10.サイコメトリー

「皐月さんを通して、とんでもない情報の量を扱えるようになったことはなんとなくわかった。でも僕は、あの人に会ったことがないはず。記憶を再現するにも、そもそものが無いんじゃないか? ……いや、写真とかテレビとかで無意識のうちに見かけていたのか? あの人は有名人? いやそもそも、僕は首吊り死体なんて一度も見たことがないんだ。いくら妄想にしても、あそこまでリアルに再現できるものなのか……?」

 ぶつぶつと呟きながら険しい顔で唸っている律を見て、皐月が微笑む。

「安心して。律くんはあのおじさんに会ったことはないし、写真なんかを見かけたこともないわ」

 だったらどうして、という視線を受け、皐月は続けた。

「今のきみには、もうひとつの能力があるわ。莫大な情報を扱えるきみの脳は、その場に遺されたあらゆるもの――足跡、種々の痕跡、遺失物、空気の流れ、匂い、それから思念。それらの膨大な情報から、妄想――きみにとっては現実ね――を構築しているのよ。一種のサイコメトリーと言ってもいいかもしれないわね」

 とんでもないことをさらりと告げる皐月に、律は思わず目を剥く。

「サイコメトリーって、死者の思念を読み取るっていう、あの」

「ええ。過去の再現はもとより、特定の空想を具現化することもできるでしょう。今の私みたいにね。いわば制限付きの現実改変能力と言い換えてもいいかもしれないわね」

「そ、そんな、あり得ない。ほとんど超能力者じゃないか」

 律の言葉に皐月は一瞬目を丸くすると、ころころと声を上げて笑いだした。

「私とこうして会話している時点で、今更でしょう? それに、いい? 繰り返すようだけど、〝サイコメトリーができる〟という設定、〝現実を改変できる〟という設定なのよ。あくまでも、ね。その情報が正しいという保証も、証明する手段も無いわ」

「そ、そうか……」

「気にすることはないわ。ドン・キホーテが見た風車がドラゴンだったように、少なくともきみにとっては紛れもない現実なんですもの」

 もっとマシなたとえは無かったのかと律は恨めしそうな視線を向けるが、皐月は余裕の表情で微笑んでいた。

「それで、皐月さんは僕に何をさせたいわけ?」

「人助けよ」

 

 *

 

 二人は再び、首吊り男の傍に来ていた。

 男に背を向けるようにして立っていた律が、深呼吸をしてから振り返る。すかさず皐月が指示を出した。

「スーツの内ポケットを探してみて」

 律は死者の持ち物を漁ることに強い抵抗を覚えたが、皐月の真剣な表情を見て逡巡を断ち切り、ひと息に男の懐へ手を差し入れた。


 ツルツルしたスーツの裏地を探っていると、かさり、と乾いた感触があった。つまむようにしてそれを取り出す。

「封筒だ」

 律が男に目を遣ると、見開かれた目が、何かを訴えかけるように感じた。勝手に持ち出したことにばつの悪さを覚えた律は男に会釈すると、封筒を持ってベンチまで離れた。


 膨らみを生んでいる中身は、折り重なった便箋だった。

 丁寧に開いてみると、震えた筆跡で手書きの文字が綴られていた。

 それは長い遺書だった。


 家族や残された人たちに対する謝罪から始まった文面は、中盤から雰囲気を変え、会社や上司に対する呪詛の言葉へ変わった。怒り、嘆き、苦悩……負の感情が延々と綴られていた便箋は、第三者である律まで暗く重苦しい気分にさせられた。


 細かな記録がつけられたノートが本棚の裏に隠してある。保険金が下りる可能性は低いだろうが、記録をもとに会社を訴え労災認定されれば、当面の生活費は賄えるだろう。そんな内容が、繰り返される謝罪の言葉とともに綴られ文面は結ばれていた。


 読み終えてからもしばらく言葉の出なかった律が、ゆっくり顔を上げる。

「これは、その、なんというか」

 言葉を選んでいる律に、皐月が能面のような顔で淡々と告げる。

「その遺書は、この人が発見され、遺体が家族のもとへ渡る間に紛失されてしまったものよ。不思議ね」

 皮肉が多分に込められた皐月の言葉に、律はうんざりした表情で小さく頷く。

「……なんとなく、僕の仕事が見えたよ。この人のつけていた〝記録〟の存在を、家族に教えてあげればいいんだね」

「察しがよくて助かるわ」

「まあ〝自分自身との会話〟だからね。っ……!?」

 律は突如、ぞくり、と背中が粟立つほどの視線を感じた。顔を上げれば、首吊り男が、迫り出した眼球ではっきりと自分を見ていた。

 怨念という言葉が相応しいその眼力に、律の膝が震えた。

 いまのところ男の負の感情は、律に向けられたものではない。それは理解していたが、同時に、もし対応を間違えれば自分にも向かうであろうこともまた感覚的にわかった。

 律は大きく喉を鳴らすと、首吊り男の両目を真っ直ぐ見つめ返した。

 任せて欲しい、強く思いながら頷くと、男の視線がふっと弱まった。あれだけ強烈な瘴気を放っていたのが嘘のように、哀れな男の骸へと戻っていた。

「確かにお伝えします」

 物言わぬ男に向かって、律はもう一度頷いた。

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