興味を失ったように顔を逸らした。
律は視線をやや下に向けたまま、目的の店まで早足で進む。目に入る店舗は軒並み「CLOSED」や「準備中」の表示が掲げられた昼間、表通りでも人影はまばらだ。
「ここね」
無心に足を繰っていると、唐突に皐月が言った。
突然立ち止まったことでつんのめりそうになった律は慌てて体勢を立て直す。
「ルシール……」
店名が記された看板を見上げ、律は小さく呟く。『Lucille』は通りの中腹あたりに位置していた。店舗の側面に目を遣れば、細い路地が口を開けている。周囲に人影が無いことを確認し、律は昼間でも薄暗い路地へと踏み込んだ。
昼間だというのに、裏路地はまったく人気がなかった。自分の足音がやけに大きく響く気がして、律は無意識に忍び足のような歩き方をしていた。
「着いたわ」
そこは丁字路の奥、袋小路となった場所だった。薄暗い路地の中でも更に暗く、じめじめと
掲示板の書き込みが真実ならば、ここで人が殺されたのだ。それも、バラバラに解体されて。それを考えただけで律は気分が沈んでいった。そんな律に、皐月はドライに告げる。
「さ、暗い気分になっていても始まらないわ。折角ここまで来たんだから、さっさと終わらせちゃいましょう」
「……そうだな」
律たちがわざわざ現場(とされている場所)に足を運んだ理由。それは、彼の能力を使うためだ。
首吊り男のときと同様、律のサイコメトリーもどきを使えば現場の状況や、あわよくば犯人も特定できるかもしれないと考えたのだ。
なお公園のときは特に意識せずに首吊り遺体が出現したが、これは十分な〝材料〟を無意識のうちに視界に入れていたことが原因だ。首吊り男がぶら下がっていた場所は雨水が滞留しやすく、土やロープが掛けられた木の枝など、痕跡が残りやすい環境だった。しかしコンクリートの路地は入念に清掃がされたのか、空気は悪いものの一見すると殺人事件が起こったような場所には見えない。しかし、人為的に痕跡を完全に消し去ることなど、それこそ爆破でもしない限り難しい。必ず何らかの痕跡は残っているはずだ。
「じゃあ、いくよ」
小さく息を吸い込み、律はじっと目を凝らしながら周囲へぐるりと視線を向ける。埃一片、髪の毛一本も見逃さず視界に捉えることで、律の能力は過去の映像を再演する。
――それは唐突だった。突如、周囲に夜の帳が降ろされる。
「うっ……!?」
そして時を置かず、律たちをむせ返るような臭気が包んだ。鮮魚のような生臭さと、何かが腐ったような匂い、そしてそれらを覆い隠すように猛烈に香る鉄錆のような匂い。血の匂い。濃厚な死の香り。皐月までもが、口元に手を当てている。
律たちが足元に目を遣れば、文字通り血の海が拡がっていた。成人男性一人の血液は四~五リットルにもなるという。それだけの量が、裏路地にぶちまけられていた。
そして――かつて成人男性
眼前の光景を受け止め切れない律は吐き気を必死で堪え、無意識のうちに視線を死体から外した。図らずも顔を上げた律の目は、袋小路への入り口、裏路地の方へと向けられた。
「……は?」
そして律は眼下の死体のことを忘れたかのように、間抜けな声を上げる。それほどまでに、視界に映ったものが信じられなかったのだ。
しっかりと両の脚を地についた二メートルを軽く超えるような巨体。路地へ差し込んだ月光を反射し銀色に輝く体毛。丸太のような腕の先には、ぽたぽたと血が滴る鋭利な爪。低い声で唸りを上げる喉笛。そしてその上部、は、突き出た鼻、尖った耳、鋭い牙……その
狼男。人狼。ワーウルフ。数多くの物語に登場する生物が、律と対面していた。眼前に立つ人狼は、律の姿に驚いたように僅かに目を見開いていた。
時間の感覚が消える。硬直したまま見つめ合った一人と一頭。数分か、数秒か。その時間は人狼が裂けた口を小さく開いたことで終わった。何か言い掛けるように開閉する獣の口。弱々しい月の光に照らされた牙からは鮮血が滴っている。
結局人狼の口は音を発することなく、踵を返した巨体は夜の闇へと溶けて消えていった。人狼の姿が見えなくなった途端、律たちを包む死の匂いも夢のように消えた。
しかし、律は動かなかった。否、動けなかった。
「なに……あれ……?」
背後で
応える者は、誰もいなかった。
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